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聞かせよ愛の言葉を

2チャンネルのネタだったかと思うが、特撮映画の悪役や怪人の特徴として「世界征服のために日夜真面目に努力している」というのがあったが、悪人は悪事のためにいろいろ頭を使うから頭はいいし、案外勤勉なものである。勤勉さのために生活の楽しさを犠牲にしているから、その反対に楽しく暮らしている愚鈍な平凡人を憎悪する。特撮映画の悪役や怪人の特徴は「高笑い」だが、これは平凡な人々への嘲笑なのである。これは、一流企業の幹部や高級官僚にも共通した心性であり、彼らの優秀さは若い頃の刻苦勉励による毎日の生活の犠牲と引き換えになっている。だから、彼らは精神的(というか、人格的)には貧困であり、道徳的には残忍で嫉妬深く、傲慢である。
というわけで、私が最近面白く読んでいる「マドモワゼル愛」というおっさんのブログから転載する。しかし、自分の通称を「マドモワゼル愛」とつけるその勇気には感心する。なんで男なのに「マドモワゼル」なのだろう? 心は乙女よ、ってことか?


(以下引用)



私たちも苦労して怒っているときは、絶対に笑おうとしない。
笑ってしまったら自分が負けたようになってしまう、、、そんな意地が働く。

そして笑うことよりも不幸を選択する。
その権化が悪魔であり、彼らは人一倍努力している。

なので、この世の支配者になっても確かにおかしくない権利は一面ではあるのかもしれない。
なにせ、一番苦しいことを、一番無理なことを、何年も何世代にもわたって努力してきているのだから。

快適さ、解放感、笑い、、、なぜ現代からそうしたものが急速に消えていったのか、、、、テレビを見れば、そこにある笑いは冷笑と嘲笑の笑いである。
15年ほど前まではまだお笑いでももう少し、本当に面白いものがあったが、最近ではやっぱり変わってきている。

腹の底からわらったことが最近ない、、、そういう人が多いと思うが、おそらく何かで苦労されて努力することを求められているのだろう。
そうなれば、きっと何かに復讐したい、、、人間が嫌いだ、、、という気持ちとセットされていると思う。

古き良きアメリカの時代のホームドラマは笑わせるものが多かった。
そんなものでもどんなに大勢のアメリカ人を幸福にしていたことか。

しかし一度苦しみ、つらい努力を重ねる、、そうなったら、どんなに面白いものを見ても知っても笑えなくなる。
笑えるようになるには、その前の心をほぐしたり、自然なものを受け入れるような体験が必要なのだろう。

文化の本当の役割は生きる際に出くわす幾多の苦労を、悪にせずに笑いによって流し、あらゆる努力以前の三昧によって生きる道を作ることにあるのではないか。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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