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負け犬の遠吠えも大事な社会的警鐘

fromdusktildawnさんのツィッターから転載。
ネットは「負け犬の遠吠え」で満ちているが(私のブログもそれかww)、勝ち犬の威嚇がそれより上、ということもないわけで、権力の座に連なる者たちが偉そうなことを言っても、それはやはり権力に守られている、という前提での話で、感心するには及ばないわけだ。まあ、勝ち負けだけが人生の価値だという人々には私は近づきたくもない。
下のツィートを「カッコいい」と思う感覚は、非常に健全なような気がする。ツィートした人の「俺頭悪くて貧乏で喧嘩も弱いんだよ!」は、私も非常にカッコいい言葉だと思う。それに対して、「俺の前で言えるのか」にはヤクザの威嚇を感じるのである。金力や権力や社会的地位を背景にしての威嚇。こちらがカッコ悪く感じる。
「負け犬の遠吠え」はカッコ悪い、というのも一つの価値観だが、負け犬の遠吠えの中に社会改良の契機がある、という視点で見ることもできるのではないか。つまり、「負け犬の遠吠え」が存在価値を持つ、と看做す社会こそが非常に健全な社会なのではないだろうか。


(以下引用)



             さんがリツイート

昔、実名でネットしてる経営者か何かの人が匿名の批判者に「俺の目の前で言えるのか」式のことを言ったら、「言えるわけないだろ。俺は頭悪くて貧乏で喧嘩も弱いんだよ! でもネットだから好き勝手言ってるんだコノヤロー!」みたいに返されてて、当方は本当に何の皮肉でもなくカッコいいと思ったな。


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