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- 戦争がはじまったら、効率だのコストだのは考慮されないよ。実際、つい70年前には、大本営発表の前後に「敵は幾万」だとかいうおよそ合理性のかけらもない歌を流してたわけなんだし。歌詞見るとバカ過ぎて泣けるぞ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E3%81%AF%E5%B9%BE%E4%B8%87 …
気の赴くままにつれづれと。
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確か「徽宗皇帝のブログ」の「蛸壺の夢」とかいう記事でも書いたが、ほとんどの「専門家」と同様に、軍人というのは戦略面以外の事象を捨象した現実しか見ていないから、逆に本物の現実は見えない(あるいはわざと見ようとしない)のではないか。
その一例が、人間(徴兵された兵士)を「お前らは1銭5厘の召集令状で集められたのだから、軍馬よりも価値は低いのだ」と見るような思考法である。怖いのは、その思考法を末端の兵士までが納得してしまうという「思考の伝染性」「村社会的洗脳性」である。
軍隊というのはいわば「軍隊村」とでも言うべき組織であり、その「村」の思考法をすべてに強制し、その結果、異常な集団が出来上がる。(これは「原子力村」の異常性と同じだ。)それがたとえば「戦場では動くものはすべて撃て」となるわけだ。人間ではなくて「フルメタルジャケット(完全装甲弾)」にならないと、兵士の働きはできず、戦場では生き残れないのである。だが、それは、戦争が終われば、武器から人間に戻れる、という簡単な話ではない。一度殺人機械になった人間が、殺人は罪悪だ、とする社会に容易に同化できるはずがないではないか。
さて、国民にこれほどの犠牲を払わせる戦争というものの「存在意義」とは何か。
要するに、なぜ政府というものが国民に戦争をさせる必要があるのか、と言えば、それはすべて「経済」のためである。ブラック会社が社員に奴隷労働を強制するのが会社幹部や会社オーナーの利益のためであるのと同様、国家(政府)が国民に戦争を強制するのは
「政策決定にかかわる一部の人間や権力に連なる産業を益する」
ためでしかない。それを彼らは「国益」と言うのである。この場合、「国益」は国民にとっては自分や自分の家族の死などの犠牲を払うことを意味している。戦争が利益である、という庶民など存在しない。
「国家」にとって国民とは何なのか、国民にとって政府とは何なのか。「国家」をまずは「政府」と「国民」に分けて捉えないと、すべてが混乱するだろう。そうすれば、国民にとって害悪でしかない政府が存在するなら、その政府は倒すしかない、と分かるはずである。それは国民の正当な自己防衛なのである。まさに国民の「自衛権」としての革命だ。だが、武力革命は、あらゆる「暴力装置」が政府の手に握られている以上、ほとんど不可能だろうし、日本が「民主主義」国家であるならば、革命するまでもなく、国民の意志に従った政治的決定がなされるはずである。すなわち、国民の8割が反対する法案が国会で通るはずはないのである。(笑)
(以下引用)
小田嶋隆 @tako_ashi 2時間前
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