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鬼と気

某小説を読んでいると、「天邪鬼」という言葉が出てきて、なぜ「邪鬼」なのに「天の」という冠がつくのかという疑問が出て来たので、調べてみた。まあ、下の引用文の解説が信頼性があるかどうかは知らない。「天」に反逆する(邪魔をする)鬼だから「天邪鬼」というのは無理めの感じがある。米国に反逆する軍は「米軍」か? www やはり「天に属する邪鬼」(そんなのがいるとすればだが)をこそ「天邪鬼」と言うべきだろう。「あまの」という読み自体、それが「天に属する」意味だ。「邪」は「正」の対義語であって、「邪鬼」だけですでに天に逆らう意味が含まれており、天に逆らうことを強調するならせいぜい「反天鬼」くらいか。

なお、その時の迷走的妄想の中で、「気」と「鬼」は同根なのではないか、とも考えた。その理由は「自分の心(意思)のままにならない存在」の謂だ。我々の心には必ず鬼がいる。それを表象化したのが絵やお話の「鬼」の姿である。だから、「泣いた赤鬼」の童話のように、優しい鬼、というのも存在するわけだ。
なお、中国では「鬼」は死んだ人間の魂、幽魂、あるいはそれが目に見える存在となったものでもある。つまり、「鬼=気」説は必ずしも妄想とも限らない。
「気」が自分の意のままにならないのは、我が身を振り返ってみれば誰でも納得するだろう。憂鬱な気分の時に、意志力によって快活になるのは困難だ。しかし、肉親が死んだ時でも、誰かの冗談でつい笑ってしまうこともあるだろう。つまり、「気は気まぐれ」なのである。これをグルジェフ流に言えば、「理性と感情は別のセンター(支配主・中心点)がある」という思想になる。理性よりは感情のほうが「気」に近いのではないか。だから意のままにならないわけだ。外面が陽気な人が突然自殺したりすることもある。それは理性ではなく「気分」に支配されたのだろう。


(以下引用)

「あまのじゃく」の語源・由来

「あまのじゃく」の元となったのは、日本神話登場する女神女神天探女あまのさぐめ)」だとされている。女神天探女は、人の心を読むことができ、その心とは逆の行動をする女神であった。そして、神の意思に従わなかったため、天の邪魔をする者という意味の「天邪鬼(あまのじゃく)」として扱われるようになった。そのため、本心とは異な行動言動をしてしまう人を指す言葉として、女神天探女の別名である、あまのじゃくという言葉定着した

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