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いくさばぬとぅどぅみ

「前田有一の超映画批評」から転載。
私自身は軽いぜんそくの気味があるので、映画館には滅多に行かない。2時間も咳をしないでいられないからだ。同様に、講演会なども、どんなに興味があっても行けない。野外作業の肉体労働者であることのいい点は、いつでも「思いのままに咳き込む」ことができることだ。
まあ、それはともかく、「戦場ぬ止み」(これを沖縄語で読める人はほとんどいないだろう。なぜ、こういう「一般人を遠ざける」ような題名にしたのか、少々疑問である。どうせならすべて平仮名書きで「いくさばぬとぅどぅみ」とした方が、もっと謎めいていて興味を引いたのではないか。)はいい映画のようだ。ただし、こういう映画は「今の時点で」見ないとあまり意味がない。残念ながら、よほど真面目な人、政治と沖縄問題に関心のある人でないと見に行かないだろう。つまり、観客数が期待できないことは、かなり確実である。
前田有一の批評は真摯なもので、この作品を作った人たちは彼に感謝すべきだろう。と言って、点数が「65点」では感謝できない、と言うのなら、それは「映画としての完成度」の点数であり、政治プロパガンダ(これは必ずしも否定すべきものではない。)としては十分以上の完成度だ、ということが批評文から読み取れる。
少なくとも、辺野古問題についての本土側一般大衆の偏見と誤解を解くには十分であるようだ。

私は沖縄出身だが、沖縄方言には無知なので、この映画の題名末尾の「止み(とぅどぅみ)」は、動詞形か名詞形か分からない。動詞形ならば、語尾に助動詞「ん」を加えて「止みん(とぅどぅみん)」(止めよう)となるのが自然なような気がするのだが、よく分からない。もっともこれは、「ぬ」を「を」と解釈してのものだから、「ぬ」が「の」の意味なら話は別だ。「止み」が名詞形ならば、「戦場の最後」の意味か。それも意味がよく分からないが、「最後の戦場」の意味か、「戦場をこれで最後に」の意味か。


(以下引用)

「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」65点(100点満点中)
監督:三上智恵

ぬるいラストでインパクトが不足したのが惜しい

東京にすんでいると、沖縄、まして最果てにある辺野古の新基地問題など、何の関心もない。そんな人が多数だろう。だが、この問題は沖縄ローカルな話題ではない。日本という国家のありかた、未来の選択がここに凝縮されているといっても過言ではない大問題である。


そして、この問題を長年現地の人々に寄り添い、追い続けてきたのが三上智恵監督。あらゆる映画人の中で、彼女ほどこの問題を深く語り、伝えられる人材はまずいないだろう。


「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」は、そんな三上監督渾身のドキュメンタリーである。この、何度読んでも発音しにくいタイトルが、われわれ本土の人間と沖縄の距離感そのものといった感じがする。


反対運動をしている人たちの信頼を得ているからこそ、彼らの懐まで踏み込んだ映像がとれているし、証言もまたしかり。辺野古問題とは何なのか、どういう人たちが、今なにを考え、行動しているのか。その現実を確実に持ち帰れる作品となっている。


とはいえ、監督自身が彼らと同化しているがために、「そもそも彼らはなぜ反対しているのか」といった、基本すぎる疑問には十分に答えていない。反対するのは当たり前、なんでそんなこと疑問に思うの? という世界に住んでいるのだなということが伝わってくるのは、中立性を感じさせない点でマイナスである。


ともあれこの映画を見て感じるのは、米軍の異様なまでの不在である。


対峙しているのは常に日本人同士。たとえばそれは海保と反対派のカヌーであり、デモ隊と警察だったりする。言論界でいえば、リベラルと保守派、である。私たち日本人は、ケンカに夢中になる前にまずここに疑問を持たなくてはなるまい。


その一方で、わずかでも米軍の敷地内に踏み込んだときに、迅速に集まってくるアメリカ兵たちの恐るべき圧力。ここで下手をうてば命がないと誰もが気付く、その緊張感を画面は伝えてくる。そしてこの「日米の対立構図」こそが米軍側がもっとも隠したい、この問題の本質である。


そう、結局辺野古をはじめとする基地問題最大の問題点とは、米軍に踊らされ結果的に彼らの利益代弁者に成り下がっている日本人勢力と、別の日本人が争わねばならぬ理不尽さにある。


うちなんちゅ同士のそうした争いの中で、かすかに芽生える交流を切り取ることで、三上監督はその最大のタブーを観客に実感させた。それは大きな功績である。


この「日米の対立構図」とは、つきつめていけば戦争になると言うことは歴史が証明している。だからこそ、本来日本の総理大臣は基地反対派にしぶしぶ折れることで、米国の妥協を引き出すくらいの寝業師でないとダメなのである。現在の総理大臣にはその資質が決定的に欠けている。それが人々を不安にさせる。


また、よくある反論として、反対派は県外などよそものばかり、住民は反対なんぞしていない、というものがある。この映画ではそうした底の浅い主張が木端微塵に打ち砕かれていて痛快である。


たとえば辺野古の住民はわずか1900名。そんな小さなコミュニティでぬけがけ的な反対運動などできるわけがない。みな基地で働いているのだから。


──というと、ほれみたことかと基地の経済効果をしたり顔で語り始めたりする人もいるが、その主張も完全に論破されることになる。


そもそもなぜ辺野古の住民は、米軍基地で働いているのか。そういうことをいう人たちは考えたこともないのだろう。


彼ら住民の就職が、いったい何と引き替えに得られたものなのか。この映画はその悲しい歴史を暴いている。辺野古の基地反対派をバカにするすべての人間は、この場面だけでも刮目してみるべきである。


庭先で、本当は反対なんだよとへらへら笑う地元の爺さんたちがでてくるが、彼らのノーテンキな態度、その目の奥には、底なしの闇がある。目は全く笑っていない。注意深い観客なら、それを感じ取れるはずだ。


どこの馬の骨ともわからぬ人間が取材に言ったところで、彼らが本音など言うわけがない。そうした当たり前の冷酷な事実を、報道番組にかかわる身としても痛感せざるを得ない。


私の場合は現地に血縁者が長年暮らしているため、そうした本土からの取材者には明かさない、本音の一端をわずかながらも認識している自負がある。だからこの問題において、見当はずれな主張が東京でなされている点についてはいささかの危機感を感じている。


三上監督の論破祭りは容赦がなく、たとえば「反対派には怪しげな左翼集団が混じっている」との批判にも、明確かつ説得力ある回答を得ることができる。


「漁師は基地に賛成している」論についても、その実体をきちんと暴いている。


辺野古の基地は、そもそも普天間飛行場の代替ではまったくないことも資料とともに証明している。


中国を結果的に利することになるとか、反対運動の資金源はどうなのかと言った重要な疑問点は残るものの、限られた時間内の映画としては、重要なことがらをいくつも網羅している。


少なくとも、この映画が見せるファクトの数々を見て、怒りを感じない人間に愛国者を名乗る資格はないだろう。


それにしても、選挙で全敗してもまるで妥協する様子のない現政権のやり方は、そう遠くない未来の破たんを予感させる。また、そうでなければ将来に禍根を残すに違いなく、それは大いに国益を害する。


映画はこれほどいいネタをつかみ、みせておきながら終幕がぬるくていけない。ぐだぐだ飲み会を見せる必要など全くない。ハグして終わりで十分である。新鮮な刺身同様、ネタを生かす編集をつきつめてくれれば傑作になれただろうに惜しい。


見ていると怒りがわいてきて、そして感動の涙を何度も流すことになる。国を愛する日本人必見のドキュメンタリーといえる。

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