「BLOGOS」から転載。
大学の先生という立場からすれば、「奨学金」批判論は言いにくいはずだが、かなり本音を語っているように思える。奨学金はただの借金であり、学資ローンと同じだと考えるべきだろう。違いは、学資ローンは親が負担するが、奨学金(の返済)は本人が負担するのが普通だ、という点である。まあ、大学に行くかどうかは本人の意思であり、本人がそれを負担するのは当然だ、と私は考えている。(もちろん、親がいれば、その返済に協力してもいいわけだ。)
もっと言えば、学校教育は中学までで十分で、高校まで出してやるのは親のサービス、大学まで行かすのは過剰サービスだ、と考えている。
そもそも、高校で学ぶのは大学入試に必要というだけの知識が大半であり、そんな知識など高校に行かなくても図書館やインターネットを利用すれば自分で学べる。大学で学ぶのも似たようなものだろう。大学で学んだことで、社会に出ても役立つ知識というのはわずかなものだと思う。(一部の専門職は別で、医学や工学などは職業に密着した知識を学ぶとは思う。)
大学のメリットは、精神的に未熟な子供が、半分遊びながら知見を広められるという「大人への猶予期間」である、という点にあり、人生にはそういう時期もあっていいだろう。だが、中卒や高卒でいきなり社会に出なければならない厳しい立場の人間もたくさんおり、大学などに行ける人間は、そういう自分の恵まれた境遇に感謝しなければなるまい。
未来においては、大学(大卒)の肩書きがまったく意味を持たず、高卒や中卒(あるいは高校中退、中学中退)で社会の第一線で働くような人間がIT企業などを中心に増えてくるのではないかと思う。
(以下引用)
記事 凜
2014年02月17日 13:00
奨学金という「借金」と就職できる大学という現実
『INSIGHT NOW!』に純丘曜彰大阪芸術大学芸術学部教授が書かれていた「奨学金には手を出すな」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「『奨学金』とは名ばかりで、実態は若者を喰いものにする貧困ビジネス」だとまで述べております。
「本来の奨学金、英語のスカラーシップは、まさに将来ある有為の若者の勉学を奨励するもので、日本でも、大学や企業、県人会などが無償の善意で、学費免除や生活支援をしている」。「一方、日本で一般的な旧『育英会』、現『学生支援機構』」は「ただの巨額の個人の借金」で、「事実上のフリーパス」と問題点を指摘します。
そのうえで、「月12万円で4年間借りると、卒業時には576万円の借金」でこれを返すためには、かなりの年月がかかり、子育てを考えると、「子供もまた奨学金。一家一族、子々孫々まで、ずっとまるまる借金漬けで貧困世帯に墜ちていく」ともしています。
更に「もしも正社員に就職できなかったら」とか、「講義をサボり、単位を落とすと、奨学金は打ち切り。ただちに退学、返済とならざるをえない」という「現実」にも触れられています。
そして「カネが無いなら、本気でがんばって、成績優秀者として、大学の学費免除、企業や県人会などの本物の奨学金を取れ」、「どうしてもやむなく奨学金に手を出すなら、他の学生と自分は別の世界に生きていると腹をくくり、ひたすら勉学にだけ打ち込め。」と結んでいます。
2 奨学金について
実に正論で、願わくは大学進学を考えている高校生に自分の将来を考えるときに読んでもらいたい記事です。
以前私も奨学金について書かせてもらったことがありますが(「夢」のために借りた奨学金と滞納が増加している「現実」)、基本的に同意見で、きついと言われようが、高校生には酷だと言われようが、こうした現実があり、自分の将来である以上きちんと考えてもらいたいと思っています。
実際、大学も経営という観点が必要で、生徒を確保しなければなりません。すれば、奨学金でも何でも使って来てくれる生徒は大変ありがたい存在で、まちがってもこうした不利なことを大々的に言うはずがありません。
高校についてもいろいろ都合があり、とりあえず奨学金を借りらせて進学させてしまえと言う思惑もあるようです(教師の都合とそれで大学進学を決めて苦労する学生)。
大学院生の実態については、既にかなりの人が知っていることと思いますが(大学院卒の現実周知)、大学については、大学位は出ておかないと、という発想が強いためか、大学であればというだけで、あまり深く考えずに奨学金を使ってしまう様です。
3 就職の現実
何のために大学を出るかという話は以前からありますが、現実問題としては就職のためという話になるかと思います。
それなりの大学をでないとそれなりのところには就職できないという現実があり、「学歴偏重」に対する批判などが何度も寄せられてきておりますが、就職の際、学歴に代わるものがない以上、なくなることは簡単にはないかと思っています。
学歴を差別する人は、良く自分で相手を判断する能力がないから学歴というものを通して判断するということを言いますが、短期間で採用する人間を判断しなくてはならない会社にそんな余裕があるはずがありません(大学の学部・学科に「キラキラネーム」が出てきた理由)。
良い大学を出ていても使い物にならない人間が大勢いることは間違いなく、良い大学を出ているから「素晴らしい人間」だとかいうのはおかしいと考えます。
しかし、会社が求める「使い物になる人間」は、可能性として偏差値の高い大学と低い大学のどちらにより多くいるかとなると、高い大学にいる可能性が高く、そこから選んだ方が外れが少ないというのは採用する人間の気持ちになれば当然の判断かと思います。
4 最後に
確かに、高校を卒業する位の年齢の方に将来のことを考えろというのは酷だというのはわかっているのですが、自分の人生なので、大学進学にあたり、奨学金という「借金」を背負って今後やっていく価値のあることかは本気で考えてもらいたいと思います。
そして自分の行ける大学が行く価値のあるところなのか(理想を言わせてもらえば、何が学べるかまで含めてなのでしょうが、どのような教授がいて何を教えてもらえるかを分かれというのはかなりキツイでしょうし、実際有名大学ならともかく、そうでもない大学の教員となると私でも無理です)、せめて就職という観点からだけでも考えてもらえればと思っております。
大学の先生という立場からすれば、「奨学金」批判論は言いにくいはずだが、かなり本音を語っているように思える。奨学金はただの借金であり、学資ローンと同じだと考えるべきだろう。違いは、学資ローンは親が負担するが、奨学金(の返済)は本人が負担するのが普通だ、という点である。まあ、大学に行くかどうかは本人の意思であり、本人がそれを負担するのは当然だ、と私は考えている。(もちろん、親がいれば、その返済に協力してもいいわけだ。)
もっと言えば、学校教育は中学までで十分で、高校まで出してやるのは親のサービス、大学まで行かすのは過剰サービスだ、と考えている。
そもそも、高校で学ぶのは大学入試に必要というだけの知識が大半であり、そんな知識など高校に行かなくても図書館やインターネットを利用すれば自分で学べる。大学で学ぶのも似たようなものだろう。大学で学んだことで、社会に出ても役立つ知識というのはわずかなものだと思う。(一部の専門職は別で、医学や工学などは職業に密着した知識を学ぶとは思う。)
大学のメリットは、精神的に未熟な子供が、半分遊びながら知見を広められるという「大人への猶予期間」である、という点にあり、人生にはそういう時期もあっていいだろう。だが、中卒や高卒でいきなり社会に出なければならない厳しい立場の人間もたくさんおり、大学などに行ける人間は、そういう自分の恵まれた境遇に感謝しなければなるまい。
未来においては、大学(大卒)の肩書きがまったく意味を持たず、高卒や中卒(あるいは高校中退、中学中退)で社会の第一線で働くような人間がIT企業などを中心に増えてくるのではないかと思う。
(以下引用)
記事 凜
2014年02月17日 13:00
奨学金という「借金」と就職できる大学という現実
『INSIGHT NOW!』に純丘曜彰大阪芸術大学芸術学部教授が書かれていた「奨学金には手を出すな」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「『奨学金』とは名ばかりで、実態は若者を喰いものにする貧困ビジネス」だとまで述べております。
「本来の奨学金、英語のスカラーシップは、まさに将来ある有為の若者の勉学を奨励するもので、日本でも、大学や企業、県人会などが無償の善意で、学費免除や生活支援をしている」。「一方、日本で一般的な旧『育英会』、現『学生支援機構』」は「ただの巨額の個人の借金」で、「事実上のフリーパス」と問題点を指摘します。
そのうえで、「月12万円で4年間借りると、卒業時には576万円の借金」でこれを返すためには、かなりの年月がかかり、子育てを考えると、「子供もまた奨学金。一家一族、子々孫々まで、ずっとまるまる借金漬けで貧困世帯に墜ちていく」ともしています。
更に「もしも正社員に就職できなかったら」とか、「講義をサボり、単位を落とすと、奨学金は打ち切り。ただちに退学、返済とならざるをえない」という「現実」にも触れられています。
そして「カネが無いなら、本気でがんばって、成績優秀者として、大学の学費免除、企業や県人会などの本物の奨学金を取れ」、「どうしてもやむなく奨学金に手を出すなら、他の学生と自分は別の世界に生きていると腹をくくり、ひたすら勉学にだけ打ち込め。」と結んでいます。
2 奨学金について
実に正論で、願わくは大学進学を考えている高校生に自分の将来を考えるときに読んでもらいたい記事です。
以前私も奨学金について書かせてもらったことがありますが(「夢」のために借りた奨学金と滞納が増加している「現実」)、基本的に同意見で、きついと言われようが、高校生には酷だと言われようが、こうした現実があり、自分の将来である以上きちんと考えてもらいたいと思っています。
実際、大学も経営という観点が必要で、生徒を確保しなければなりません。すれば、奨学金でも何でも使って来てくれる生徒は大変ありがたい存在で、まちがってもこうした不利なことを大々的に言うはずがありません。
高校についてもいろいろ都合があり、とりあえず奨学金を借りらせて進学させてしまえと言う思惑もあるようです(教師の都合とそれで大学進学を決めて苦労する学生)。
大学院生の実態については、既にかなりの人が知っていることと思いますが(大学院卒の現実周知)、大学については、大学位は出ておかないと、という発想が強いためか、大学であればというだけで、あまり深く考えずに奨学金を使ってしまう様です。
3 就職の現実
何のために大学を出るかという話は以前からありますが、現実問題としては就職のためという話になるかと思います。
それなりの大学をでないとそれなりのところには就職できないという現実があり、「学歴偏重」に対する批判などが何度も寄せられてきておりますが、就職の際、学歴に代わるものがない以上、なくなることは簡単にはないかと思っています。
学歴を差別する人は、良く自分で相手を判断する能力がないから学歴というものを通して判断するということを言いますが、短期間で採用する人間を判断しなくてはならない会社にそんな余裕があるはずがありません(大学の学部・学科に「キラキラネーム」が出てきた理由)。
良い大学を出ていても使い物にならない人間が大勢いることは間違いなく、良い大学を出ているから「素晴らしい人間」だとかいうのはおかしいと考えます。
しかし、会社が求める「使い物になる人間」は、可能性として偏差値の高い大学と低い大学のどちらにより多くいるかとなると、高い大学にいる可能性が高く、そこから選んだ方が外れが少ないというのは採用する人間の気持ちになれば当然の判断かと思います。
4 最後に
確かに、高校を卒業する位の年齢の方に将来のことを考えろというのは酷だというのはわかっているのですが、自分の人生なので、大学進学にあたり、奨学金という「借金」を背負って今後やっていく価値のあることかは本気で考えてもらいたいと思います。
そして自分の行ける大学が行く価値のあるところなのか(理想を言わせてもらえば、何が学べるかまで含めてなのでしょうが、どのような教授がいて何を教えてもらえるかを分かれというのはかなりキツイでしょうし、実際有名大学ならともかく、そうでもない大学の教員となると私でも無理です)、せめて就職という観点からだけでも考えてもらえればと思っております。
PR