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霞・靄・霧

実は、昨日の早朝の散歩で、町や野原や丘の下に霧がかかっているのを見て興味深く思って、それについて書こうかな、と思ったほどだった。ただ、それを霧と言っていいのかどうか迷ったのである。
まあ、古典文学的には「春は霞、夏は靄、秋は霧」とするのが正道ではないか、と思うのだが、今の季節は旧暦なら3月で、まだ春である。つまり、昨日のそれは霧ではなく、霞。ただ、上に書いた「夏は靄(もや)」というのは私が勝手に作ったものだ。「朝もやの渚」などというのは、どうしても夏のイメージだからだ。
「霧」というのは、秋か冬のイメージで、しかも現代では都会のイメージすらある。まあ、現代というより60年代日活アクション映画のイメージか。霧の街頭で、ガス灯(か?)の下、トレンチコートの襟を立て、煙草を吸う男ww もちろん、霧に包まれた高原、というのも強いイメージがあるから、都会には限らない。いずれにしても冷涼な感じである。高原なら夏でも霧、という感じだ。「霞」は、遠くの山並みのふもとが霞に包まれている、暖かでのどかでゆったりとした感じ。春霞である。女性の名前(「幻水2」の女忍者カスミなど)にしても、優しくて可愛いが少し抜けた女性のイメージだ。頭がかすんでいるわけだ。
まあ、現実に、自分の娘に霞と名付ける親はあまりいないだろうから、失礼ながら、正直に書いている。だが、たとえば「夕霞」と書いて「ゆうか」とか「ゆか」とか読ませる例はあるかもしれない。これが伊集院夕霞とかいった名前だと、茶道や華道の家元か伝統芸能の跡取りか、という感じにもなる。また山田夕霞だと、「山と田と夕霞」で、それだけで絵(日本画)の情景である。山本春霞(はるか)も同様。「見渡せば山本霞む」何とやらである。(なお、伊集院は薩摩の姓で、べつに貴族の姓ではないと思うが、三文字姓は貴族っぽいので、借用した。)(沖縄だと逆に、三文字姓は平民に多い。)

(以下引用)
16日午前7時ごろ、豊見城市豊見城から見た市平良の豊見城インターチェンジ付近。霧に包まれている(島袋貞治撮影)© 琉球新報

 16日朝、沖縄では霧が観測された。午前7時ごろ、豊見城市平良の豊見城インターチェンジ付近一帯や商業施設も霧に包まれていた。沖縄気象台は16日午前4時36分に沖縄本島地方に濃霧注意報を出し、午前8時8分には、久米島も含め、注意報を解除した。

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とある現代の錬金術

「徽宗皇帝のブログ」に載せた「社会の遠近法」の別記事だが、これも、会社経営や株式取引の素人が妄想全開で書いたアホ記事なので、暇つぶしの読み物として提供しておく。

(以下自己引用)


社会の遠近法


 


 


第二回 ホリエモン流の金儲け(物の価値とは何か)


 


 資本主義社会の落とし子というか、金の亡者というか、金、金、金で世間を騒がせたホリエモンこと堀江貴文が逮捕された。


 逮捕されるまではマスコミの寵児であり、若者のヒーローでもあった男の転落を、ジェラシー交じりにいい気味だと喜ぶ人間も多いだろうが、この逮捕は法的には不当な行為であるように見える。マンション耐久偽装問題や狂牛病牛肉輸入問題から世間の目を逸らすとか、あるいはもっと大きな問題が水面下で進行している可能性もある。


 それはともかく、今回のテーマは、ホリエモン流の錬金術である。詳しくは別紙資料を見てもらうが、そちらは難し過ぎるので、私が直感的に捉えたホリエモン流錬金術の基本原理を書いてみよう。とは言っても、金儲けに縁の無い貧乏人の考えだから、あまり信頼できないかもしれない。また、仮に私の理解が正しかったとしても、今回の事件を契機に法律改正が行われるはずだから、君たちが将来ホリエモンと同じ事をしようとしても多分無理だろう。しかし、やったことの是非はともかく、金儲けに彼くらい頭を使えば、金儲けができるのは確かである。世間の人間のほとんどは、彼ほど真剣に金儲けに取り組んではいない。


 さて、ホリエモンの金儲けの極意は簡単である。「自分で自分の会社の値打ちを決めればいい」というものだ。会社の値打ちとは、具体的には株価である。株価は、会社の営業実績とは無関係に世間の人間の思惑で決まる。100円の値打ちしかない物を、1億円の値段で買ったとしても、それは買った当人の責任である。たとえば、古ぼけた汚い茶碗を、千利休が愛用した物だとかいう理由で1000万円で買うといったことはごく当たり前に行われている。つまり、物の価値とは、基本的に主観的なものでしかないのである。ある物の価値が世間全体の共通判断になった時、それを「相場」という。いわゆる「通り相場」という奴だ。


 さて、物の価値が主観的なものであるなら、自分の会社の価値は自分で決めればいい、というのがホリエモンの考えの基本である。その際に、会社の実態を知られたら、世間の「相場」に落ち着いてしまうので、いかにも将来性ありげな「IT企業」を名乗り、会社の業務内容は躍進を続けているように粉飾決算を行う。ただそれだけのことで、世間の多くの馬鹿な金持ちはライブドアという無内容な会社の株を買ってくれたのである。アメリカにおけるIT企業も、そのほとんどは赤字企業であるが、やはり日本と同様に、「IT企業」であるというだけで株価は高値を更新し続け、やがてバブルがはじけたのである。だが、日本の投資家のほとんどは、その程度の社会的知識も無く、ただ金だけがあるという連中だったのである。


 もう少し詳しくホリエモンの手法を説明しよう。少し金と度胸(または無謀さ)があれば誰でも簡単にできる方法だ。


 まず株式会社を作る。これをAとする。次に、別の株式会社を別人名義で作るか買収する。これをBとする。このどちらも、事業実態が無くてもいい。ただし、世間的には、成長しそうな会社の印象を与えるものであること。「オンザエッヂ(端っこ)」などという会社名は、すぐにも倒産しそうだから駄目である。


 次に、会社の決算(事業成績)を粉飾して、証券取引所の資格審査をくぐり抜け(ここは少し難しい。証券会社内部の人間と手を組むこと。)、一部上場する。つまり、一流企業の肩書きを手に入れる。ここで、ポイントは、上場前に、先に書いたAB二つの会社の間で株式の売買を行うことである。この二つの会社は同一人物の会社だから、右手から左手に物を移動させるようなもので、現金すらいらない。もとのAの株価が100円だとすれば、それをたとえば一株1万円で売ったことにする。つまり、この取引で、Aという会社の株が一株1万円で売られたという取引実績ができたわけだ。ということは、Aという会社の世間での相場は、いきなり100倍になったのである。これ以降、世間の人間がAの株を買う場合は、「現在の株価」である1万円が基準になる。で、会社の実態も知らずに、Aの株価が短期間で100倍になった、これは成長企業だと思って、慌ててAの株を買う馬鹿が無数にいるわけである。それでAの株価はさらに上がることになる。


 まさか世間の人間はそれほど馬鹿ばかりじゃないだろう、と思うかもしれないが、世間にはかなりな割合で馬鹿がいるのである。大会社の社長や政治家の中にも馬鹿は無数にいる。(また、世の中の金の回り方は、上に行けば行くほど丼勘定になるものなのだ。たとえば、ジェット戦闘機一機の相場なんて誰も判断できないのだから、売る側が10億円だと言えば、それで買うのである。どうせ政府の金であり、どうせ馬鹿な国民の税金から出る金なのだから、それを支払う役人の懐が痛むわけではない。それに、国が高い値段で買えば、当然、担当役人は、相手企業から賄賂が貰えるのである。とにかく、軍需産業ほど丼勘定で、儲かる仕事はない。問題は、世の中が平和になると困ることだが。)


 ホリエモンの手法に戻ろう。


 彼の錬金術のもう一つの手段が株式分割である。株には詳しくないから、適当な推測で書くが、多分こんなことだろう。


 さて、Aの株価は前に書いたように100倍になって1万円になった。ここで、会社が発行する株式の数を100倍にする。つまり、一株当りの実質価値は当然、100分の1に下がったはずだ。しかし、「自分の会社の価値は自分が決める」という原則に従って、それを元の値段で売ることにする。前の段階で、株式総数が100株だったとして、それを100分割すれば、株式総数は10000で、この時点で、会社の見かけの価値はさらに100倍になったわけである。最初の一株100円で100株の段階から考えれば、会社の「価値」は1万倍になったわけである。


 これがホリエモンの錬金術である。細かい間違いはともかく、原理としてはこれに近いものだと思われる。


 株式投資というのは、基本的にギャンブルである。もともとは、成長しそうな企業の株を買って、その会社が成長すれば、株の配当を受けるというのが、本来の株式投資の在り方である。だが、現在の株式投資は、安値で買って、高値で売り、その差額で儲けるという、短期的なギャンブルになっている。金に余裕のある連中の遊びであり、そんな連中が株で損したところで世間の真面目な人間が困るわけではない。ライブドアに投資して損したと騒ぐのは、自分の馬鹿さ加減を世間に示すようなものである。


 


(おまけ) 会社用語の基礎知識


 


1 株主:会社の株(分割された所有権と思えばいい)を買うことで、会社に事業資金を提供している人。つまり、実質的な会社の所有者である。普通は複数の株主がいて、定期的に株主総会を開いて会社全体の経営方針を決定する。


2 社長:会社を経営する最高責任者。会社の事業の最終的判断は彼が行うが、会社の所有者でもあるオーナー社長と、雇われ社長の区別がある。最近は、社長の業務を現場業務に限定してCOO(最高執行責任者)と呼び、社長の上にCEO(最高経営責任者:会長に相当)を置く企業が増えている。


3 取締役:株主総会で選任され、株主の意思を代行する形で会社業務の意志決定に加わり、経営監督を行う。業務を実行する人間と監督する人間が同じであると、経営がルーズになりがちなので、最近は、社外の人間を取締役にすることも多い。業務の監督を仕事の中心とするのは、監査役という。しかし、現実には取締役と監査役の区別はあいまいなようである。


4 損益計算書:一会計期間の企業の経営成績を表示する計算書。つまり、会社がその間赤字だったか、黒字だったかを示す計算書である。


5 貸借対照表:企業の一定時点における財政状態を示す計算書。バランスシートと言う。つまり、持っている金や物(資産)と、借りている金とを対照して並べた表である。普通は、借金(プラス自己資本)と手持ち資産・資本は同額である。というのは、人から金を借りたら、その金は自分の手元にあるので、借金と手持ちの金は同額だからである。仮に、その金を物に替えても、その物も資産として計上されて、借金と釣り合うことになる。つまり、まともな経営をしている限り、バランスシートは、まさしくバランスがとれていることになる。もしも経営者が、借りた金を競馬にでも使ったら、借りた金の一部が行方不明になって、このバランスは崩れるわけである。ただし、こうした「使途不明金」はけっこう巨大なもののようだ。というのは、たとえば暴力団に脅されて金を出すなど、企業には表に出ない費用が結構あるものだし、また、会社の金を盗む社員や役員も結構いるからである。


社員:会社で働く労働者を言う場合と、株主を言う場合がある。

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ブリガドーン

昔はネットが無かったから、分からない事を調べるのが非常に難しく、未知の言葉も、辞書に出ていない類の哲学用語や特殊用語は、調べようもなかった。
そのために、子供のころの疑問は、その疑問そのものを忘れたまま、今でも疑問として記憶の底に沈殿しているのである。
などと書いたのは、先ほどまで寝床の中で読んでいた(図書館から借りた)水木しげるの貸本時代の漫画の中に「ブリガドーン」という言葉が出てきたからである。
これは、私は未見の、ジーン・ケリーの初期のミュージカル映画の題名となっており、私はその題名の意味を知らなかったので、そのまま記憶の底に放置していたわけだ。もちろん、水木しげるの漫画は、その映画と直接の関係はない。これは「ブリガドーン現象」と書かれていて、異世界が突然、現実世界に出現するものらしい。おそらく、映画の「ブリガドーン」もそうした現象をロマンチックに描いたものではないか。(追記:某ツィートから転載。「スコットランドの伝説にある百年にいちど現れる不思議な村。」)
ただし、水木しげるの漫画はロマンチックどころか、魔人、怪人、妖怪の類が東京の調布市に出現したスモッグ空間(1時間に1ミリ拡大している)の中に存在するのである。で、政府はその空間の中に貧乏漫画家一家(水木しげる一家)がいるにも関わらず、「まあ、たかが漫画家一家の生命など無視していいだろう」として、そのスモッグ空間を原爆で爆破しようとするのだが、こうした政府の姿勢は昔も今も同じで、ある意味面白い。いや、能登大地震の処置を見ると、悪化すらしているか。

蛇足だが、昔読んだ「赤毛のアン」の中で、アンが小さな泉を「ドライアドの泉」と名付け、自分ながら素晴らしい名前だと自賛するのだが、私はその「ドライアド」という意味不明の名称をその後、一度も見たことが無かった。しかし、この前「ダンジョン飯」のアニメを見ていたら、その「ドライアド」が出てきて驚いたのである。どうやら、花(植物)が人間の姿をした魔物らしい。最初は美女集団に見えるのだが、主人公たち冒険者グループを見て、凶暴な顔を剥き出しにして襲い掛かるのである。まあ、人間の姿をした植物というとマンドレイク(マンドラゴラ)がお馴染みだが、あれは手を出さなければ害はない。こちらは見かけによらず凶暴な性質のようだ。だが、例によって最後は主人公たちの食材になってしまうのであるwww

要するに長生きしたら、60年の蒙を一朝に啓く体験も時々出て来るので、長生きもなかなか楽しいという話だ。

(追記「怪物森羅万象」から引用)なるほど、主人公ライアス(ライオス?)ら男性組は、ドライアド基準ではハンサムではなかったわけだ。

ドライアドDryad

●ギリシア神話の乙女
ドライアドは、ギリシア・ローマ神話に登場する樹の妖精(ニンフ)です。「ドライアド」「ハマドリアド」とも言い、樹の中に住んでいます。彼女らの名前はギリシア語の「樫の木」を意味する「ドリュスdrys」に由来し、樹に害をなす者を許しません。

ギリシア神話では狩猟の女神アルテミスの侍女とされており、ドライアドを見ると不運になるという言い伝えもあります。基本的に不老で、年を取ることがありません。
有名なドライアドには、英雄オルフェウスの妻となったエウリュディケ、アポロンの求愛を逃れるべく月桂樹に変身したダフネなどがいます。


●ドライアドの伝承
ギリシア神話の中には、樹を切り倒そうとした人びとを止める男の話が出てきます。
ドライアドは助けてくれたお礼に何か欲しいかと聞きますと、男は自分の恋人になってほしいと言います。男は美男子で力もあったので、ドライアドは了承しました。
そこまでならいいのですが、ある時、男が将棋に熱中してドライアドとのデートの約束をすっぽかしてしまったので、怒ったドライアドは、蜜蜂をけしかけて彼の両眼を潰してしまいます。蜜蜂は木のうろに巣を作るので、彼女の命令を聞くのです。

また、あやまって自分の蜜蜂を全滅させた男が、ドライアドを探す話もあります。


●ドライアドの弱点
ドライアドには二つの弱点があります。ひとつは、自分の住む樹が枯れたり、倒されたりすると、彼女たちも死んでしまうこと、もうひとつは、自分の住んでいる樹からあまり離れることができないことです。

彼女たちは二枚目に弱く、自分たちの好みの男性を樹の中に取り込んで、生ある限り樹の中で一緒に暮らそうとしますが、もしそういう目に遭いそうになった時には、彼女たちの支配する樹から一目散に逃げると良いとされています。



●亜種・別名など
ドライアード/ドリュデス/ドリュアデス/ハマドリュデス/ハマドリアド


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素人が外国でビジネスに関わる危険性

大谷(水原)問題の真相は明らかにこれだろう。実に合理的な説明である。つまり、大谷は完全に被害者。3番4番の解説は、ある意味凄い。相互に言葉が通じない者どうしが通訳を介してビジネスをすることもあるアメリカならではの詐欺手法である。水原一平はこれだけの頭脳と度胸と対人スキルを持っていれば、まともなビジネス(合法的詐欺でもいいがww)でも成功できたのではないか。

(以下引用)



hi

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元号と西暦

私は元号というものに特に思い入れはないが、面白さは感じている。
たとえば、今年(正確には昨年末)、郵便局で貰った2024年のカレンダーには2024年という西暦の下に少し小さく「令和6年」とあり、さらにその下に、より小さく「平成36年 昭和99年」とあり、昭和天皇が存命だったら、今年は昭和99年だったのかと面白い。さらに、差し引き計算をして、平成は30年、昭和は63年続いたのだな、というのも分かって、これも面白い。ついでながら、平成元年は昭和64年と重なる。昭和天皇御大葬の儀が昭和64年の新年早々にあったので、これは記憶に残っている。つまり、昭和64年は7日間しか無かった。(小渕官房長官がテレビで「平成」と書いた紙を掲げてみせたのを私は見ている。)令和元年も平成31年と重なるのではないか。(生前退位という珍しい形で、年度途中で元号変更したような記憶がある。)
そして、明治元年が1868年だと思うから、2024ー1867で、今年は明治157年に当たるのだろうか。
長さで言えば、明治は45年、大正は15年あった(続いた)ようだ。案外覚えやすい。
年号には重なりがあるから、上で書いた計算には思い違いがあると思うので、あまり真剣に受け取らないでほしい。(そもそも寝起きの朦朧とした頭で書いているのである。)

それにくらべると西暦のほうが単純ではあるが、そもそも西暦はキリスト誕生を紀元としながら、後の歴史的考証で、キリストは西暦1年より何年も前に生まれているとされている。つまり、キリストはキリストが生まれていたはずの年より前に生まれている(キリストは「キリスト」が生まれる前に生まれている)わけだ。そうすると、西暦とは、何の根拠もなく適当に決められた暦法だとなる。

まあ、事務作業や公的作業(役所関係書類)では西暦のほうが便利であるのは言うまでもない。
元号は、「歴史を記憶するのに手がかりになる」面が大きなメリットだ。私など、現代史の西暦では1941年(太平洋戦争勃発)と1945年(太平洋戦争終結)しか覚えていない。

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スカルアンドボーンズのエンブレムの謎

「大摩邇」所載の岡氏の記事の一部だが、記事内容より、記事中に載っているスカルアンドボーンズのエンブレムの図が興味深いのでメモとして載せておく。
どこが興味深いかというと、ここに描かれた骨が人体の骨に見えないことだ。
骨盤との接合部らしい骨からいきなり足指の部分までひとつの骨(つまり、膝が無い)で、しかも足指らしい部分も指というより、指に見せかけただけのものに見える。
このような骨格は、悪魔ですらなく、まあ、宇宙人の骨格かもしれないwww  あるいは「人間型有機ロボット」か。実際、人間型ロボットを作るなら、膝の部分を作る必要性は少ないだろう。(この骨の形態が誤認識によるものとは考えにくい。彼らは狩猟牧畜民族なのであり、動物の骨格は明瞭に認識しているはずだ。もちろん、この奇妙な骨に象徴的意味がある可能性もある。たとえば、「我々は膝を屈しない」とかwww)

(以下引用)


先日の記事「クロウリーが悪魔アイワスと交信した…」の中で、スカル・アンド・ボーンズという米イェール大学の秘密結社について書いた部分がありました。


説明によれば、両ブッシュ大統領の他、CIA 長官や国防総省などのメンバーを輩出(?)してきた秘密結社のよう DEATH。


そのスカル・アンド・ボーンズの象徴数が、


「 322 」


であることには興味を持ったのですが、意味はわかりませんでした。


スカル・アンド・ボーンズのエンブレム


 


そうしましたら、読者様が「あの数字は旧約聖書の創世記の由来」だと教えて下さったんです。


創世記では、神がアダムに「善悪の知識の実だけは食べてはならない」と命じたのですが、その後に創造されたイヴさんは、ヘビにそそのかされて、善悪の知識の実を食べてしまうんですね。イヴに勧められたアダムも、その実を食べてしまう。



女の子に勧められるままに男性が得体の知れない飲み物を口に入れたりするというのは、ガールズバーなどでよく見られる光景ですが、ふたりが禁断の果実を食べてしまったことを知った神の言葉が書かれているのが、創世記の 3章 22節でした。


旧約聖書 創世記  03章 22節


主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。


この 3章22節の「 322 」が、スカル・アンド・ボーンズの象徴数だということには、何となく納得感があります。


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「酔生夢人=トマス・モア」かwww

このブログの「思想・哲学・宗教」ジャンルの中に入れてある「価値論」の一節が、今読んでいるトマス・モアの「ユートピア」の一節とそっくりなので、後者を紹介する。なお、この書は冒頭部が実に読みにくいので、私はこれまで通読したことが無かった。したがって、私の「価値論」は、この書とは無関係である。つまり、私はトマス・モアと同じレベルの思想家らしいwww

(「ユートピア」から抜粋転載)

こういう見かたからすれば、金銀が鉄に比べてはるかに劣っているということをわからない人がいるでしょうか。人間は鉄がなければ火や水がないのと同様に生きてゆけません。ところが、人間はその愚かさゆえに稀少なものは価値あるものだと決めたから話は別ですが、自然は金銀にたいして、われわれが容易に無視できぬようなたいせつな用途を与えはしませんでした。かえってその反対に、自然は慈愛あふれる母親のように、たとえば空気、水、大地のような、それぞれ最善の贈りものを公開してわれわれの手近なところにおき、空虚かつ虚無なるものをわれわれからなるべく離れたところに遠ざけたのです。

(以下自己引用)


第3節 物の価値




 




 第1節で「社会的価値観」について述べたが、実は、価値の相場は合理的に形成されるわけではない。




 誰でも、黄金は価値があると思っている。だが、その価値は主として「希少さ」によっているのである。誰かが言っているが、黄金より土が少なかったら、土のほうが価値が出るだろう。希少さとは無関係に、実際に土のほうが価値があるとも言える。なぜなら、黄金の上に作物はできないからだ。我々は土に価値があるなどとは思わない。それは周りに膨大にあるからだ。だが、飢饉が来れば、作物を生やしてくれる土地の価値が、はっきりとわかるはずである。そのとき、黄金が、いかに無価値かもわかるだろう。問題が少し違うが、インカ帝国にもしも黄金がなければ、スペイン人たちはインカ帝国を滅ぼさなかったかもしれない。インカ帝国にとっては、黄金は災いを招く存在であった。インカ人自身にとっても黄金が、価値がそれほどあったとは思われない。なぜなら、スペイン人に略奪されるまでは、彼らにとって黄金はありふれた存在だったからである。そのへんの石ころと同じ比率で黄金があれば、誰が黄金を崇めるだろうか。(このことを敷衍すれば、世界中の人間が美男・美女になった世界では、美男・美女の存在価値は無いことになる。)




 土と同様に、我々がその価値に気付かないものが、空気と水である。我々が生存できるのは、ひとえに空気と水と土のおかげであり、それ以外のものは生きる上では剰余にすぎない。もちろん、文化とはその剰余のことではあるのだが、少なくとも生存上の第一義的なものは、この三者なのである。




 さて、この人間社会では、黄金は価値があるとされている。そこで、黄金を独占した人々は、その相場を自分たちで決めることで、他人の上に立ち、優雅な生活を送ることができるわけである。つまり、社会の構成人員を「黄金は価値がある」と教育すれば、その後はほぼ永遠に富の独占ができるわけである。




 いや、黄金はそれ自体価値がある、と異論を述べる人もいるだろう。何しろ、容易に加工できる「美しい」金属で、しかも時の浸食を受けない。だから黄金には絶対的な価値があるのだと。なるほど、それらの美点は確かにある。特に、貨幣を作る上で、黄金はいい原材料だろう。そうした価値を否定はしない。貨幣経済の上に成り立っているこの社会を維持する上で、黄金は重要な要素には違いない。しかし、黄金の持つ価値は、必要以上に吊り上げられているのではないだろうか。他の貴金属や宝石なども同じである。




 では、芸術品の価値はどうだろうか。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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