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難関大学の解答欄の大きさの問題

見たいアニメがほとんど無い(「ダンジョン飯」とその他ふたつくらいしかない)ので、仕方なく実写ドラマを見ているが、「ドラゴン桜2」は面白い。今回など、まるで「女王の教室」のような政府(あるいは日本社会)批判があって、驚いた。東大など、この国を悪化させたエリートの巣窟ではないかwww しかし、確か原作漫画も東大卒の編集者がかなり原作脚本(あるいはプロット)に関与していたはずで、東大入試問題の特徴など、よくつかんでいる。
要するに「物事の本質」を把握する能力を見るというものだ。私は国語以外の問題は知らないが、国語の場合は「解答欄」があまりに小さいのがその特徴である。つまり、無駄なことはまったく書けないから、解答者がその問題の本質にいかに迫っているかが分かるわけだ。ただし、採点者自身が、「本質的模範回答」を作っているかどうかが問題で、赤本、黒本、青本など、出版社によって模範回答が違っていることも多いのが東大国語問題の特徴だとも言える。
そういう見方で言えば、最近のネットの、長いコメントに対する「3行で言え」という茶化しコメントなどは東大的だと言える。
まあ、テレビに出ている一部の言論人の、長くて何が言いたいのか分からないコメントには「3行で言え」が正しい反応だろう。意図的誤魔化しもあるし。
ちなみに、京大の国語は東大の正反対で、解答欄が異常に大きい。これは、その人間の思考や知識を多角的に見ようという、「親切な」問題作成姿勢だと思うが、採点者は大変だと思う。
ただし、ここに書いた入試問題の話は20年以上も前の話で、今でも東大や京大の問題がそういうものかどうかは分からない。細部では流行は追うが、本質は変わらないのが教育界だから、変わっていない気がするが。

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うちわたす遠方びとにもの申す

今朝の散歩の浮遊思考である。まあ、自分の思考を思い出すこと自体がボケ防止策のつもりだから、書く内容はどうでもいいのである。
最初に考えたのが、源氏物語の一節の、その中のある発言である。なぜそれを考えたのか、きっかけは分からない。(今思い出したが、散歩の最初に通りかかった家の庭に白い、匂いの良い花が満開に咲いていたのだった。)とにかく、頭に浮かんだわけだ。ただし、私は源氏物語は原文はもとより現代語訳も読んだことがない。覚えているのは、たぶん田辺聖子の「文車(ふぐるま)日記」からだと思う。田辺聖子の本も、まともに読んだのはこれだけだが、これは素晴らしい本で、すべての日本人が古典文学、特に女流古典文学への案内役として読むべき本で、読めば一生の精神的財産になる。
で、その中に源氏物語のある場面が紹介されていて、その中の登場人物(たぶん、光源氏か)が、夜中にある女性の家を訪ね、どこかの家の庭に咲いている白い花に気を惹かれて、その花の傍にいた人間にこう聞くのである。私の記憶のままに書くので、間違いがある可能性が高いが、こういう言葉だ。
「うちわたす遠方(をちかた)びとにもの申す それ、そのそこに咲けるは何の花ぞも」
何ということもない台詞だが、私がこれを読んだ時から今まで、そのだいたいを覚えているほど、この言葉が記憶に残っている。まあ、こういうのが精神的財産だ、と私は言うのである。今でも、闇の中に咲く白い花を見たら、たぶんこの言葉が胸に浮かぶだろう。(実際、そうだったことに後で気づいたのだが。)
「それそのそこに」という言葉のリズムが素晴らしい。しかも、心理的に自然である。最初は「それは」と言おうとして、次に「その花は」と言おうかと迷って、さらに「そこに咲いている花は」にしようかと迷い、一瞬のうちに「それそのそこに咲ける(花)は」となったのだろうと読む人に想像させる。こういう描写を無駄と思うなら、小説など読む必要はない。まあ、三島由紀夫が言うように、小説を読むとは「文章を(味わい)読む」ことなのだが、今の人は大衆小説しか読まないだろうし、大衆小説にまでいちいち文章を味わいながら読む人は多くはないだろう。

その後、暖かいので山道ではなく海岸の道を散歩コースに選び、視野の上3分の2は美しい朝空、下3分の1は鏡のような朝凪の海という素晴らしい景色を見ながら散歩し、その歩いている間に「朝日のように爽やかに」の曲が頭の中をスキャットで流れ、その歌詞のことなど考えたのだが、それは前にも書いた気がするので、ここには書かない。

*厳密に言えば、散歩コースを海岸道路に決めたのは最初からだったので、「白い花」の浮遊思考の後ではない。で、その思考の分析をしているのは散歩から帰って、ゴミ出しをし、庭猫に餌をやってからである。これもついでに言えば、私は「うちわたす」をどう現代語訳するのか分からない。私の古典への教養はその程度だし、書いていることのたぶん半分は妄想と誤解である。


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コスモポリタニズムのこと

昔のほうが、世界各国の文化が日本に輸入されて、今の「英語圏一極支配」のグローバリズム世界の中の日本よりも、よほど本物の国際性があったように思う。歌で言えば、シャンソン、ロシア民謡、ファド(ポルトガルの歌謡)、カンツォーネから、インドネシアの歌まで歌われていたのである。この「インドネシアの歌」とは、我々の年代には、「意味不明の歌詞」の歌として有名だった「ジンジロゲ」がそれであったはずだ。(曲は日本人の作曲かもしれないし、作詞もそうかもしれないが、言葉はインドネシア語のようだ。)あるいは、「モスラ」の映画の中でザ・ピーナッツの双子の小美人の歌う「モスラー、ヤ、モスラー」の歌も冒頭以外はインドネシア語だったと聞いた気がする。つまり、日本軍が「侵略した」東南アジアや中国の歌や言葉が日本に輸入されてもいたわけだ。戦争が、文化交流の面を持っていた、と美化する気はないが、自然とそうなるわけだ。
こういうのを、私は「グローバリズム」ではなく、「コスモポリタニズム」と呼びたい。グローバリズムが英語支配による世界文明の平準化・均質化であるのに対し、コスモポリタニズムは、各国の文化的個性、社会的個性を残したまま、平和に国際交流をするという思想だ、と、ここで定義しておく。ちなみに、「コスモポリタン」を訳すなら「世界市民」だろう。

などと書いたのは実は前置きで、先ほどの散歩の間に私の頭の中に流れていた歌があり、それは昔の「歌声喫茶」の時代に少し流行ったロシアかどこかの唄のようだ。題名は知らないが「泉に水汲みに来て」と、歌の冒頭の歌詞を題名としておく。
小学校低学年のころに聞き覚えた、うろ覚えの歌詞なので、いい加減な記憶で思い出せるかぎりで書いてみる。

泉に水汲みにきて
娘らが話していた
若者がここへ来たら
冷たい水あげましょう

緑の牧場に髭面の
兵士がやってきて
冷たい水が飲みたいと
娘たちに頼んだ

「美しい娘さん
髭面を見るな
兵士にゃ髭も悪いものじゃない
私は陽気な若者

ひと月もの戦いで
髭も髪も伸びたのさ
このむさくるしいなりを
娘さん許してくれ」

そこへ床屋の兵士がやってきて
「髭面みな集まれ!」
(以下忘却。当然、髭面の若い兵士が髭も髪も刈って美青年に早変わり、となって大団円だろう)


私がこの歌が好きなのは、この兵士の「このむさくるしいなりを 娘さん許してくれ」という、ジェントルマンぶり(女性への敬意)にある。西洋文明の精神のわずかな美点は、こういうところだ。それを偽善と言わば言え。善は偽善から始まるのである。









今、思い出したが、弘田三枝子の「悲しき16歳(原曲Too many rule)」の日本語版の中で、

Too many rule, too many rule

の部分を「夢見る、夢見る」(「早く大人になりたい~♪」と続く)と訳した(いや、換骨奪胎した)のは天才的だと思う。つまり、英語をそのまま使うのではなく、日本語の中に咀嚼する表現が昔はあったわけだ。これが、グローバリズムとコスモポリタニズムの違いだ、と言えば強弁だろうか。自国語や自国文化への誇りと自信を失わないままでの「世界交流」だ。
その一方で、「若年介護者」を「ヤングケアラー」などと欺瞞的に英語表現するのが、まさにグローバリズム的な英語の使用、あるいは電通的手法である。英語=カッコいいという、中二病心理の悪用である。そこには介護の苦労、若年介護者の忍従が隠蔽されている。


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「君の瞳に乾杯」

前に引用した小鷹信光の英語蘊蓄本の中に「カサブランカ」の例の「君の瞳に乾杯」の名セリフは誤訳だ、みたいな言葉が出て来るが、ズルいことに、「正しい訳」は何かは書いていない。
元の台詞は

「Here's looking at you」らしいが、さて、あなたはこれをどう訳すだろうか。

私の意見では、「君の瞳に乾杯」は、苦心の訳であり、名訳だと思う。
直観的な解釈だが、この台詞は

Here's something loooking at you

のsomethingを省略したもので、そのsomethingとは、グラスの酒を意味していると思う。
つまり、「酒が(飲んでほしいと)君を見ている」のだから、「君に乾杯」であるが、グラスの酒が「美しいあなたを見ている」のだから、「君の瞳に乾杯」は名訳だというわけだ。lookingという言葉が瞳を暗示しているということである。

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つまり、柔道の「自然体」と「自護体」ね

まあ、カネのかかる話なので庶民には無関係な話題だが、「免震」と「耐震」というのがどう違うのか、読んだついでに転載する。もっとも、記事中にその説明はないが、想像はできる。
要するに、「免震」は、基部(土台)をゴムなどで作ることで、地震の際に建物が「地面と共に揺れる」ことがないというものだろう。基部は地面と共に揺れるが、主体構造部は慣性でその位置にとどまるわけだ。「耐震」は、建物全体が揺れるので、根本的には被害は防げないというか、大きな揺れには「耐えられない」ということだと思う。「耐震」も耐える限度があるわけだ。
法隆寺五重塔などが一種の「免震」構造らしいと聞いたことがある。

(以下引用)

免震化で被害なし 耐震化は被害 明暗分かれた建物 能登半島地震


配信

読売新聞オンライン

免震化で損傷なし 耐震化で損傷


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児童文学から見る経済考察

リンドグレーンの「ラスムスくん英雄になる」という児童文学を読んでいると、スウェーデンの通貨単位である1ヨーレが日本の「70銭」に相当する、という注釈があり、念のためにこの本の第一冊発行年を確認すると1965年である。その年でも日本本土では「銭」という通貨が使われていたのだろうか。そして、銭という単位が無くなったのはいつなのだろうか。
ちなみに、1965年当時の沖縄は米国統治下にあり、ドルが使用されていた。25セントで「Cランチ」と呼ばれた立派なトンカツ定食(+サラダなど)が食えたから、25セントが今の500円硬貨くらいの価値だったのではないか。いや、今の物価高の日本なら1000円くらいの価値か。つまり、(1ドル=150円どころか)今の4000円が昔の1ドルの価値しかないわけである。まあ、カネの価値がどんどん低下しているのは日米とも同じだから、こうした比較は「GDPの増大とは結局はカネの価値が低下しただけ(単なる金融バブル状態)である」という結論になりそうである。


(以下引用)

あの日の沖縄



1958年9月16日 B円からドルへ法定通貨の切替え

 この日、沖縄での通貨がB型軍票(いわゆるB円)から米国ドルに統一されました。当時、沖縄は米国施政権下にあり、米軍が発行する緊急通貨であるB円が流通していました。琉球列島米国民政府高等弁務官は布令第14号「通貨」を発してB型軍票を廃止し、琉球列島における法定通貨を米国ドルと定めました。
 米軍は、沖縄の経済発展のために外国資本を積極的に導入して、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ろうとしました。国際基準通貨であるドルへ移行することは、外資導入促進政策の一環とされました。ドル通貨制への賛否両論の渦巻く中で、9月16日から20日の間に1ドル120B円と、B円高の比率で通貨交換が実施されました。

銀行窓口でのB円からドルへの通貨交換 1958年9月16日【0000108928/059482】
 米軍は沖縄における通貨制度を二転三転しました。終戦直後の無通貨時代(配給や物々交換)を経て、緊急通貨B円の発行、新日本円への移行、B円を法定通貨に再指定(新日本円との二本立て通貨制)、その後B円を再び法定通貨に統一しました。
この1958年(昭和33)の通貨切替えから日本への施政権返還まで、沖縄では米国ドルが流通しました。1972年(昭和47)5月15日の日本復帰の日に米国ドルから日本円への通貨交換が行われ、沖縄は27年間に7回も法定通貨の変更を経験したことになります。

「ドル交換 首里支所」1958年9月17日【0000112303/10-56-1】


【参考・引用文献】
・牧野 浩隆 「通貨制度」『沖縄大百科事典 中巻』 1983年 沖縄タイムス社
・牧野 浩隆 『戦後沖縄の通貨(下巻)』 1987年 ひるぎ社
・与那国 暹 『タイムス選書 戦後沖縄の社会変動と近代化』 2001年 沖縄タイムス社



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般若心経と「ルール・ブリタニア」

今朝の未明の散歩の浮遊思考は、最初が仏教哲学のことで、その真髄は「色即是空 空即是色」にある、ということで、さらに、なぜ「色=空 空=色」になるかと言えば、その中間に「この世界の観察者」としての「我」があるからだ、ということで、当たり前と言えば当たり前だが、あまり誰も言っていないことのような気がする。
仏教とは畢竟、これだけのことで、だから、これは宗教ではなく哲学だ、と私は言っているのである。単純だが、このことを理解すれば、解脱できる。まあ、輪廻とは結局「迷いの世界」のことだ、というのが私の解釈だ。このことは前に何度か書いてあると思うが、いずれまた書くかもしれない。ちなみに、「色」とは、すべての現象のことである。
それから、源実朝の歌になぜ字余りが多いのか、という浮遊思考が浮かんできたが、そのきっかけというか、連想の元になったのが「もの言はぬ 四方(よも)のけだものすらだにも あはれなるかなや 親の子を思ふ」という歌で、正確な引用かどうかは保証しない。つまり、前の仏教思想からの関連で、「人間の情」と「色即是空 空即是色」は折り合いがつくかどうか、というのが潜在意識にあったのだろうと思う。で、源実朝という「政治家」は、感情過多の人間だったと私は想像しているのだが、「あまりに同情深い」というそれは人間としての美質だが、彼が若くして暗殺されたことは周知の事実だ。つまり、「用心深さ」が足りなかったのかもしれない。
さらに、これらのことを考えながら歩いている間中、通奏低音のように、あるメロディが心の底で流れていたのだが、それが何かと考えて、しばらくの思考の後、「ルール・ブリタニア」だと判明した。帝国主義イギリスを象徴するような軍歌(第二国歌とも言われる)で、行進曲でもあるから、散歩の伴奏曲向きではある。その歌詞をネットから探して載せておく。日本の軍歌とはかなり趣が違うことが分かるだろう。帝国主義、侵略主義の堂々たる正当化であるwww ちなみに、ブリタニアは「ブリテン」の語源と言われる女神である。意味を補って歌の題名を訳すなら「ブリタニア女神(英国)よ、世界を統治せよ」だろうか。







(以下引用)



歌詞[編集]

When Britain first at Heav'n's command
Arose from out the azure main;
This was the charter of the land,
And guardian angels sang this strain;
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
この世のはじめ 神の命を受け
碧海の中から興る ブリタニア
「これこそ証 国の証ぞ」と
守護天使らは斯く 歌い合えり
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
The nations not so blest as thee,
Shall in their turns to tyrants fall;
While thou shalt flourish great and free,
The dread and envy of them all.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
汝より祝福されえぬ国は
暴虐なる支配者の前に伏すだろう
なれども汝、豊かに自由に繁栄し
他の恐れと羨望 その身に浴びるを 感じるだろう
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
Still more majestic shalt thou rise,
More dreadful from each foreign stroke;
As the loud blast that tears the skies,
Serves but to root thy native oak.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
他国らがさらに畏怖して見つめる程
汝は尚も威厳もて育つべし
自然の樫の根付くことを除き
汝に服す 天裂く疾風の如く
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
Thee haughty tyrants ne'er shall tame,
All their attempts to bend thee down
Will but arouse thy generous flame;
But work their woe, and thy renown.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
汝を屈さす力無き 暴君の
汝をおとしめんとする 試みは全て
怒りに代えて 寛大なる情熱と
彼らの悲劇と 汝の名声立たしむ
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
To thee belongs the rural reign;
Thy cities shall with commerce shine;
All thine shall be the subject main,
And every shore it circles thine.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
汝にとって 支配は田舎の平和な地までも
汝の都市は 商業の繁栄をうけ
汝のものは全て 僕なる海原と
汝を取り巻く 数多の海の国
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ
The Muses, still with freedom found,
Shall to thy happy coast repair;
Blest Isle! With matchless beauty crowned,
And manly hearts to guide the fair.
Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall[will] be slaves.
自由を見いだし給う 九女神
汝の幸福のため 浜辺を整えり 
ああ聖なる島よ! 無比の美を冠し
正義を守る 雄々しき心を秘めた
統べよ、ブリタニア! 大海原を統治せよ
ブリトンの民は 断じて 断じて 断じて 奴隷とはならじ

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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