「ダイヤモンドオンライン」の香山リカのコラムから一部転載。
「前回のコラム」とは、原発について論評する人々を「現実不適応者」ではないか、と論じたものである。そして、小出氏が彼らのヒーローになっているのは、その「現実不適応」による恨みつらみから来るものではないか、という趣旨だった。で、その文章に対して批判が殺到したために、こうして謝罪文章を書いたわけだが、しかし、これは小出氏に対する謝罪にしかなっていない。原発に対して論評してきたすべての人々、特に反原発を訴えてきた人々への侮辱については何も謝罪していないのである。
もともと、大マスコミで仕事をしていくには多くの制限があるはずだ。原発批判者を叩くことで原発擁護をしたのも、誰かに指示されたか、あるいはそれを自らの使命と考えた結果だろう。
その立場は同情できないこともないが、言論人の資格は、小利口な発言をすることではない。言論活動を通じて日本の社会を良くすることに貢献することである。それができないなら、マスコミでの発言などやめて、自分の本来の仕事に専念するべきだろう。
(注)
謝罪文の中に「自分は脱原発の立場であり、これまでもそれを表明してきた」とあるが、それが本当なら、今回の自分の発言が脱原発運動に水を注す行為であるという判断すらできなかったことになる。そういう人間が他人の精神や心理について何が言えるだろう。専門家とはこんなものか。
(以下引用)
前回のコラムについて多くの方から批判的なご意見をいただき、言いたかったことの真意がうまく伝わっていなかったことに気づきました。私の言葉足らずが招いたことです。
これまでいくつかの雑誌や集会で表明してきたように、私自身は脱原発の立場にあり、小出裕章氏の著作、ご発言をほぼ全面的に信頼し、これまでのご活動にも深い尊敬の念を抱いています。前回のコラムが、小出氏のお仕事の価値を否定する内容に受け取られるものだったとしたら、小出氏ならびに読者のみなさまには本当に申し訳なく思います。心からおわびいたします。
「前回のコラム」とは、原発について論評する人々を「現実不適応者」ではないか、と論じたものである。そして、小出氏が彼らのヒーローになっているのは、その「現実不適応」による恨みつらみから来るものではないか、という趣旨だった。で、その文章に対して批判が殺到したために、こうして謝罪文章を書いたわけだが、しかし、これは小出氏に対する謝罪にしかなっていない。原発に対して論評してきたすべての人々、特に反原発を訴えてきた人々への侮辱については何も謝罪していないのである。
もともと、大マスコミで仕事をしていくには多くの制限があるはずだ。原発批判者を叩くことで原発擁護をしたのも、誰かに指示されたか、あるいはそれを自らの使命と考えた結果だろう。
その立場は同情できないこともないが、言論人の資格は、小利口な発言をすることではない。言論活動を通じて日本の社会を良くすることに貢献することである。それができないなら、マスコミでの発言などやめて、自分の本来の仕事に専念するべきだろう。
(注)
謝罪文の中に「自分は脱原発の立場であり、これまでもそれを表明してきた」とあるが、それが本当なら、今回の自分の発言が脱原発運動に水を注す行為であるという判断すらできなかったことになる。そういう人間が他人の精神や心理について何が言えるだろう。専門家とはこんなものか。
(以下引用)
前回のコラムについて多くの方から批判的なご意見をいただき、言いたかったことの真意がうまく伝わっていなかったことに気づきました。私の言葉足らずが招いたことです。
これまでいくつかの雑誌や集会で表明してきたように、私自身は脱原発の立場にあり、小出裕章氏の著作、ご発言をほぼ全面的に信頼し、これまでのご活動にも深い尊敬の念を抱いています。前回のコラムが、小出氏のお仕事の価値を否定する内容に受け取られるものだったとしたら、小出氏ならびに読者のみなさまには本当に申し訳なく思います。心からおわびいたします。
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