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白い猫でも黒い猫でも、鼠を取るのがいい猫だ

「阿修羅」から転載。武田斉紀というビジネスコンサルタントの書いた記事のようだ。
遅々として進まない東日本の復興だが、職を失った7万人の人間が、これから先失業給付の期限が切れ、収入を一切失うことになる。そして、東日本では仕事が無い。ならば、彼ら自身の手で復興をしてもらい、それに報酬を払えばいい、というのは誰でも考えることだが、そこには無数の利権があり、縄張りがあり、法律問題がある、というわけで、現代社会は「目の前で死んでいく人間を救う」という道理よりも、有形無形の規制が優先する社会なのである。
おそらく下記記事の「復興ビジネス」もすぐに利益追求ビジネスに変質し、新たな利権の温床となるだろう。
だが、それでも、目の前で死んでいこうとする人を救う手段になるのだから、これはいい提案だ。地方自治体が中心となって、金は政府が出す、というようにすれば、我も我もとこの「復興ビジネス」に参加するだろう。欲のためではあっても、それが結果的に人助けにもなるのである。


(以下引用)


そこで私からの提案だが、「復旧復興」そのものを新たなビジネス、新しい産業として育ててみてはどうかと思うのだ。

 2011年に国内で起こった自然災害は東日本大震災だけではない。先日の台風12号の被害は甚大で、和歌山県と奈良県を中心に100人以上の死者と行方不明が出ている。全壊、半壊、床上浸水した家屋は300戸以上、避難者は6000人を超えた。規模と原因は異なれども、多くの人が家族や住む場所、仕事を失った点では大震災と共通する。

 東日本大震災の復旧復興も道半ばなのに、今度は紀伊半島の復旧復興に人が必要だ。高齢化の進む地方では、家の中に積もった泥をかき出す労働力さえ十分にない。ボランティアを募るのも、近隣の若者に仕事を休んで駆けつけてもらうのもいいが、限界もあるだろう。

 今年は7月にも新潟・福島豪雨が発生し、やはり死者を含む大きな被害が出ている。世界的に見ても、地震や台風、ハリケーン、竜巻などの自然災害による被害は衰えを見せない。むしろ年々増えているようだ。

 もう想定外などと言っている場合ではないだろう。同じような自然災害が今後も続く可能性が高いなら、事前の予防策とともに、事後の復旧復興の仕組みを用意する必要がある。阪神・淡路大震災や東日本大震災の復旧復興で得たノウハウを蓄積しておけば、次の大きな震災では、もっと迅速かつ効率的に取り組めるのではないか。

 そこで求められるのが、「復旧復興ビジネス、復旧復興産業」ではないかと思うのだ。
復興ビジネスは、“ソーシャルビジネス”でなくてはならない

 かつて存在しなかったビジネスが、その後一大産業に育っている例は少なくない。たとえば警備などの「安全産業」は、かつてはニーズがないに等しかった。日本では「安全はタダ」と考えられていたからだ。

 業界を代表するセコム(東京都渋谷区)が産声を上げたのは1962年。翌1963年に開催された東京オリンピックの警備を担当することで、社会的に知られるようになった。その後、世の中の安全への関心は高まり、アルソック(東京都港区、1965年設立)なども参入することで、安全産業は一大産業へと育っていった。

 最初から安全な社会であれば、それに越したことはない。当初は安全にお金を払うなんてもったいないという感覚から、安全産業は積極的に捉えられていなかった。ところが時代を経て、今では安全産業は「暮らしに安心をもたらしてくれる」存在として受け入れられた。セコムはさらに発展させて、社会と生活全般を支える「社会システム産業」を目指している。

 とはいえ「復旧復興をビジネスにするのは、目の前で困っている人を相手に商売するようで不謹慎だ」という見方もあるだろう。お金の出所が、被災者本人ではなく、自治体や政府ならどうか。被災地の人々の本音は、1日でも早く元の生活を取り戻したい。それを現場で強力に支援してくれる存在があるなら、力を貸してもらいたいだろう。

 現場を支援するのは、もちろん自治体や政府でもいい。実際にはA自治体がB自治体の支援に全面的に乗り出すことは、人的部分も含めて壁が高い。全体では国が横断的に補う必要があるだろう。むしろ機能を国に一括して持たせる方が現実的かもしれない。

 しかし問題は競争のないところで、どれだけ効率よくノウハウを蓄積できるかだ。ビジネス化、産業化を見据えている理由もそこにある。命に関わる救出などの初期の特殊任務は、自衛隊や警察消防など国や自治体を母体とするプロが担うべきだが、その後は民間に委託してはどうだろう。

 複数の企業が競争し合えば、効率よくノウハウもたまるし、新たな工夫やアイデアも生まれやすい。日本全国どこで災害が発生しても、すぐさま駆けつけて他の地域で得たノウハウを投入してくれる。復旧復興のスピードと質はどんどん高まっていくはずだ。

 また民間ビジネスであれば、陣容が整い次第、国内だけでなく海外にまでサービスを拡大していくだろう。そうなれば地球規模での災害対応ネットワークを構築できる。

 ただし、復旧復興の現場を民間に委託するに当たっては懸念がないわけではない。私が挙げたいポイントは3つある。1つ目は、このコラムの最初から言い続けてきた「地元での雇用の確保」だ。参入企業にはキャッシュ・フォー・ワーク(CFW)などの手法を使って、地元に雇用を生み出し、永続的に維持してもらいたい。

 2つ目は、復旧復興の主体はあくまで被災した国や自治体にあるということだ。発注主として民間に丸投げしているだけでは、地域の実情にあった復旧復興は実現できない。東日本大震災でも、大手のコンサルタント会社がコントロールタワーとして参入しているが、大もとのコントロールを自治体や国が放棄しては最善の選択は行えない。

 そして3つ目は、参入する民間ビジネスは従来型の利益を最大化するビジネスモデルではなく、“ソーシャルビジネス”であるべきだ。従来型の民間ビジネスでは、可能な限り高い額での受注を目指し、現場では原価の最小化を目指す。直近では1円で入札したとしても、トータルでは利益の最大化を狙っている。ともすると地元の都合は後回しにされてしまう。

 カダフィ氏による独裁政治が崩壊したリビアでは、復興ビジネスが注目を集めているという。政権崩壊に手を貸した国や企業が、復興ビジネスにおける利権を手に入れようと競い合っているそうだ(読売オンライン2011年9月4日)。従来型のビジネスルールからすれば、投資をしただけの見返りを求めるのは当然だ。

 これに対して“ソーシャルビジネス”は、継続性を確保するために利益は追求するものの、社会への貢献を第一に考え、最大化することを目指すビジネスモデルだ。その考えに基づけば、1つ目や2つ目の懸念もおのずと解消されるのではないか。うまく巻き込めれば、国や自治体が発注主かつ主体となりながら、地元での雇用を確保しつつ復旧復興を急げる。

 一方、ソーシャルビジネスを目指す企業の側には、利益至上主義にならない理念が求められる。特にソーシャルビジネスを標榜していない企業の中にも、社会への貢献を重視している企業は存在する。ブレない信念さえあれば、頼れるパートナーとなるだろう。

 国や自治体は、復旧復興をソーシャルビジネスとして扱う民間企業を積極的に育成していってはどうだろう。彼らの知恵と活力を大いに取り入れながら、終わらない自然災害への備えを推進していくべきだ。

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