「続壺斎閑話」から転載。(原タイトルの「壺」と「斎」は別字)
私は「反・新自由主義」であり、「反・グローバリズム」の人間であることは、これまでのブログ内容からだいたいお分かりだと思う。「反・グローバリズム」とは「反・自由貿易」でもあり、関税や貿易障壁は日本国民の利益を守るために、むしろ必要だと考えている。そして、グローバリズムによって日本国民の利益がこれ以上侵害されるならば、「鎖国」という時代錯誤の手段も考えるべきだというのが私のこれまでの主張であった。
というのは、世界の文化や文明はこれ以上発展する可能性は無い、と私は思っているからだ。つまり、日本のように、必要なものは自国内でほぼ充足できる国は鎖国(主として欧米との国交断絶、貿易停止)によって受けるデメリットはほとんど無いというのが私の主張である。
1990年以降、つまりバブル崩壊後の日本の経済的衰退と文化的・道徳的退廃は、ほとんどグローバリズムの結果である、と私は考えている。いわば、日本はグローバリズムによって喰い散らかされているのである。
今の日本にとって、外国(特に欧米)の存在は本当に必要か、と考えてみた時、必要なものとして何があるだろうか。せいぜいが、輸出企業(その大半の実態はおそらく外国人株主が実質的に所有する多国籍企業だろう)が利益を得るための市場や労働力補充のために外国(主として発展途上国)が必要だ、という程度だろう。
幕末や明治維新の時期での開国は、おそらく不可避的であったし、その結果も功罪を論じるならば「功」の方が大きいだろう。何より、西洋の科学を取り入れ、産業を興隆させる必要が当時は痛切にあったのである。しかし、その科学も産業も、もはやこれ以上の発達はまず無い、と私は見ている。後はその害悪が社会を劣化させるだけだろう。
だから私は、日本は鎖国(欧米との断交)をした方が良い、と言うのである。
それによって、日本は欧米による収奪を免れるべきだ、ということだ。
もちろん、全面的な鎖国をするか、部分的鎖国をするかは頭のいい人たちに考えてもらえばいいことである。
というのが私の考えなのだが、細かく論じれば切りが無いので、この辺にする。
で、下記記事における丸山真男の主張は、私とは正反対の「開国肯定論」(正確に言えば、「より良い開国がありえたはずだのに、新天皇制国家建設を主眼としたために駄目な開国になった」という論)なのだが、彼が現在の「TPPによる日本破壊」に直面した日本を見ていても「TPPによる新たな開国=国家主権喪失」を肯定するかどうか、知りたいものである。丸山真男は私の尊敬する思想家の一人であるのだが、この件については、考えは正反対なのである。
(以下引用)
丸山真男の開国論
続壺齋閑話 (2013年2月19日 18:10) | コメント(0)| トラックバック(0)
丸山真男は、日本は三度にわたって開国のチャンスを迎えたと言っている。(開国「忠誠と反逆」所収)室町末期から戦国時代にかけてがその第一、明治維新がその第二、そして昭和の敗戦がその第三である。「開国」と題した小論では、第二の開国たる明治維新について考察を加えている。
明治維新の動乱を通して、一般の日本人は二重の開国を経験した。西洋諸国に対して開国したという通常の意義の開国のほかに、閉ざされた社会から開かれた社会へと自らを転換させた、それが第二の開国と言うに相応しい強いインパクトをもった、と丸山は考えるのだ。
徳川時代と言うのは、世界史上例を見ないような閉ざされた社会だった。全国に二百数十の領邦国家(藩)が分立し、相互に独立しているばかりか、領邦国家内部でも、人民は堅固な身分秩序に組み込まれ、「農民の土地緊縛をはじめ徒党の禁止・職業移動と旅行の制限・紛争の局地解決主義など」文化と行動とのあらゆる面に渡って「リジッドな定型化」が支配した。
こうしたリジッドな体制は、徳川氏によって意識的に採用された、と丸山はいう。「もし徳川氏が大名分国制の否定の上に全国的なヘゲモニーを確立したならば、それは古典的な絶対主義への道であったはずである。けれども徳川氏は三河以来の譜代を中核とした主従結合をあくまでも権力の核心として維持し、その力によって、公家及び寺社勢力を無力化するとともに、徳川氏と基本的に同じ組織原則にもとづいた外様大名をコントロールした」
こうして出来上がったスタティックな体制を、福沢諭吉は「日本国中幾千万の人類は各幾千万個の箱の中に閉ざされ、また幾千万個の壁に隔てらるるが如し」といった。このような計画的閉鎖社会にあって、宋学的世界像が正統的地位を占めたのは不思議ではない。宋学は世の中の秩序と自然の秩序を同一視し、現行の秩序を永遠不変のものとして合理化してくれたからである。
西洋諸国から迫られた開国は、単に国全体を外国に対して開くのみならず、領邦国家間の関係を流動化させ、上述したようなリジッドな体制を溶解させていったのであった。
開国の結果まず現れた現象は、物価の騰貴と道徳的アナーキーであった。物価の投機は、貿易の結果大量の金銀が流出したことによってもたらされた。物価高で生活を破壊された人々は自暴自棄になり、それが道徳的アナーキーをもたらした。たとえば維新前後の会津若松では、生活のために売春を営むものが数百にのぼり、宇都宮では贋金作りが横行し、「在々処々、押込、夜盗、火付、盗賊流行、不安のことどもなり」といった状態だった。
攘夷運動が活発化した背景には、こうした民衆の間の動きも作用していたのである。そうした民衆の怒りが、まず現行の権力を破壊する力として働き、維新政権ができたのちでは、上からの改革に対する反抗の力として働き、自由民権運動をあれだけ激しいものにさせる原動力になったと考えられるのである。
ともあれ、開国によって国内が流動化し、これまで交際のなかった異質な社会との接触が増えるにしたがって、視野が開けた状態になって、多くの人々が、自分がこれまで直接に属していた集団への全面的な同一化から解放され、自分と社会との関係を意識的・相対的に考えるようになる。そのことは、近代的な個人の成立や、自由な結社の成立を促す力として働くはずだ、と丸山は考える。
しかし明治維新後の動きは、かならずしもそういう方向には進んでいかなかった。明治維新によっていったんは開かれた日本の社会を、新しい指導者となった藩閥勢力が、天皇制国家と言うもうひとつの閉じた社会へと、再び閉じ込めにかかった努力が、効を奏した結果だというのである。そのへんの事情を、丸谷化は次のようにいっている。
「無数の閉じた社会の障壁を取り払ったところに生まれたダイナミックな諸要素をまさに天皇制という一つの閉じた社会の集合的なエネルギーに切り替えていったところに"万邦無比"の日本帝国が形成される歴史的秘密があった」
このあたりの丸山の問題意識は、開国によってせっかく盛り上がった民衆のダイナミックなうねりが、権力によって巧妙にからめとられ、全体主義的な方向へと導かれていった歴史的な現実を前にしての、はぎしりがきこえてくるような無念さを感じさせる。
私は「反・新自由主義」であり、「反・グローバリズム」の人間であることは、これまでのブログ内容からだいたいお分かりだと思う。「反・グローバリズム」とは「反・自由貿易」でもあり、関税や貿易障壁は日本国民の利益を守るために、むしろ必要だと考えている。そして、グローバリズムによって日本国民の利益がこれ以上侵害されるならば、「鎖国」という時代錯誤の手段も考えるべきだというのが私のこれまでの主張であった。
というのは、世界の文化や文明はこれ以上発展する可能性は無い、と私は思っているからだ。つまり、日本のように、必要なものは自国内でほぼ充足できる国は鎖国(主として欧米との国交断絶、貿易停止)によって受けるデメリットはほとんど無いというのが私の主張である。
1990年以降、つまりバブル崩壊後の日本の経済的衰退と文化的・道徳的退廃は、ほとんどグローバリズムの結果である、と私は考えている。いわば、日本はグローバリズムによって喰い散らかされているのである。
今の日本にとって、外国(特に欧米)の存在は本当に必要か、と考えてみた時、必要なものとして何があるだろうか。せいぜいが、輸出企業(その大半の実態はおそらく外国人株主が実質的に所有する多国籍企業だろう)が利益を得るための市場や労働力補充のために外国(主として発展途上国)が必要だ、という程度だろう。
幕末や明治維新の時期での開国は、おそらく不可避的であったし、その結果も功罪を論じるならば「功」の方が大きいだろう。何より、西洋の科学を取り入れ、産業を興隆させる必要が当時は痛切にあったのである。しかし、その科学も産業も、もはやこれ以上の発達はまず無い、と私は見ている。後はその害悪が社会を劣化させるだけだろう。
だから私は、日本は鎖国(欧米との断交)をした方が良い、と言うのである。
それによって、日本は欧米による収奪を免れるべきだ、ということだ。
もちろん、全面的な鎖国をするか、部分的鎖国をするかは頭のいい人たちに考えてもらえばいいことである。
というのが私の考えなのだが、細かく論じれば切りが無いので、この辺にする。
で、下記記事における丸山真男の主張は、私とは正反対の「開国肯定論」(正確に言えば、「より良い開国がありえたはずだのに、新天皇制国家建設を主眼としたために駄目な開国になった」という論)なのだが、彼が現在の「TPPによる日本破壊」に直面した日本を見ていても「TPPによる新たな開国=国家主権喪失」を肯定するかどうか、知りたいものである。丸山真男は私の尊敬する思想家の一人であるのだが、この件については、考えは正反対なのである。
(以下引用)
丸山真男の開国論
続壺齋閑話 (2013年2月19日 18:10) | コメント(0)| トラックバック(0)
丸山真男は、日本は三度にわたって開国のチャンスを迎えたと言っている。(開国「忠誠と反逆」所収)室町末期から戦国時代にかけてがその第一、明治維新がその第二、そして昭和の敗戦がその第三である。「開国」と題した小論では、第二の開国たる明治維新について考察を加えている。
明治維新の動乱を通して、一般の日本人は二重の開国を経験した。西洋諸国に対して開国したという通常の意義の開国のほかに、閉ざされた社会から開かれた社会へと自らを転換させた、それが第二の開国と言うに相応しい強いインパクトをもった、と丸山は考えるのだ。
徳川時代と言うのは、世界史上例を見ないような閉ざされた社会だった。全国に二百数十の領邦国家(藩)が分立し、相互に独立しているばかりか、領邦国家内部でも、人民は堅固な身分秩序に組み込まれ、「農民の土地緊縛をはじめ徒党の禁止・職業移動と旅行の制限・紛争の局地解決主義など」文化と行動とのあらゆる面に渡って「リジッドな定型化」が支配した。
こうしたリジッドな体制は、徳川氏によって意識的に採用された、と丸山はいう。「もし徳川氏が大名分国制の否定の上に全国的なヘゲモニーを確立したならば、それは古典的な絶対主義への道であったはずである。けれども徳川氏は三河以来の譜代を中核とした主従結合をあくまでも権力の核心として維持し、その力によって、公家及び寺社勢力を無力化するとともに、徳川氏と基本的に同じ組織原則にもとづいた外様大名をコントロールした」
こうして出来上がったスタティックな体制を、福沢諭吉は「日本国中幾千万の人類は各幾千万個の箱の中に閉ざされ、また幾千万個の壁に隔てらるるが如し」といった。このような計画的閉鎖社会にあって、宋学的世界像が正統的地位を占めたのは不思議ではない。宋学は世の中の秩序と自然の秩序を同一視し、現行の秩序を永遠不変のものとして合理化してくれたからである。
西洋諸国から迫られた開国は、単に国全体を外国に対して開くのみならず、領邦国家間の関係を流動化させ、上述したようなリジッドな体制を溶解させていったのであった。
開国の結果まず現れた現象は、物価の騰貴と道徳的アナーキーであった。物価の投機は、貿易の結果大量の金銀が流出したことによってもたらされた。物価高で生活を破壊された人々は自暴自棄になり、それが道徳的アナーキーをもたらした。たとえば維新前後の会津若松では、生活のために売春を営むものが数百にのぼり、宇都宮では贋金作りが横行し、「在々処々、押込、夜盗、火付、盗賊流行、不安のことどもなり」といった状態だった。
攘夷運動が活発化した背景には、こうした民衆の間の動きも作用していたのである。そうした民衆の怒りが、まず現行の権力を破壊する力として働き、維新政権ができたのちでは、上からの改革に対する反抗の力として働き、自由民権運動をあれだけ激しいものにさせる原動力になったと考えられるのである。
ともあれ、開国によって国内が流動化し、これまで交際のなかった異質な社会との接触が増えるにしたがって、視野が開けた状態になって、多くの人々が、自分がこれまで直接に属していた集団への全面的な同一化から解放され、自分と社会との関係を意識的・相対的に考えるようになる。そのことは、近代的な個人の成立や、自由な結社の成立を促す力として働くはずだ、と丸山は考える。
しかし明治維新後の動きは、かならずしもそういう方向には進んでいかなかった。明治維新によっていったんは開かれた日本の社会を、新しい指導者となった藩閥勢力が、天皇制国家と言うもうひとつの閉じた社会へと、再び閉じ込めにかかった努力が、効を奏した結果だというのである。そのへんの事情を、丸谷化は次のようにいっている。
「無数の閉じた社会の障壁を取り払ったところに生まれたダイナミックな諸要素をまさに天皇制という一つの閉じた社会の集合的なエネルギーに切り替えていったところに"万邦無比"の日本帝国が形成される歴史的秘密があった」
このあたりの丸山の問題意識は、開国によってせっかく盛り上がった民衆のダイナミックなうねりが、権力によって巧妙にからめとられ、全体主義的な方向へと導かれていった歴史的な現実を前にしての、はぎしりがきこえてくるような無念さを感じさせる。
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