『ペガサス・ブログ版』2015-07-23
安保法制=戦争法案をめぐって,集団的自衛権容認は違憲であるという,極めてまっとうな論が憲法学者をコアとして巻き起こったことは素晴らしいことだ.同時に,個別的自衛権はまるで当たり前のことのように見なされる傾向が強い.先日,公民館周囲の清掃作業のとき戦争法反対の手製チラシを配ったが,その時「自衛隊そのものが違憲じゃないのか」と言う声が聞こえた.これこそ全うな感覚だ.九条をどう読んでも現在の自衛隊が容認されるはずがない.
では,「もし侵略されたらどうして防ぐのか」というお決まりの議論がなされるだろうが,これも含めて,非暴力の国家防衛という問題について,これまで当ブログで書いて来た記事の目録と作っておく.いずれ簡潔な要約を作りたい.応援のクリック歓迎
「さしあたって集団的自衛権の問題に集中すべき,一致点を強調すべき」という意見もあるだろうが,むしろ,フル・スペクトラム・ドミナンス(米軍用語)ならぬ,フル・スペクトラム・アーギュメント,つまりあらゆる考え方の傾向に対して,それぞれに対応した議論をしかける,ということこそが重要だと筆者は考える.
九条原理主義の擁護, 2005年10月
伊藤真氏の著書の紹介,小林節氏,長谷部恭男氏批判
侵略と防衛の等確率性, 2007年2月
侵略されるのを予防・阻止し,中止させる対策と同等に必要な,自国の軍が他国を侵略するのを予防・阻止し,中止させる対策が,前者と同じウェイトで必要であること.数学による平和教育.
「攻められたらどうするのか」, 2005年10月
「武力で抵抗すれば防げる,被害が少ない」とは限らない
憲法九条下での国防, 2007年11月
「代替防衛」について
伊藤真講演会で「代替防衛」が議論に—久留米大学で, 2010年11月
軍事力によらない国家の防衛
『不破哲三の大失敗』(能吏の手から水が漏れた?)
今から何十年の前の話ですが、最初に日本共産党の不破哲三が『基本的な権利として、日本にも自衛権がある』と主張したのを聞いたときはショックでした。
当時は左翼としての社会党が健在であり、およそ全有権者の3分の1の勢力を占めていた。
日本の3分の1の左翼の支持者は、社会党の『非武装中立』との方針を支持していたのですが、左翼の元祖を主張したい共産党としては、社会党とは違う方針を打ち出す必要性があったと理解しています。共産党(不破哲三)としては『仕方がなかった』のである。
この社会党と共産党ですが、長年にわたって温泉まんじゅうの元祖と本家、老舗と総本舗の醜い争いを繰り返していたのですが、当事者は真剣だったが、所詮は田舎の小さな温泉街での身内同士の争いであり、無関係なもの(我々の様な一般市民)にとってはどちらでも良い話なのです。
日本国憲法ですが、正しく日本語が読める子供達に対して、『国家には基本的に自衛権が有るから、自衛隊は合憲だ』と説明しても、
大人が常用するご都合主義(しかたがない)のインチキ程度にしか理解出来ないでしょう。
そもそも自衛隊は警察予備隊として出発しているが、まさにこの警察予備隊が合憲の限界であり、それ以上は違憲です。
それでは今の自衛隊は違憲かと言うと、これが微妙なのですよ。
限りなく軍隊に見えることは事実ですが、やっぱり今でも警察予備隊的な特徴も残っている。
暴力装置としては同じでも警察は合憲で、軍隊は違憲で違法。
その際どい隙間に存在するのが今の自衛隊なのでが、今回の安倍の『平和法案』がこの矛盾を明らかにしたことだけが、唯一のとりえですね。
今回安倍晋三一人が解釈改憲で批判されているが、一番最初に左翼として改憲解釈を行った不和哲三の責任の方が大きいでしょう。1492年にコロンブスが大西洋を横断したら二回目三回目は簡単に行えるのです。
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