グーブログ事務局が、「部落」や「同和」という言葉にフィルターをかけて、ブログを無断削除してしまう問題を前回に報告した。
文句を言った私は、たぶんグーを排除されるだろうが、ケツをまくって、親会社のNTTに対しても屁をかけずにはいられない。
今、NTT上層部に届けるための文句を考えているところだ。
私は、かつて(半世紀前)、NTT人事部に「部落地名総鑑」が置かれていて、新入社員の採用にフィルターをかけていたことを覚えている。
1970年代くらいまで、銀行や公的機関、一部上場企業などの大半が部落地名総鑑を利用していたのだが、1980年代になって、部落解放同盟による糾弾運動があり、企業人事部がこれを使うことを躊躇するようになった。
このときのトラウマが原因で、たぶんNTT全体で部落問題に過敏になって、「部落」や「同和」という用語を見ただけでヒステリーを起こして排除するようになったのだと理解している。
NTTの下部企業体であるGoo事務局にも、それが及んでいると考えた。
実は、部落地名総鑑を扱っていたのは、大企業だけではなく行政にまで及んでいた。警察にも備えられていた。だから狭山事件の石川さんの問題は、部落差別と切り離して考えるわけにはゆかず、狭山事件の本質を語るため部落問題の紹介が絶対に必要不可欠な問題だった。
しかし、どんなに部落問題を「存在しないもの」として隠そうとしても、それが、とてつもなく深刻な生活障壁として立ち塞がっていた歴史的事実があり、それによって、さまざまな記録が残され、さらに、たくさんの文芸作品も存在している。
どんなに隠そうとしても、絶対に隠しきれないほど深刻な、今でも人々の心を直撃し続けている問題なのである。
それは行政によって隠されることで、さらに恐ろしい潜行的な問題を噴出させている。
全国で部落差別が著しい地域といえば、関西地区全体がそうだが、わけても①奈良県 ②滋賀県 ③岡山県などがひどい。
大阪市・神戸市は、韓国の4・3済州島事件や保導連盟事件の李承晩による大虐殺を逃れて、数万人の韓国人が密入国してコロニーを作ったことで、部落差別問題は、韓国人問題にすり替わってしまっている。
2012年に安土町が近江八幡市と合併するとき、住民は「エタの町と一緒になるのか」と発言し、町長をリコールしてしまった。
その近江八幡市は、滋賀県内で豊郷町と並んで最大級の未解放部落が存在した。
近江八幡で生まれ育った岡林信康は、名曲「手紙」 「チューリップのアップリケ」のなかで、その一端を伝えているが、この歌詞はすべて1960年頃の実話であり、当時、我々の心を深く揺さぶった。
近江八幡市の22歳の女性が、大好きな恋人のミツルさんに手紙を送ったあと、自ら命を絶った。
なぜ彼女が死ななければならなかったのか? それは部落問題を知らなければ絶対に理解できないことだ。
グーブログ事務局は、この作品を無条件に削除してしまうにちがいないが、若者たちに悲劇の真実を教えようとしない、無条件排除の姿勢が正しいのか? 考えてほしい。
近江八幡には、極めて深刻な差別主義の伝統があって、スーパーに買い物に来た、何の落ち度もない70代の女性に対して、「いなり寿司を盗んだ」と冤罪の言いがかりをつけて、警察は三日間も拘束している。
在庫数と販売数が一致したことから冤罪が分かった。こんなこと普通のスーパーではありえない。店員は在庫の確認もしないまま警察に告訴したのだ。
これは近江八幡の住民にある、歴史的な差別の伝統から来ているものであり、部落問題を理解できなければ、この事件も理解できない。
近江八幡市に隣接する東近江市の湖東記念病院では、恐ろしい冤罪事件が起きた。
入院患者の死について、誰かが意図的に呼吸チューブを外したせいだと疑った近江八幡警察署員は、知的障害のあった西山美香さんにウソの自白を強要し、殺人犯にでっちあげた。
西山さんは冤罪で10年間服役させられ、出所後に再審請求を行い無罪を勝ち取った。
これも、近江八幡という地域に根ざした、部落民や障害者に対する差別感情、蔑視がなければありえない事件だった。
部落差別の歴史を知らなければ理解できない事件は、無数と言えるほど存在している。
たとえば名張毒葡萄酒事件や、狭山事件、八鹿高校事件など非常に多く、いずれも背景を知らなければ理解しようがない。
古い話で恐縮だが、青葉君が登場するまで、日本最大殺人事件として八つ墓村のモデルになった、津山30人殺し事件も、その背景に部落問題があった。
部落民だった加害者、都井睦雄(21歳)が、当時、夜這い(娘が初経を迎えると離れに寝かせ、近所の男たちが忍んでくる)の風習が残っていた集落で、ある女性に夜這いをかけたところ、彼女は部落民を理由に拒否した。これで怒り狂った都井は女性の集落を片っ端から襲って大量殺人を行った。
これも部落問題を理解できなければ、事件の意味を知ることもできない。また西日本の夜這い地帯の父親の特定が困難である理由も分からないだろう。
この事件は、岡山における夜這い習慣の廃止に大きな貢献をした。
部落問題を扱った文芸作品として著名なものは、島崎藤村の「破戒」である。
長野県も岐阜県も、部落差別は潜行しているものの深刻である。主人公の瀬川丑松は、部落民であることだけが理由で、生徒に詫びなければならなかった。結局、いたたまれずに彼は外国に旅立った。
岐阜県では、1918年に流行したスペイン風邪で、集落が滅亡するほどの被害を受けた地域があった。私の隣村である白川町・黒川村も、若者が大量死したので、村が主宰していた紡績工場が立ちゆかなくなり、各地に村への移住を呼びかけた。
祖母の一家は、このとき、三重県富田村から黒川に移住した。
実は、富田村も部落差別で知られた地域だったので、もしかしたら祖母の実家も部落地域だったかもしれない。
その後、1932~1945年に満蒙開拓団が、信州や東濃地域から大量に出立した。このときも、満蒙に渡航した人々は、被差別地域の人が多かった。
戦前の、日本人の海外渡航は、部落差別問題が深く関与している。地域社会で差別のイジメを受け、肩身の狭い思いをしていた人たちは、差別のない解放された社会を目指して日本を旅立っていったのだ。
およそ、たくさんの人たちが大規模な移住を行うには、前提となる条件がある。
その地域を愛せない、部落差別のような閉塞的な環境があること。そして戦争や天災による社会崩壊である。
天災による移住の例としては、奈良県十津川村の大洪水災害に遭った人たちが、北海道に移住して新十津川町を形成したものがある。
だが、これにも旧十津川の部落差別が影を落としている。
そもそも、日本人の源流である弥生人は、呉越戦争で敗れた水郷呉国の人たちが、皆殺し刑を逃れて船で逃げ出し、一部が有明海にたどり着いたことから始まっている。
他に移住した先は、台湾・山東半島・朝鮮南岸・九州北岸だった。
人は住みやすい環境を求めて移住するのだ。戦前の海外移住者の多くが、深刻な部落差別地域からだった。外国では未解放部落出身者を差別する者などいなかったからだ。
あと、部落問題を扱った文芸作品は数多いのだが、「橋のない川」も有名だ。
奈良県では、現在もなお部落差別の伝統と慣習が厳格に生き残っている。
奈良の人々は、容易に人を信用しない。まず、相手が部落民かどうかが問題になる。
それは部落の人にとっても同じで、「余所者」を受け入れない習慣があるので、民俗学の先駆者である宮本常一も、奈良県での取材は少ない。
下手をすると秘密裏に殺されてしまうからだ。
私も、かなりひどい目に遭った。滋賀県豊郷町に住むYという障害者の人物から、もの凄い嫌がらせを受けて警察沙汰にもなったのだが、ここは被差別集落として有名で、Yから、何万回もの無言電話や、「殺してやる」との脅迫が続いた。
Yは、最近また同じことを繰り返しはじめたので、「今度は実刑だな」と伝えると止んだ。
差別のある地域では、人間性におおらかさが失われ、妬みやそねみ、誹謗中傷に覆われることが少なくない。
元、公安委員長、菅沼光弘が、日本の暴力団員の7割が、在日と同和で占められていると述べた。
私は、部落問題、在日問題、暴力団問題を解決する上で、グー事務局のように無条件削除で「存在しないもの」として扱うのが正しいのか?
それとも、真正面から見つめて、ウソのない問題解決をするのがよいのか? みなさんに問いたい。
もしも行政のように、部落問題を隠蔽工作するなら、島崎藤村も住井すゑも、岡林信康も、この世に存在しないものとして扱うことになると思う。
部落や同和を無条件削除するという姿勢で、本当に問題解決できるのか?
隠せば隠すほど、問題は潜行して、誰にも意味が理解できない不可解な現象が現れるばかりだ。それは闇の勢力や、暴力団をつけあがらせる根拠になってしまうのである。
文句を言った私は、たぶんグーを排除されるだろうが、ケツをまくって、親会社のNTTに対しても屁をかけずにはいられない。
今、NTT上層部に届けるための文句を考えているところだ。
私は、かつて(半世紀前)、NTT人事部に「部落地名総鑑」が置かれていて、新入社員の採用にフィルターをかけていたことを覚えている。
1970年代くらいまで、銀行や公的機関、一部上場企業などの大半が部落地名総鑑を利用していたのだが、1980年代になって、部落解放同盟による糾弾運動があり、企業人事部がこれを使うことを躊躇するようになった。
このときのトラウマが原因で、たぶんNTT全体で部落問題に過敏になって、「部落」や「同和」という用語を見ただけでヒステリーを起こして排除するようになったのだと理解している。
NTTの下部企業体であるGoo事務局にも、それが及んでいると考えた。
実は、部落地名総鑑を扱っていたのは、大企業だけではなく行政にまで及んでいた。警察にも備えられていた。だから狭山事件の石川さんの問題は、部落差別と切り離して考えるわけにはゆかず、狭山事件の本質を語るため部落問題の紹介が絶対に必要不可欠な問題だった。
しかし、どんなに部落問題を「存在しないもの」として隠そうとしても、それが、とてつもなく深刻な生活障壁として立ち塞がっていた歴史的事実があり、それによって、さまざまな記録が残され、さらに、たくさんの文芸作品も存在している。
どんなに隠そうとしても、絶対に隠しきれないほど深刻な、今でも人々の心を直撃し続けている問題なのである。
それは行政によって隠されることで、さらに恐ろしい潜行的な問題を噴出させている。
全国で部落差別が著しい地域といえば、関西地区全体がそうだが、わけても①奈良県 ②滋賀県 ③岡山県などがひどい。
大阪市・神戸市は、韓国の4・3済州島事件や保導連盟事件の李承晩による大虐殺を逃れて、数万人の韓国人が密入国してコロニーを作ったことで、部落差別問題は、韓国人問題にすり替わってしまっている。
2012年に安土町が近江八幡市と合併するとき、住民は「エタの町と一緒になるのか」と発言し、町長をリコールしてしまった。
その近江八幡市は、滋賀県内で豊郷町と並んで最大級の未解放部落が存在した。
近江八幡で生まれ育った岡林信康は、名曲「手紙」 「チューリップのアップリケ」のなかで、その一端を伝えているが、この歌詞はすべて1960年頃の実話であり、当時、我々の心を深く揺さぶった。
近江八幡市の22歳の女性が、大好きな恋人のミツルさんに手紙を送ったあと、自ら命を絶った。
なぜ彼女が死ななければならなかったのか? それは部落問題を知らなければ絶対に理解できないことだ。
グーブログ事務局は、この作品を無条件に削除してしまうにちがいないが、若者たちに悲劇の真実を教えようとしない、無条件排除の姿勢が正しいのか? 考えてほしい。
近江八幡には、極めて深刻な差別主義の伝統があって、スーパーに買い物に来た、何の落ち度もない70代の女性に対して、「いなり寿司を盗んだ」と冤罪の言いがかりをつけて、警察は三日間も拘束している。
在庫数と販売数が一致したことから冤罪が分かった。こんなこと普通のスーパーではありえない。店員は在庫の確認もしないまま警察に告訴したのだ。
これは近江八幡の住民にある、歴史的な差別の伝統から来ているものであり、部落問題を理解できなければ、この事件も理解できない。
近江八幡市に隣接する東近江市の湖東記念病院では、恐ろしい冤罪事件が起きた。
入院患者の死について、誰かが意図的に呼吸チューブを外したせいだと疑った近江八幡警察署員は、知的障害のあった西山美香さんにウソの自白を強要し、殺人犯にでっちあげた。
西山さんは冤罪で10年間服役させられ、出所後に再審請求を行い無罪を勝ち取った。
これも、近江八幡という地域に根ざした、部落民や障害者に対する差別感情、蔑視がなければありえない事件だった。
部落差別の歴史を知らなければ理解できない事件は、無数と言えるほど存在している。
たとえば名張毒葡萄酒事件や、狭山事件、八鹿高校事件など非常に多く、いずれも背景を知らなければ理解しようがない。
古い話で恐縮だが、青葉君が登場するまで、日本最大殺人事件として八つ墓村のモデルになった、津山30人殺し事件も、その背景に部落問題があった。
部落民だった加害者、都井睦雄(21歳)が、当時、夜這い(娘が初経を迎えると離れに寝かせ、近所の男たちが忍んでくる)の風習が残っていた集落で、ある女性に夜這いをかけたところ、彼女は部落民を理由に拒否した。これで怒り狂った都井は女性の集落を片っ端から襲って大量殺人を行った。
これも部落問題を理解できなければ、事件の意味を知ることもできない。また西日本の夜這い地帯の父親の特定が困難である理由も分からないだろう。
この事件は、岡山における夜這い習慣の廃止に大きな貢献をした。
部落問題を扱った文芸作品として著名なものは、島崎藤村の「破戒」である。
長野県も岐阜県も、部落差別は潜行しているものの深刻である。主人公の瀬川丑松は、部落民であることだけが理由で、生徒に詫びなければならなかった。結局、いたたまれずに彼は外国に旅立った。
岐阜県では、1918年に流行したスペイン風邪で、集落が滅亡するほどの被害を受けた地域があった。私の隣村である白川町・黒川村も、若者が大量死したので、村が主宰していた紡績工場が立ちゆかなくなり、各地に村への移住を呼びかけた。
祖母の一家は、このとき、三重県富田村から黒川に移住した。
実は、富田村も部落差別で知られた地域だったので、もしかしたら祖母の実家も部落地域だったかもしれない。
その後、1932~1945年に満蒙開拓団が、信州や東濃地域から大量に出立した。このときも、満蒙に渡航した人々は、被差別地域の人が多かった。
戦前の、日本人の海外渡航は、部落差別問題が深く関与している。地域社会で差別のイジメを受け、肩身の狭い思いをしていた人たちは、差別のない解放された社会を目指して日本を旅立っていったのだ。
およそ、たくさんの人たちが大規模な移住を行うには、前提となる条件がある。
その地域を愛せない、部落差別のような閉塞的な環境があること。そして戦争や天災による社会崩壊である。
天災による移住の例としては、奈良県十津川村の大洪水災害に遭った人たちが、北海道に移住して新十津川町を形成したものがある。
だが、これにも旧十津川の部落差別が影を落としている。
そもそも、日本人の源流である弥生人は、呉越戦争で敗れた水郷呉国の人たちが、皆殺し刑を逃れて船で逃げ出し、一部が有明海にたどり着いたことから始まっている。
他に移住した先は、台湾・山東半島・朝鮮南岸・九州北岸だった。
人は住みやすい環境を求めて移住するのだ。戦前の海外移住者の多くが、深刻な部落差別地域からだった。外国では未解放部落出身者を差別する者などいなかったからだ。
あと、部落問題を扱った文芸作品は数多いのだが、「橋のない川」も有名だ。
奈良県では、現在もなお部落差別の伝統と慣習が厳格に生き残っている。
奈良の人々は、容易に人を信用しない。まず、相手が部落民かどうかが問題になる。
それは部落の人にとっても同じで、「余所者」を受け入れない習慣があるので、民俗学の先駆者である宮本常一も、奈良県での取材は少ない。
下手をすると秘密裏に殺されてしまうからだ。
私も、かなりひどい目に遭った。滋賀県豊郷町に住むYという障害者の人物から、もの凄い嫌がらせを受けて警察沙汰にもなったのだが、ここは被差別集落として有名で、Yから、何万回もの無言電話や、「殺してやる」との脅迫が続いた。
Yは、最近また同じことを繰り返しはじめたので、「今度は実刑だな」と伝えると止んだ。
差別のある地域では、人間性におおらかさが失われ、妬みやそねみ、誹謗中傷に覆われることが少なくない。
元、公安委員長、菅沼光弘が、日本の暴力団員の7割が、在日と同和で占められていると述べた。
私は、部落問題、在日問題、暴力団問題を解決する上で、グー事務局のように無条件削除で「存在しないもの」として扱うのが正しいのか?
それとも、真正面から見つめて、ウソのない問題解決をするのがよいのか? みなさんに問いたい。
もしも行政のように、部落問題を隠蔽工作するなら、島崎藤村も住井すゑも、岡林信康も、この世に存在しないものとして扱うことになると思う。
部落や同和を無条件削除するという姿勢で、本当に問題解決できるのか?
隠せば隠すほど、問題は潜行して、誰にも意味が理解できない不可解な現象が現れるばかりだ。それは闇の勢力や、暴力団をつけあがらせる根拠になってしまうのである。