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月と百合と小鳥の声

今朝はいつもより少し早く(6時ごろだった)、散歩のために家を出たのだが、南向きの玄関から南の薄藍色の空を見ると、ほぼ半分の月が出ていた。例によって、たぶん旧暦22日か23日くらいの月かな、と考えて、後で家に戻ってからカレンダーを見ると、旧暦2月22日だった。
出がけに月が見られたのはラッキーだな、と思いながら道を歩いていると、昔、亡父から聞いた(と思うが)「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」という奇妙な歌を思い出した。その説明を聞いたかどうかは忘れたが、聞かなくても意味は即座に分かったと思う。つまり、moonの月とmonthの月が、日本語では同じだという洒落を使った歌だ。
そこで、それを英訳しながら、左手の空には月を見ながら散歩して、次の断案を得た。(この「断」は断片の断である。)

Every Months we see many Moons,but best Moon is September Moon.

まあ、Septemberは旧暦8月の意図である。英語としては定冠詞theがどこかに必要かな、と思うが、どうせ遊びの英訳だ。

緩い坂道を北から南に上る間、月が正面に、つまり南の空にあって、月見の散歩だ。なお、私の山道の散歩というか、小高い丘を周遊する散歩は、東から西に道を行き、途中で南に曲がって緩やかな小丘の坂道を上り、頂上の街路を少し東に進んでから北に下り、丘の下底部から少し東に向かって家に戻る。つまり、西に月を見ながら歩いて、最後は東の曙の空を見るという、実に贅沢なコースである。曙の空の美しさは、毎朝1億円の絵画をただで見ているようなものだ。まあ、カネに換算するのがさもしいが、分かりやすく表現しただけである。
もちろん、空だけでなく、途中の家々の庭の花や木を眺め、小鳥の声を聴く楽しみもある。顔なじみの野良猫や、家の窓で物思いに耽っている飼い猫を見る楽しみもある。
今日は、最後になぜか頭の中で、「野の百合」という昔の映画の主題歌「エーメン(アーメン)」という曲が流れていたが、家に帰って考えると、それは散歩の途中で見て「おお、百合が咲き始めているな」と感動した、どこかの家の庭の百合の姿が、思考の伏流水となっていて、それが「野の百合」の主題歌として意識に浮上したのだと分かって、面白かった。

なお、鳥の声を聴いて「チュルイリー」という擬声語を連想したが、「チュルイリー」はフランス王室の宮殿である。私はこの言葉を本などで見ると、いつも鳥の声を連想していた。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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