戦争に行きたくない、がなぜ自分中心、極端な利己的考えなのか。支配層の利益のために命を捨てるのが立派な行動だとでも言うのか。コメント欄にもあったが、まずあなたと御自分の家族・一族郎党から鉄砲担いで最前線に行きなさい。もちろん、女性には従軍慰安婦という仕事もある。戦場に行くことの無い人間が何を言っても説得力は無い。
「戦争に行けなんて誰も言ってい無いし思ってもいない」「なぜ権利行使の限定容認が若者を戦場に送ることになるのか。そうはなりません」
と言うのなら、「戦争に行きたくない」という意思表明を「利己的・自己中心的」と罵る必要も無いはずだ。武藤発言は、若者を戦争に行かしたいからこその発言だという以外にどんな解釈ができると言うのか。(なお、どうでもいい話だが、「いない」を「い無い」と書くのは誤り。助動詞の「ない」は平仮名で表記する。「無い」と表記するのは形容詞の場合。この二つは別。日本を愛するなら、日本語も正確に使いましょう。右翼議員さん。)
(以下引用)
武藤貴也・衆院議員、SEALDsを「自分中心、極端な利己的考え」と批判
自民党の武藤貴也・衆院議員(36)は7月30日、大学生らでつくる「自由と民主主義のための学生緊急行動」(SEALDs)についてTwitterで「自分中心、極端な利己的考え」と批判した。SEALDsが「戦争に行きたくないので反対」と主張することが利己的だという。
SEALDsは安全保障関連法案に反対するデモを毎週、国会前で開催している。安倍政権が憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認したことや、武器輸出政策の緩和などに疑問を持ち、「戦争法案を絶対に止める」とデモへの参加を呼びかけており、なかには、「私も戦争に行きたくないし、弟にも、子どもにも孫にも友だちにも行ってほしくない」と話すメンバーもいる。
このSEALDsの活動に対して、武藤氏はTwitterで「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」と指摘。「利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」と書き込んだ。
さらに、安保法案に反対するなら、国会前ではなく朝鮮総連前で行なうべきだとの持論を、次のように書き込んだ。
武藤氏はTwitter上でユーザーとやりとりを続けており、自身も「戦争に行けなんて誰も言ってい無いし思ってもいない」「なぜ権利行使の限定容認が若者を戦場に送ることになるのか。そうはなりません」などと訴えている。
(夢人追記)調べてみると「神道政治連盟」の一員らしい。つまり極右議員。
自民 武藤貴也 sealds 人権 +
自民党衆議院議員、武藤貴也のトンデモ発言「基本的人権の尊重が日本精神を破壊した」
まとめ
- 武藤貴也 @takaya_mutou 2015-07-31 01:17:12SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。
- 武藤貴也(自民党衆議院議員 滋賀県第4区選出)『日本国憲法によって破壊された日本人的価値観。』まず「国民主権」について。「国民主権」とは「国家の政策決定権は国民一人一人にある」という民主主義の根本思想であるが、長谷川三千子先生によれば、そもそも「民主主義とは、人間に理性を使わせないシステム」である。つまり民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていないからである。しかしながらこのことは、世界の歴史を見ると第一次世界大戦以前は常識であった。第一次世界大戦前は、民主主義はすぐに衆愚政治に陥る可能性のある「いかがわしいもの」であり、フランス革命時には「恐怖政治」を意味した。民衆が「パンとサーカス」を求めて国王・王妃を処刑してしまったからである。戦前の日本では「元老院制度」や「御前会議」などが衆愚政治に陥らない為のシステムとして存在していた。しかし戦後の日本は新しい「日本国憲法」の思想のもとで、民主主義を疑わず、またその持つ問題点を議論することなく、衆愚政治に陥ることを防ぐシステムもつくらず、ただただ「民意」を「至高の法」としてしまった。次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。それは言うまでも無く「国民の生活が第一」を高らかに叫ぶ今の政治に如実に表れている。
- 山崎 雅弘 @mas__yamazaki 2015-08-02 13:26:18自民党の武藤貴也議員は自分のブログに「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三つとも日本精神を破壊するもの」と書いて、堂々と否定しているのがすごい。この三つの正反対が、彼が理想と見なす政治状況なのだという。首相の政策とも一致している。 pic.twitter.com/rfg7REpS4u
- 山崎 雅弘 @mas__yamazaki 2015-08-02 13:24:57自民党の武藤貴也衆議院議員(滋賀4区)は、神道政治連盟国会議員懇談会の所属議員で、メディア恫喝発言の「文化芸術懇話会」の一員。政府の政策を批判する市民のデモを「自分中心的」「利己的個人主義」と悪意で曲解して参加者を罵倒・誹謗している。 pic.twitter.com/8u5eL6V0dD