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国民を守る、武装無き「新自衛隊」

自衛隊に介護をさせる、という発想は斬新である。だが、「国民を守る」ために自衛隊に入るのなら、介護の仕事も自衛隊の仕事の一部となってもいいだろう。
もっとも、「自衛隊」という呼び名は、私は好きではない。「自らを衛(まも)る」という、エゴイズムむき出しの名称だからだ。まるで、軍隊自身を守るのが軍隊の本性である、ということを暴露しているみたいではないか。もちろん、この場合の「自」が何を指しているかと言えば、「自国」の意味だが、衛る、という言葉自体にすでに「敵」が想定されているのが良くない。たとえば「救民隊」とでもすればまだましか。
もっとも、「隊」という言葉も、それだけで「軍隊」を意味しそうな気がする。つまり、戦争が本分であって、災害救助などは「誤魔化し」だ、と彼ら自身にイメージさせてしまう可能性がある。「隊」以外なら「団」となるが、これは「消防団」が「消防隊」より格下なのと同様の印象で、不評を買いそうである。まあ、「消防隊」は軍隊ではないのだから、「隊」に軍隊のイメージがある、というのは私の思い込みかもしれない。軍でもないのに堂々と「読売巨人軍」を名乗っている集団もあることだし(笑)、漢字の意味は、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
言葉論議はともかく、新自衛隊(仮称ww)を武装解除して「災害救助」「介護」「宇宙飛行士養成」などをその仕事内容とさせる、という案は本気で検討してみていいのではないか。そのほかに「パイロット養成」「重機器運転手養成」「スポーツ選手養成」「医療従事者養成」「情報技術者養成」など、民間での需要のある人材を養成する養成機関とすれば、高校や大学よりもずっと社会にとって有益である。それを「学費免除」にしてくれれば、私に学齢期の子供がいれば、大いに(仮称)新自衛隊への入学(入隊と言うべきか)を勧めるだろう。いや、若ければ私自身が入りたいくらいだ。
もちろん、自由選択授業の一つとして「射撃」などを教えるのは自由である。だが、「人を殺すことを教える」のが(仮称)新自衛隊の本質であってはならない。この場合の射撃は、あくまでスポーツとしての射撃である。柔道や空手やスキーなどを教えるのと同様。まあ、そうすると「武装解除して」という小田嶋師の言葉に反するが、そういう細部の問題は別に論じればいいだろう。何しろ、私は平和主義者だが、(私の書いた幼稚な小説に描かれているように)銃や刀剣が大好きなので。武器に心惹かれるのは、これは男の性みたいなものだ。包丁もバットも、傘や箸でさえも、私から見れば武器の一種なのである。


(以下引用)



小田嶋隆 @tako_ashi 12時間前

自衛隊はいっそ武装解除して「日本を抑止隊」ぐらいな名前で再編するテもある。 で、災害救助と介護と宇宙飛行士の卵養成の専門組織にすれば万々歳だろ。

 

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