「voice of russia」から転載。
注目すべき記事は、目に付いた時に保存しておかないと、すぐに新しい記事の洪水の中に埋没してしまうから、緊急性は少ない話題だと思うが、こうして転載した。
私は百田など大嫌いだし、実に下品な顔の男だと思うが、彼がアメリカの原爆投下や東京大空襲について述べたことはまったくの正論だと思う。私自身、同じ趣旨の記事を何度か書いている。東京裁判についての考えも、そう間違ってはいないと思うが、問題は、彼の発言がネット右翼レベルの、あるいは子供の喧嘩レベルの「現在の政治状況を無視した発言」になっていることだ。
私はよく言うのだが、心の底で思っていることと、それを発言することはまったく別の話なのである。
しかも、その発言が社会的影響を持つ、公的立場にある人間ならば、自分が思っていることをそのまま全部外部に吐き出していいはずがない。それは「空気を読む」という、ある意味では卑屈かつ卑怯下劣な日本的風習を拒絶する勇敢な行為と言うよりは、ただの馬鹿な行為である。
まあ、私自身、自分のブログの中でいつも後先を考えずに正直な発言をしてしまう幼児性はあるのだが、幸い、社会的影響はゼロに近いので、安心して放言できるのである。
それはともかく、下記記事におけるアレクサンドル・パノフ氏の分析はなかなか見事だと思う。(日本の若者の中には原爆を落としたのはロシアだと信じている者もいる、という話は、さすがに信じ難いが、あるいはそういう小学生レベルの若者もいるのかもしれない。)
(以下引用)*赤字部分は引用者(夢人)による強調。「東京大空襲」については、その爆撃対象が霞ヶ関や虎ノ門、あるいは皇居ではなく、なぜ庶民しか存在しない下町を中心にしていたのか、ということが、ずっと私の頭を去らない疑問である。それを合理的に説明すると、どうしても「陰謀論」にしか行き着かないのだ。つまり、日米支配層の間には最初から「庶民は殺していいが、お互いは無傷なままでいよう」という合意があった、ということである。つまり、日米ともに、国民全体にとっての本当の敵は横(他国)にではなく、上(支配層)にいた、ということだ。
日本人たちは米国人たちに広島・長崎爆撃を思い出させた
特集: 論争クラブ (66 記事)
タグ: 政治, 論争クラブ, 米国, 解説, アジア・オセアニア, 国際, 日米安保同盟, 日米関係, 第二次世界大戦, 日本関連
イリナ イワノワ
18.02.2014, 13:11
印刷する 知り合いにメールで教える ブログに書く
хиросима атомная бомба годовщина память япония
Photo: EPA
米国と日本の関係がスキャンダルで炎上している。駐日米国大使 キャロライン・ケネディ氏が、NHK経営委員百田尚樹氏の問題発言への抗議をこめて、NHKの取材申し込みを断った。百田氏は1937年の南京大虐殺の事実性を否定。同時に、1945年の米国による広島・長崎原爆投下を「野獣的行為」と批判した。
百田氏の発言は、日本の政治エリートたちの、また日米関係における、見逃すべからざる傾向性を鋭く反映している。元駐日ロシア大使アレクサンドル・パノフ氏は次のように語る。
「広島・長崎に先立ち、同じ1945年、10万人以上が死亡した東京大空襲があった。しかし東京を壊滅させるための、軍事的必然性はなかった。こうしたすべては日本国民の脳裏に拭い難く刻印されている。広島・長崎両市では毎年、追悼行事が行われている。そこで、『原爆を落としたのはほかならぬ米国である』という点に力点が置かれたことは一度としてなかったが、それは別の話である」
パノフ氏は語る。広島・長崎をめぐる米軍の「蛮行」発言が今の今なされたことは、偶然とは考えられない。米国が日本の安倍首相の靖国参拝をやんわり非難したことは、記憶に新しい。それまで米国は、同盟国を批判するに際しては、きわめて慎重であった。しかし、状況は変わった。バラク・オバマ大統領は、台頭する中国への脅威のもとに、日本および韓国との同盟関係を強化しようとしている。その今、日本の首相に靖国参拝などしてほしくなかったのだ。そこへ百田氏の、南京大虐殺の事実性を否定する発言である。おまけに百田氏は、東京裁判はただ、広島と長崎から目を逸らさせるために、米国に必要だったから行われたのだ、と語った。この発言は米国の許容限度を超えるものだったしい。けれども……とパノフ氏。
「大使が取材を拒否した。米国がこれほどハードなリアクションをとったことはかつてなかった。米国は明らかに不満感を表したのだ。もっとも、日本の肩を持ちたい気持ちもある。米国はかつて一度として自らの野獣性を認めたことはない。平和な都市を壊滅させてしまう、これは野獣性でなくて何か?米国だって悪いのだ。駐日米国大使が広島・長崎の追悼式典に出席するようになったのは、ほんの2年前のことだ。それまでは、日本の平和な市民を大量に殺害したことについて哀悼の意も何も表明してはこなかった。百田氏の発言は、米国の政治家たちの、自らの罪に対する沈黙と、歴史的真実からの逃避の結果なのだ」
パノフ元大使は、百田氏の発言は日本社会の注意を喚起するに一定の役割を果たすだろう、としている。
「米国が広島・長崎についての自らの有責性を黙殺してきたために、日本の若い世代の多くは、原爆を投下したのはソ連だと思っている。いま歴史的真実が見直されることには、一定の理由と意味があるのだ」
パノフ氏の見るところでは、百田発言の真意は、一つには歴史的真実への希求であり、また一つには、日本を対等の相手として、しかるべく敬ってほしい、との米国への呼びかけであった。もしも米国が日本の首相の靖国参拝を批判するのなら、日本にだって米国を批判する権利が、また根拠があるのだ。重要人物による問題含みの言動は、日本の抱えるひとつの不安、すなわち、米国はやがて日本を見捨て、中国をとり、ついに日本は孤立状態で中国と向き合わなければならなくなるのではないか、との不安に基づく、捩れた求愛表現と見ることが出来る。パノフ氏は言う、百田発言などがどのような効果を持つのか、それは分からない。しかし、少なくとも、広島と長崎の歴史的真実を見直すことは、誰にとっても害とはならない。
注目すべき記事は、目に付いた時に保存しておかないと、すぐに新しい記事の洪水の中に埋没してしまうから、緊急性は少ない話題だと思うが、こうして転載した。
私は百田など大嫌いだし、実に下品な顔の男だと思うが、彼がアメリカの原爆投下や東京大空襲について述べたことはまったくの正論だと思う。私自身、同じ趣旨の記事を何度か書いている。東京裁判についての考えも、そう間違ってはいないと思うが、問題は、彼の発言がネット右翼レベルの、あるいは子供の喧嘩レベルの「現在の政治状況を無視した発言」になっていることだ。
私はよく言うのだが、心の底で思っていることと、それを発言することはまったく別の話なのである。
しかも、その発言が社会的影響を持つ、公的立場にある人間ならば、自分が思っていることをそのまま全部外部に吐き出していいはずがない。それは「空気を読む」という、ある意味では卑屈かつ卑怯下劣な日本的風習を拒絶する勇敢な行為と言うよりは、ただの馬鹿な行為である。
まあ、私自身、自分のブログの中でいつも後先を考えずに正直な発言をしてしまう幼児性はあるのだが、幸い、社会的影響はゼロに近いので、安心して放言できるのである。
それはともかく、下記記事におけるアレクサンドル・パノフ氏の分析はなかなか見事だと思う。(日本の若者の中には原爆を落としたのはロシアだと信じている者もいる、という話は、さすがに信じ難いが、あるいはそういう小学生レベルの若者もいるのかもしれない。)
(以下引用)*赤字部分は引用者(夢人)による強調。「東京大空襲」については、その爆撃対象が霞ヶ関や虎ノ門、あるいは皇居ではなく、なぜ庶民しか存在しない下町を中心にしていたのか、ということが、ずっと私の頭を去らない疑問である。それを合理的に説明すると、どうしても「陰謀論」にしか行き着かないのだ。つまり、日米支配層の間には最初から「庶民は殺していいが、お互いは無傷なままでいよう」という合意があった、ということである。つまり、日米ともに、国民全体にとっての本当の敵は横(他国)にではなく、上(支配層)にいた、ということだ。
日本人たちは米国人たちに広島・長崎爆撃を思い出させた
特集: 論争クラブ (66 記事)
タグ: 政治, 論争クラブ, 米国, 解説, アジア・オセアニア, 国際, 日米安保同盟, 日米関係, 第二次世界大戦, 日本関連
イリナ イワノワ
18.02.2014, 13:11
印刷する 知り合いにメールで教える ブログに書く
хиросима атомная бомба годовщина память япония
Photo: EPA
米国と日本の関係がスキャンダルで炎上している。駐日米国大使 キャロライン・ケネディ氏が、NHK経営委員百田尚樹氏の問題発言への抗議をこめて、NHKの取材申し込みを断った。百田氏は1937年の南京大虐殺の事実性を否定。同時に、1945年の米国による広島・長崎原爆投下を「野獣的行為」と批判した。
百田氏の発言は、日本の政治エリートたちの、また日米関係における、見逃すべからざる傾向性を鋭く反映している。元駐日ロシア大使アレクサンドル・パノフ氏は次のように語る。
「広島・長崎に先立ち、同じ1945年、10万人以上が死亡した東京大空襲があった。しかし東京を壊滅させるための、軍事的必然性はなかった。こうしたすべては日本国民の脳裏に拭い難く刻印されている。広島・長崎両市では毎年、追悼行事が行われている。そこで、『原爆を落としたのはほかならぬ米国である』という点に力点が置かれたことは一度としてなかったが、それは別の話である」
パノフ氏は語る。広島・長崎をめぐる米軍の「蛮行」発言が今の今なされたことは、偶然とは考えられない。米国が日本の安倍首相の靖国参拝をやんわり非難したことは、記憶に新しい。それまで米国は、同盟国を批判するに際しては、きわめて慎重であった。しかし、状況は変わった。バラク・オバマ大統領は、台頭する中国への脅威のもとに、日本および韓国との同盟関係を強化しようとしている。その今、日本の首相に靖国参拝などしてほしくなかったのだ。そこへ百田氏の、南京大虐殺の事実性を否定する発言である。おまけに百田氏は、東京裁判はただ、広島と長崎から目を逸らさせるために、米国に必要だったから行われたのだ、と語った。この発言は米国の許容限度を超えるものだったしい。けれども……とパノフ氏。
「大使が取材を拒否した。米国がこれほどハードなリアクションをとったことはかつてなかった。米国は明らかに不満感を表したのだ。もっとも、日本の肩を持ちたい気持ちもある。米国はかつて一度として自らの野獣性を認めたことはない。平和な都市を壊滅させてしまう、これは野獣性でなくて何か?米国だって悪いのだ。駐日米国大使が広島・長崎の追悼式典に出席するようになったのは、ほんの2年前のことだ。それまでは、日本の平和な市民を大量に殺害したことについて哀悼の意も何も表明してはこなかった。百田氏の発言は、米国の政治家たちの、自らの罪に対する沈黙と、歴史的真実からの逃避の結果なのだ」
パノフ元大使は、百田氏の発言は日本社会の注意を喚起するに一定の役割を果たすだろう、としている。
「米国が広島・長崎についての自らの有責性を黙殺してきたために、日本の若い世代の多くは、原爆を投下したのはソ連だと思っている。いま歴史的真実が見直されることには、一定の理由と意味があるのだ」
パノフ氏の見るところでは、百田発言の真意は、一つには歴史的真実への希求であり、また一つには、日本を対等の相手として、しかるべく敬ってほしい、との米国への呼びかけであった。もしも米国が日本の首相の靖国参拝を批判するのなら、日本にだって米国を批判する権利が、また根拠があるのだ。重要人物による問題含みの言動は、日本の抱えるひとつの不安、すなわち、米国はやがて日本を見捨て、中国をとり、ついに日本は孤立状態で中国と向き合わなければならなくなるのではないか、との不安に基づく、捩れた求愛表現と見ることが出来る。パノフ氏は言う、百田発言などがどのような効果を持つのか、それは分からない。しかし、少なくとも、広島と長崎の歴史的真実を見直すことは、誰にとっても害とはならない。
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