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ここは誰の場所?

作品自体は「美術」だとは私は思わない(私は前衛芸術嫌いの人間なのである。と言いつつ、赤瀬川原平という人間は好きだったりする。)が、この事件は「政治的意見の表明」が公権力によって抹殺された事件であり、しかもそれが「たった一つのクレーム」で起こったというところにこの国の「公権力」と「私人(個人・一般大衆)」の力の非対称性がありありと分かるという事件であるから転載した。
なお、作者自身はこの作品を政治的なものではない、とかユーモアを狙ったもの、と言っているが、それを観る人はそうは思わないだろう。中身に関しては、字がどうにも読みにくいので詳しい論評はできないが、ところどころで読める字面だけを見ても不穏な雰囲気があり、どう見ても「政治的意見」の表明にしか見えず、またユーモアは感じられない。よく読めば、ユーモアもあるのかもしれないが、読める字で書いてもらわないと、それを読み取ることはできない。
というわけで、これが「美術」だとは私は思わないのだが、この作品を展示会から撤去するという「処置」にもまた問題がある、と思うから、私はここでは会田さんの側に立つ。
まず、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展という展覧会のテーマ自体が、あきらかに最初から政治的な踏み込みを想定したテーマ設定である以上、こうした作品が出展されることは当然予測されねばならないだろうし、またそうでなければこの展覧会の意味もない。会田さんの作品はまさに、この展示会のテーマをもっとも良く表現した作品だろう。
要するに、美術が従来の美術の枠を逸脱して政治にまで踏み込んだこと自体が問題の根本にある、とも言えるのだが、東京都現代美術館がこのテーマでの展覧会を行うことを決めた以上は、それは覚悟していなければならないはずである。それが、「たった一人のクレーム」によって圧殺された、という事実そのものが、現代の政治と社会の状況を如実に表しており、それ自体がまさに「ここは誰の場所?」という作品展のテーマを浮かび上がらせるという偶然の効果をもたらしたわけである。



(以下引用)

東京都現代美術館の「子供展」における会田家の作品撤去問題について

会田誠

2015年7月25日







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 東京都現代美術館(MOT)で現在行われている「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に、僕と妻・岡田裕子と息子・会田寅次郎の三人からなる「会田家」というユニットは参加しています。僕ら3人は当展の担当学芸員である藪前知子氏とチェ・キョンファ氏と去年から小まめに連絡を取り合い、準備を進めてきました。
   展覧会が始まって約1週間がたった7月23日と24日、美術館を代表する形で、チーフキュレーターの長谷川祐子氏と企画係長の加藤弘子氏から、出品作のうち2作品に対する撤去要請がありました。理由は、観客からのクレームが入り、それを受けて東京都庁のしかるべき部署からの要請もあり、最終的に美術館として協議して決定した、と説明を受けました。
   2作品のうち1つは、僕たち3人が共同制作した「檄」という、墨文字がしたためられた6メートルの布の作品。もう1つは僕が去年作った「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」というビデオ作品です。後者についてはまたの機会に譲り、今回は「檄」についてのみ、その制作意図を書いて、今回の撤去要請が不当であることを訴えたいと思います。「檄」は三人の作ではありますが、発案者は僕であるので、とりあえず僕が一人で書きます。

   まずこの作品は、見た目の印象に反して、いわゆる「政治的な作品」ではありません。現在の政権や特定の政党を、利する/害するような文言は一言も書いてありません。文部科学省という役所全体に対して、不平不満を述べているだけです。公立ではなく民間の場であっても、芸術を使って政治的アピールはすべきでない、というのは僕のいつもの基本方針です。芸術の自律性を大切にしたいがための、自分用の戒めみたいなもので、他者にも求めるものはありませんが。
   また、この作品には全体的にユーモアが施されています。「檄」と大書された墨汁がほとばしるタイトルに反して、文章の内容は全体的には穏健なものです。特に自衛隊によるクーデターを呼びかけた三島由紀夫の「檄」に比べれば、脱力感漂うヘナチョコなものになっています。そういう「竜頭蛇尾」的なユーモア構造が全体に仕掛けられています。

   文章の内容はある意味「大したことないもの」です。特に穿った意見がそこに書かれているわけではありません。我が家の食卓で話されてきた日常(すなわち自分たちが美術家夫妻であるという自意識も薄れているような日常)会話のうち、「日本の教育への不満」を抜き出したものがベースになっています。息子は一生徒としての、妻は一保護者としての体験的な実感を述べていて、僕はオヤジ臭く「国家百年の計」のようなことを主に述べています。
   もちろん誠実に、本心のみを書いたことは言うまでもありません。家族3人の意見の比重が同じになるように、分量を調整しました。また3人の意見がバラバラである状態もそのまま示しました(それを無理矢理ミックスしたので、日本語としておかしい部分がたくさんあります)。

   現代の日本の家庭なら、ごく普通にありうべき不平不満だと思います。しかし完璧に国民的中庸な意見とは言いません。「当然偏りはある」という前提で読んでもらうべき、「一家庭における一サンプル」にすぎません。

「個々人が持っている不平不満は、専門家でない一般庶民でも、子供であっても、誰憚ることなく表明できるべきである」というのは、民主主義の「原理原則」「理想」です。簡単に言えば「我慢しなくたっていい」「声を押し殺さなくていい」——その基本的な人生態度を、僕は子供たちにまずは伝えたいと思いました。その態度を少し大袈裟に、少しユーモラスに、そしてシンボリックなビジュアルとして示そうとしたのが、この「檄」と名付けられた物体です。

 またこの「檄」は、そのような「理想」が内包する矛盾も意図的に示しています。誰もがこの現代美術館のような、天井高6メートルの空間に垂れ幕を掲げられる機会が与えられるわけではありませんから。みんながそれをしたらこの世は垂れ幕だらけになってしまいますが、その笑ってしまうような光景を幻視したうえで、社会とは何かを考えるのも良いことだと思います。    
   けして美術家ではない一般中学生である息子の参加を要請した上で、「ここ(=美術館)は誰のもの?」という難しい問いを投げかけた、担当キュレーター藪前氏&キョンファ氏に対する、僕なりの反応の一つが「檄」でした。民主主義や公共性というものは、突き詰めて考えたらとても難しいものです。不公平にもアピール度が突出した「一家庭の意見」のアイロニカルな姿を見て、たとえ子供であっても直感的に何かを考え始めてくれないだろうか……と、僕はアーチストとしてその跳躍性に賭けたいと思いました。

―――――――

   次に「内容が子供展に相応しくない」という意見に反論します。
   ここに書かれているのは日本国の教育制度に関する話——いわば「大人の事情」ですが、そのようなものを子供たちの目から意図的に遠ざけ隠す行為は、基本的に良くないことだと僕は考えます。
   たとえば、僕は小学校時代「道徳」の授業に漠然とした違和感を感じていました。その理由の主なもの——戦前の「修身」がGHQにより禁止され、再び姿を変えて復活した——といった歴史的経緯は、ずっと後になって自発的な勉強によって分かりましたが 「小学生の時から誰か大人に教えてもらいたかったよ!」と強く思ったものです。僕はまったく聡明な子供ではありませんでしたが、そう思ったので、聡明さの問題ではないと思います。
「大人たちの作った世の中の仕組みは、ただ従順に信じるのではなくて、つねに疑いの気持ちを胸に秘め、警戒して生きてゆく——そういう“背伸び”はした方がいいんだよ」という、これは僕から子供たちへ伝えたい大切なメッセージです。
「ものごとを疑う精神」というのは、人間の知性にとって最も大切なものと僕は考えます。それは20歳で成人してから、突然行使する権利が認められるような類いのものではなく、それこそ「物ごころついた時から」着々と育んでいくべきものと考えます。いわゆる「思春期の自我の目覚め」で突然それに目覚める、その「遅さ」ゆえの「爆発」こそが、できれば避けるべき事態だ——というのが私の考えです。
   その考えに基づいて僕は「檄」を始め、この展示全体を構成しました。この展示は「子供展」という枠組みに対する無視などのはずはなく、むしろ熟考の結果です。

———————

   最後に「クレーム」について。
   7月24日の話し合いの時に長谷川、加藤両氏から「観客からのクレームがあり、東京都庁のしかるべき部署からも要請がきたので、美術館としても協議し、撤去の要請を決定しました」と、僕は言い渡されました。
 僕は会場で公開制作を続けていて、観客の暖かい反応に接してきたので、そのクレームの話と自分の実感のギャップが気になり、ふと「何件のクレームが来てるんですか?」と聞きました。返答は「友の会会員が一名」というものでした。僕は一瞬耳を疑いました。てっきりたくさんのクレームが来ていて、その対応に追われているイメージだったので。僕が具体的な人数を質問しなければ、そのまま人数は教えてくれなかったでしょう。また「その東京都庁の部署はどこでしょうか」と尋ねたところ、「それは言えない」という回答でした。
  このように、クレームの相手(の種類や量)を僕にまったく見せないままに、この撤去要請は行われました。これでどうして僕が「納得」できるというのでしょうか。









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