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昔の怒れる若者が、今はイカレた老人か

作家丸山健二のブログから転載。
このように考え、感じるのがまともな知性、感性だと思うのだが、案外とそれが大多数の意見でもなさそうなのが不思議なところだ。特に若い連中にはこうした考え方は不評で、だいたいにおいて若者の間に見られるのは、

1) この競争社会、弱肉強食の世界を全肯定し、自分のスキルを磨いて競争の勝者になろうとする。そして競争を否定する者を負け犬として軽蔑する。これは男女とも存在する。
2) この弱肉強食の社会にうんざりしながら、それを変えようとはまったく思わず、ただ虚無的に毎日を生きる。

のどちらかだ。若者ほど保守的だ、ということになる。
で、それも当然なのであり、若者には前途に長い時間がある。下手な行動を取れば、そのツケを一生背負い込むことになるのだから、今の社会の権力の前に身をかがめて生きるしかないのである。
ネットの中で社会改革の熱意に溢れる言説をなすのは、だから年寄りばかり、ということになる。若い連中から見れば「あいつらは先が無いから、いくらでも好きなことが言えるんだよ」と不愉快な思いもあるだろう。しかし、年寄りでも家族はいるのだから、何のリスクも無しに発言しているわけではない。そして、その「老人革命家」たちは自分のためではなく、未来のため、つまり若者たちのために発言し、行動しているのである。
日本の未来がどうなってもいいのなら、わざわざ自分から不利益を背負い込むことはない。
まあ、しかし若者にはもう一つ困難がある。それは、この社会の実相を老人ほどは知らない、ということだ。世界全体、社会全体を見渡すパースペクティブの点では、やはり老人が上だろう。ネットなどでいくら情報を仕入れても、そのほとんどは何の裏付けも無いゴミ情報である。それを選別できるだけの見識があってはじめて情報が利用できるのだ。一日中ネットに貼り付いていれば賢くなる、というものでもない。

(以下引用)

あれからすでに一年半以上の歳月が、未来への明るい展望やしっかりとした成果を得られぬまま、だらだらと流れてしまった今、正義や理念なるものは非現実的というレッテルを貼られ、あくどいだけが取り柄の現実的に過ぎる現実によって世間の片隅に追いやられ、ふたたび冷酷で残虐な弱肉強食の法則が罷り通ってきているのです。
 動物としての命であるならばそれが自然の摂理ということで納得できないこともないのですが、しかし、我々は曲がりなりにも人間なのです。その気になりさえすれば人間として生きることが可能な、実に希有な動物なのです。にもかかわらず、他者を踏み台にし、他者を突き落とし、他者を食い物にしてでも自分だけはいい思いをしたいという動物以下の生き物どもが、その強靱に過ぎる生命力を裏打ちする強い我欲の力を存分に発揮することで、この国をふたたび私物化の方向へ持ってゆこうとしています。
 そうはさせじとする、こいつらの好き勝手にさせてたまるかとする、強い心組みを持続させ、おのれの精神にしっかりと根付かせることこそが、動物の立場を離れて人間になるための道であり、それ以外の、つまり、善の怒りを抜きにした、温厚な道をいくら捜しても絶対に見つからないでしょう。

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趣味:
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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