「毎日崖っぷち」から転載。
これまでの崖っぷちブログの総括とともに、現在の日本の状況を総括している。
「独りファシズム」のyukino氏もそうだが、崖っぷち社長もこの社会の上も下も知っている人間で、だからこそ社会の実態が良く見えるのだろう。そして、だからこそその発言は常に、聞くに値する。学者先生などの発言は、それに比べたら現実のデフォルメされたモデル像について論じて現実を論じたつもりになっているだけだ。
要するに、我々は金に支配された社会の、奴隷にすぎない、というのが崖っぷち社長の言っていることで、ではその金を支配しているのは誰かというと、金があれば何もしなくても利益が出せるという金融システムを考えた連中、いわずとしれたあの連中だ。そして、その金の支配のあからさまな現われの一例が、「原子力村」であることが、多くの人の目に明らかになったのだが、しかし、それがこの社会全体の根本システムの問題であると思っていない人も多い。それが無意識的奴隷であり、この社会に洗脳されたB層である。
こうした社会の害悪が福島原発事故の形で露呈したわけだが、ではそれをどうすれば変えることができるか。崖っぷち社長は、金をばらまく事がその解決策(の一つ?)だと言う。確かに、それはラジカルな(根源的な、過激な)解決策ではあるが、社会システムを崩壊させるほどのばらまきをすることは、まずありえない。ならば、金に支配されない生活を自ら作るしかない、というわけで、おそらく自給自足生活をする、あるいは小さな自給自足経済圏(コミュニティ)を作ることがその解決策になるかと思う。これは国家的に言えば鎖国政策である。
と、彼の主張を私は理解している。その理解が不正確であるかもしれないが、まあ、80%は正しい理解だろう。そして、もちろん、全面的に彼の言葉に同意する。
(以下引用)
「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。
人間、やはり基本的な生活の安定が重要だってことだ。
思えば、おいらも20代中盤くらいまでは、生活にそれほど困ったことはない。
むしろ、実家の商売がうまく行ってたときは、人並み以上にいい思いをさせてもらってたんじゃないかと思うね。
飛び抜けてたわけではないが、わりといいところのボンボンだったからな。
で、それ以降がどうであるかと言えば、稼いでも稼いでも右から左どころか借金返済やら訴訟費用やらに吸い取られ、数週間規模の断食やら、ガスや電気すらない場所への逃亡生活やら、余裕なんて皆無の生活を続けてきたし、まあ、いまだって似たようなもんだ。
こんな両極端な生活を経験すると、本当に世の中の本質がハッキリと見える。
持つ者、持たざる者の差というのは、結局、衣食を中心とした生活の安定感にあるのだ。
逆の言い方をすれば、このブログでも何度も取り上げているように、食料、エネルギー、水の三大要素、つけ加えるなら資源などもそうだが、これらを確保することが重要だということだ。
そして、いまの時代、これらのキーになっているのが、まさにゼニというものである。
持っているゼニの量、稼ぎ出すゼニの残高が、生活を安定感を左右するのだ。
これは、誰がなんと言おうと、現代社会の現実そのものだ。
前にも書いたことだが、実力主義なんてのも、言ってみれば人間をゼニというモノサシで測っているだけのことである(血縁、コネがらみももちろん同様にカネを生み出す価値があると言える)。
さらに言えば、ゼニを基準にした人間の価値を高めるために必要なのが学歴のようなものであり、それを獲得するためにもまたゼニが必要とされる。
そして、ゼニというモノサシを行使するのは、そのゼニを大量に持っている人間か、ゼニというモノサシで高い価値を示された使用人のどっちかということになる。
すべてをシンプルに考えれば、こういう当たり前の現実が見えるのだ。
誰がなんと言おうと、現代社会はゼニによって牛耳られているのである。
言うまでもなく、いまのおいらはゼニなんて持ってない。
もちろん、ゼニを基準にして高く評価されるようなものもなにもない。
そもそも、そんなシステムに組み込まれて、完全なゼニの奴隷になるのなんかゴメンだと思ってるけどな。
いま、そんなゼニの奴隷の姿があちこちで見られるではないか。
原発推進の組織なんて、まさにそれだろ?
福島のガキどもにいろいろ突っ込まれてるシーンがニュースに出ていたが、あの連中が無能だからそうなったわけでは決してない。
ゼニによる生活の安定を崩したくないからこそ、あのように情けない姿で言い訳並べるような仕事をせざるを得ないだけのことだ。
結局、なにが問題かと言えば、なんかのキッカケで爪弾きにされたら、その瞬間に生活の安定というものを失う経済情勢にある。
安定のために自分を奴隷にしている人間たちからすれば、それ以上の恐怖はないのだろう。
これでわかることだが、経済を疲弊させると選択肢がなくなる。
これは、原発に限らず、カネを持っている連中、もしくは、カネを使える立場にある連中の利権を強化することに繋がるわけ。
ひとりの人間として反発したいことがあったとしても、失うものが大きすぎて従わざるを得なくなるからな。
勘のいい人ならそれだけでわかるだろ?
いまの経済疲弊、つまり、デフレというのは、持たざる奴隷の上に、持ったつもりになってる奴隷組織を作り出し、ヒエラルキーと利権の固定化を目指すためのものでもあるのだ。
だからさんざん書いてきたんだけどな。
我々が注目すべきは、カネを牛耳ってるヤツらであると。
官僚? マスコミ? アメリカ? 経団連? いやいや、この連中は所詮呑み込まれた手下でしかない。
本当の敵がナニモノなのか、それは正直わからない。
わかってることは、金融というそのシステムを作り出し、いまもそれをガッチリ握ってる連中だということだ。
ていうか、敵が誰であるかなんてどうでもいいことで、この誰かさんたちの思惑をぶち壊すような、防衛手段を取ればいいことだ。
こいつらがなにを一番嫌がるかって、そりゃあ、個人やローカルの社会が、金融システムやそれに篭絡された組織の言うことを聞かなくなることだ。
だからこそ、市中にカネを山ほどバラ蒔けと主張してきたわけだ。
単なる経済問題ではなく、あらゆる人間に選択肢を与えることによって、利権の固定化をぶち壊せるような話でもあるのだからな。
その動きを止めているのが、要するに財政再建やら借金問題のようなプロパガンダだし、公務員改革のような官僚と一般国民の分断工作でもある。
気づいてない人が大半なんだが、これらの「倫理安売り工作」って、結局は世の中にカネに関する妬みを広げ、さらなる経済の縮小と利権の拡大をもたらすものでしかなく、国民が自分で自分の首を締めるような行為でしかないんだけどな。
いまのうちに認識したほうがいいと思うね。
自覚があるかどうかはともかくとして、みんな自然とゼニをモノサシに物事を考えているのだよ。
べつに悪いことでもなんでもないし、現代の通貨経済では当たり前のことだがな。
まあ、問題は、このカネカネ社会にも、構造的欠陥というか、金融屋連中が最初から狙ってたスクラップ&ビルドの流れが迫っているということだ。
この両面から物事を考えれば、自然と次にどうするべきなのかわかる。
とにかく、自活という防衛手段を整えなければならないからな。
そんな自覚はかなり前からあったのだが、それが現実的になってきた数年前になっても、オレという人間は動くに動けず、のんきに雑誌や書籍なんぞを作って過ごしていた。
そもそも、先立つものもなにもなく、アイデアもなにもなかったからな。
それが大きく変わるのは、師匠・飯山一郎に、どういうわけか引きずり込まれることになったからだな。
これはまったく冗談でもなんでもないのだが、それまで先生のページは基本政治系のページと思ってたし、乳酸菌の話を聞いても「ヨーグルト?」としか思ってなかったどうしようもなく無知な人間だった。
実はまったくグルンバ&乳酸菌の知識のない時点で、先生から「オレの仕事手伝え!」って話になったんだよね。
それから1週間くらいかけて、原稿の仕事やってる合間に先生のページのほとんどを読んで、ああ、なるほどなあと思ったんだよ。
そしたら、出版の仕事なんかどうでもよくなったというか、少なくとも、いまの業界事情じゃやりたいことやろうと思ってもムリだし、いっちょやってやるかって気になったというわけ。
なんともありがたいことに、先生のおかげで、おいらのブログで書いてきたことが絵空事ではなくなった。
油由来の農業も、薬漬けの養殖業も、経済の事情であることは知ってたけど、それを完全に断言できるようになったからな。
とはいえ、それだけだったら、決していまの距離感にはなってなかったと思う。
本人にも面と向かって直接言ってることだが、先生は本当に人が悪いし、つき合えばつき合うほど、こっちも人が悪くなる(笑)。
あのお方は学者なんかじゃなくて、間違いなく生粋の商売人だからな。
わからん人も大勢いるかもしれんが、それがいいんだよ。
まあ、確かに、広州での共同生活中、何回か何十回か、寝首かいてやろうかと思ったことはあったかもしれんが、こっちがなにも成し遂げてないうちにそんなことしてもしょうがないからね(笑)。
それがなんであるかはここには書かない…っていうか、あんまり書くと反撃が怖いからやめとくわ。
ていうか、師弟関係なんてのは、父親と息子みたいなもんで、ライバルの始まりみたいなもんだからな。
先生が「中国やるぞ!」というなら、「こっちは中東だ!」ってのもあるし、「日本はもうダメだ!」と言われたら、「じゃあ、オレがなんとかしたる!」ってのもあるしな。
まあ、いまのところ、こっちはぜんぜんうまくいってないので、エラそうなことはなんも言えんのだけどな。
どことは言わないが、師弟関係が宗教みたいになってるところがあるが、おいらはそういう関係には興味ないのだ。
しつこいようだが、まったくの別人格だし、政治経済に限らず主張内容も違いが結構あるが、当たり前のことだと思ってる。
「やりたい放題、商売しろ!」と事実上放置されてるいまの関係だからこそ、うまいことやれると思うんだよね。
というわけで、あたくしは飯山一郎の弟子ではあるが、飯山信者でも飯山教広報担当でもないから、そのへん勘違いのないように(よく聞かれるから書いてみた(笑))。
やや話がそれたが、日本はまだまだやるべきことが多数あるし、そのアイデアを持っている人は、官僚機構にも政界にも民間にも実は結構いる(この間、いろんな方面から、関東・東北復興事業を提案してきたからよくわかるんだけどな)。
それを実現するためには、とにかく金融経済の支配力を弱めるしかない。
いま問題になっているポスト菅についても同様で、政策の方向性こそが重要なのだ。
そして、ここで公言した政策を絶対に守らせるように、我々が圧力をかけていくことも重要だ。
前から書いていることだが、表裏はともかく、小沢一郎が権力を握ればそれだけでいいというものではない。
小沢一郎にしろ、ほかの人間にしろ、それは国民からすれば、自分たちの得になる政策を進めるためのコマであり、手段のひとつでしかない。
菅直人の記事でも書いたことだが、菅直人を引きずり降ろせると安心している場合じゃないのだ。
あくまでも、我々にとって都合のいい政策を実現させるのが目的であり、菅降ろしや小沢復権は単なる手段であり、目的ではまったくない。
ただ信者でいてもダメで、徹底的に応援するのはもちろん、妙な方向に流れないように監視も続けなければならない。
おいらが現在の小沢一郎を支持している最大の理由は、カネのめぐりがよくなる政策を出しているからだ。
ネット言論では、小沢が権力を握ることで既得権益を脅かされるからこそ抵抗が激しいという議論がされているが、その最大のものこそ、デフレ利権ではないかとおいらは考えている。
しつこいようだが、カネを持っている連中、もしくは、カネを使える立場にある連中の利権を強化できるのが、デフレが持っている力のひとつだからな。
このように、極論でもなんでもなく、すべてはゼニの問題、というのがおいらの基本的な主張だ。
ゼニを素直に見ることによって、政治も政策も利権も構造がわかりやすくなるしな。
この視点で見ていると、いま起こっていることもだいたいの説明がつくんだよね。
だから、おいらはその時々の事象にはあんまり興味がないというか、感情的に乗せられてしまった過去の反省から、あくまでもその動機をゼニ視点で探るという書き方をしてきた。
まあ、そうすると、毎回毎回同じことを書くことになっちまったりするんだよね(汗)。
やっとのことであのクソ菅政権も終わる。
いい方向に行くのか、かえって悪くなるのか、予断を許さない状況ではあるがね。
果たして、関東・東北復興事業など、日本の環境や食料生産を改善する計画が再始動となるか、さもなければ、自分たちの生活防衛に集中するしかなくなるのか…。
正直、どうなるかまるでわからんが、いずれにしても、ブログなんて書いてる場合じゃなくなりそうな気がするんだよな。
なんとも悩ましいねえ。
これまでの崖っぷちブログの総括とともに、現在の日本の状況を総括している。
「独りファシズム」のyukino氏もそうだが、崖っぷち社長もこの社会の上も下も知っている人間で、だからこそ社会の実態が良く見えるのだろう。そして、だからこそその発言は常に、聞くに値する。学者先生などの発言は、それに比べたら現実のデフォルメされたモデル像について論じて現実を論じたつもりになっているだけだ。
要するに、我々は金に支配された社会の、奴隷にすぎない、というのが崖っぷち社長の言っていることで、ではその金を支配しているのは誰かというと、金があれば何もしなくても利益が出せるという金融システムを考えた連中、いわずとしれたあの連中だ。そして、その金の支配のあからさまな現われの一例が、「原子力村」であることが、多くの人の目に明らかになったのだが、しかし、それがこの社会全体の根本システムの問題であると思っていない人も多い。それが無意識的奴隷であり、この社会に洗脳されたB層である。
こうした社会の害悪が福島原発事故の形で露呈したわけだが、ではそれをどうすれば変えることができるか。崖っぷち社長は、金をばらまく事がその解決策(の一つ?)だと言う。確かに、それはラジカルな(根源的な、過激な)解決策ではあるが、社会システムを崩壊させるほどのばらまきをすることは、まずありえない。ならば、金に支配されない生活を自ら作るしかない、というわけで、おそらく自給自足生活をする、あるいは小さな自給自足経済圏(コミュニティ)を作ることがその解決策になるかと思う。これは国家的に言えば鎖国政策である。
と、彼の主張を私は理解している。その理解が不正確であるかもしれないが、まあ、80%は正しい理解だろう。そして、もちろん、全面的に彼の言葉に同意する。
(以下引用)
「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。
人間、やはり基本的な生活の安定が重要だってことだ。
思えば、おいらも20代中盤くらいまでは、生活にそれほど困ったことはない。
むしろ、実家の商売がうまく行ってたときは、人並み以上にいい思いをさせてもらってたんじゃないかと思うね。
飛び抜けてたわけではないが、わりといいところのボンボンだったからな。
で、それ以降がどうであるかと言えば、稼いでも稼いでも右から左どころか借金返済やら訴訟費用やらに吸い取られ、数週間規模の断食やら、ガスや電気すらない場所への逃亡生活やら、余裕なんて皆無の生活を続けてきたし、まあ、いまだって似たようなもんだ。
こんな両極端な生活を経験すると、本当に世の中の本質がハッキリと見える。
持つ者、持たざる者の差というのは、結局、衣食を中心とした生活の安定感にあるのだ。
逆の言い方をすれば、このブログでも何度も取り上げているように、食料、エネルギー、水の三大要素、つけ加えるなら資源などもそうだが、これらを確保することが重要だということだ。
そして、いまの時代、これらのキーになっているのが、まさにゼニというものである。
持っているゼニの量、稼ぎ出すゼニの残高が、生活を安定感を左右するのだ。
これは、誰がなんと言おうと、現代社会の現実そのものだ。
前にも書いたことだが、実力主義なんてのも、言ってみれば人間をゼニというモノサシで測っているだけのことである(血縁、コネがらみももちろん同様にカネを生み出す価値があると言える)。
さらに言えば、ゼニを基準にした人間の価値を高めるために必要なのが学歴のようなものであり、それを獲得するためにもまたゼニが必要とされる。
そして、ゼニというモノサシを行使するのは、そのゼニを大量に持っている人間か、ゼニというモノサシで高い価値を示された使用人のどっちかということになる。
すべてをシンプルに考えれば、こういう当たり前の現実が見えるのだ。
誰がなんと言おうと、現代社会はゼニによって牛耳られているのである。
言うまでもなく、いまのおいらはゼニなんて持ってない。
もちろん、ゼニを基準にして高く評価されるようなものもなにもない。
そもそも、そんなシステムに組み込まれて、完全なゼニの奴隷になるのなんかゴメンだと思ってるけどな。
いま、そんなゼニの奴隷の姿があちこちで見られるではないか。
原発推進の組織なんて、まさにそれだろ?
福島のガキどもにいろいろ突っ込まれてるシーンがニュースに出ていたが、あの連中が無能だからそうなったわけでは決してない。
ゼニによる生活の安定を崩したくないからこそ、あのように情けない姿で言い訳並べるような仕事をせざるを得ないだけのことだ。
結局、なにが問題かと言えば、なんかのキッカケで爪弾きにされたら、その瞬間に生活の安定というものを失う経済情勢にある。
安定のために自分を奴隷にしている人間たちからすれば、それ以上の恐怖はないのだろう。
これでわかることだが、経済を疲弊させると選択肢がなくなる。
これは、原発に限らず、カネを持っている連中、もしくは、カネを使える立場にある連中の利権を強化することに繋がるわけ。
ひとりの人間として反発したいことがあったとしても、失うものが大きすぎて従わざるを得なくなるからな。
勘のいい人ならそれだけでわかるだろ?
いまの経済疲弊、つまり、デフレというのは、持たざる奴隷の上に、持ったつもりになってる奴隷組織を作り出し、ヒエラルキーと利権の固定化を目指すためのものでもあるのだ。
だからさんざん書いてきたんだけどな。
我々が注目すべきは、カネを牛耳ってるヤツらであると。
官僚? マスコミ? アメリカ? 経団連? いやいや、この連中は所詮呑み込まれた手下でしかない。
本当の敵がナニモノなのか、それは正直わからない。
わかってることは、金融というそのシステムを作り出し、いまもそれをガッチリ握ってる連中だということだ。
ていうか、敵が誰であるかなんてどうでもいいことで、この誰かさんたちの思惑をぶち壊すような、防衛手段を取ればいいことだ。
こいつらがなにを一番嫌がるかって、そりゃあ、個人やローカルの社会が、金融システムやそれに篭絡された組織の言うことを聞かなくなることだ。
だからこそ、市中にカネを山ほどバラ蒔けと主張してきたわけだ。
単なる経済問題ではなく、あらゆる人間に選択肢を与えることによって、利権の固定化をぶち壊せるような話でもあるのだからな。
その動きを止めているのが、要するに財政再建やら借金問題のようなプロパガンダだし、公務員改革のような官僚と一般国民の分断工作でもある。
気づいてない人が大半なんだが、これらの「倫理安売り工作」って、結局は世の中にカネに関する妬みを広げ、さらなる経済の縮小と利権の拡大をもたらすものでしかなく、国民が自分で自分の首を締めるような行為でしかないんだけどな。
いまのうちに認識したほうがいいと思うね。
自覚があるかどうかはともかくとして、みんな自然とゼニをモノサシに物事を考えているのだよ。
べつに悪いことでもなんでもないし、現代の通貨経済では当たり前のことだがな。
まあ、問題は、このカネカネ社会にも、構造的欠陥というか、金融屋連中が最初から狙ってたスクラップ&ビルドの流れが迫っているということだ。
この両面から物事を考えれば、自然と次にどうするべきなのかわかる。
とにかく、自活という防衛手段を整えなければならないからな。
そんな自覚はかなり前からあったのだが、それが現実的になってきた数年前になっても、オレという人間は動くに動けず、のんきに雑誌や書籍なんぞを作って過ごしていた。
そもそも、先立つものもなにもなく、アイデアもなにもなかったからな。
それが大きく変わるのは、師匠・飯山一郎に、どういうわけか引きずり込まれることになったからだな。
これはまったく冗談でもなんでもないのだが、それまで先生のページは基本政治系のページと思ってたし、乳酸菌の話を聞いても「ヨーグルト?」としか思ってなかったどうしようもなく無知な人間だった。
実はまったくグルンバ&乳酸菌の知識のない時点で、先生から「オレの仕事手伝え!」って話になったんだよね。
それから1週間くらいかけて、原稿の仕事やってる合間に先生のページのほとんどを読んで、ああ、なるほどなあと思ったんだよ。
そしたら、出版の仕事なんかどうでもよくなったというか、少なくとも、いまの業界事情じゃやりたいことやろうと思ってもムリだし、いっちょやってやるかって気になったというわけ。
なんともありがたいことに、先生のおかげで、おいらのブログで書いてきたことが絵空事ではなくなった。
油由来の農業も、薬漬けの養殖業も、経済の事情であることは知ってたけど、それを完全に断言できるようになったからな。
とはいえ、それだけだったら、決していまの距離感にはなってなかったと思う。
本人にも面と向かって直接言ってることだが、先生は本当に人が悪いし、つき合えばつき合うほど、こっちも人が悪くなる(笑)。
あのお方は学者なんかじゃなくて、間違いなく生粋の商売人だからな。
わからん人も大勢いるかもしれんが、それがいいんだよ。
まあ、確かに、広州での共同生活中、何回か何十回か、寝首かいてやろうかと思ったことはあったかもしれんが、こっちがなにも成し遂げてないうちにそんなことしてもしょうがないからね(笑)。
それがなんであるかはここには書かない…っていうか、あんまり書くと反撃が怖いからやめとくわ。
ていうか、師弟関係なんてのは、父親と息子みたいなもんで、ライバルの始まりみたいなもんだからな。
先生が「中国やるぞ!」というなら、「こっちは中東だ!」ってのもあるし、「日本はもうダメだ!」と言われたら、「じゃあ、オレがなんとかしたる!」ってのもあるしな。
まあ、いまのところ、こっちはぜんぜんうまくいってないので、エラそうなことはなんも言えんのだけどな。
どことは言わないが、師弟関係が宗教みたいになってるところがあるが、おいらはそういう関係には興味ないのだ。
しつこいようだが、まったくの別人格だし、政治経済に限らず主張内容も違いが結構あるが、当たり前のことだと思ってる。
「やりたい放題、商売しろ!」と事実上放置されてるいまの関係だからこそ、うまいことやれると思うんだよね。
というわけで、あたくしは飯山一郎の弟子ではあるが、飯山信者でも飯山教広報担当でもないから、そのへん勘違いのないように(よく聞かれるから書いてみた(笑))。
やや話がそれたが、日本はまだまだやるべきことが多数あるし、そのアイデアを持っている人は、官僚機構にも政界にも民間にも実は結構いる(この間、いろんな方面から、関東・東北復興事業を提案してきたからよくわかるんだけどな)。
それを実現するためには、とにかく金融経済の支配力を弱めるしかない。
いま問題になっているポスト菅についても同様で、政策の方向性こそが重要なのだ。
そして、ここで公言した政策を絶対に守らせるように、我々が圧力をかけていくことも重要だ。
前から書いていることだが、表裏はともかく、小沢一郎が権力を握ればそれだけでいいというものではない。
小沢一郎にしろ、ほかの人間にしろ、それは国民からすれば、自分たちの得になる政策を進めるためのコマであり、手段のひとつでしかない。
菅直人の記事でも書いたことだが、菅直人を引きずり降ろせると安心している場合じゃないのだ。
あくまでも、我々にとって都合のいい政策を実現させるのが目的であり、菅降ろしや小沢復権は単なる手段であり、目的ではまったくない。
ただ信者でいてもダメで、徹底的に応援するのはもちろん、妙な方向に流れないように監視も続けなければならない。
おいらが現在の小沢一郎を支持している最大の理由は、カネのめぐりがよくなる政策を出しているからだ。
ネット言論では、小沢が権力を握ることで既得権益を脅かされるからこそ抵抗が激しいという議論がされているが、その最大のものこそ、デフレ利権ではないかとおいらは考えている。
しつこいようだが、カネを持っている連中、もしくは、カネを使える立場にある連中の利権を強化できるのが、デフレが持っている力のひとつだからな。
このように、極論でもなんでもなく、すべてはゼニの問題、というのがおいらの基本的な主張だ。
ゼニを素直に見ることによって、政治も政策も利権も構造がわかりやすくなるしな。
この視点で見ていると、いま起こっていることもだいたいの説明がつくんだよね。
だから、おいらはその時々の事象にはあんまり興味がないというか、感情的に乗せられてしまった過去の反省から、あくまでもその動機をゼニ視点で探るという書き方をしてきた。
まあ、そうすると、毎回毎回同じことを書くことになっちまったりするんだよね(汗)。
やっとのことであのクソ菅政権も終わる。
いい方向に行くのか、かえって悪くなるのか、予断を許さない状況ではあるがね。
果たして、関東・東北復興事業など、日本の環境や食料生産を改善する計画が再始動となるか、さもなければ、自分たちの生活防衛に集中するしかなくなるのか…。
正直、どうなるかまるでわからんが、いずれにしても、ブログなんて書いてる場合じゃなくなりそうな気がするんだよな。
なんとも悩ましいねえ。
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