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一事を興すは一害を除くに如(し)かず

「日経ビジネスオンライン」の宋文州のコラムから転載。ただし、このコラムはだいぶ前に完結しているので、これは過去ログである。
なぜそんな古いものをわざわざ転載するのかというと、ここに今後の日本の課題の一つがあると思うからだ。
それは「目に見えない非効率性」の問題である。
下に書かれた過疎地域の自動販売機については誰もが一度は考えたことがあるだろう。それは、「目に見える非効率性」である。しかし、それすら改善されることはない。いや、それを変えることは「改善」とは思われていないのだ。
それは「サービス」であるから、停止されることはない。日本ではどこまでもサービス増加の方向に進むことこそが正しい、という無意識の前提がある。(「サービス増加」は「サービス向上」とは違う)
「お客様は神様だ」「お客様はサービス向上(増加)を望む」だから「どれだけサービスしてもし過ぎることはない」という三段論法である。
もちろん、経営陣は社員に「サービスを向上させろ」と命じるだけだから楽なものだ。そしてサービス向上は通常、ただの「サービス増加」になる。過疎地の自動販売機はその象徴のようなものだ。
しかし、過疎地域の自動販売機などはまだ目に見える非効率性だから、いつかは改善される可能性はある。
一方、銀行のATMの「硬貨処理サービス」については、我々はそれは最初からあったために、あって当然だと思っていたはずだ。これが「見えない非効率性」である。
我々は、その「硬貨処理機能」を付加するために、機械生産にどれだけのコストや労力がかかっているのか、まったく考えない。そして、その種の見えないサービス、それがサービスとも思わない人々のために設計されたサービスというものが日本には膨大にあるはずだ。
これは外国人の目にしか見えない。そして、その外国人の驚きを日本人は日本への称賛だと考える。確かに外国人は称賛しているのだし、称賛されて不快に思う人はいないから、日本人はいい気持ちになる。そしてその「過剰サービス」を良い日本文化としてもっともっとやっていこうと考える。
ところが、そこにこそ大きな落とし穴があるのだ。第一に、その種のサービスはほとんど誰にも必要とされていない。そして、その種のサービスのために、見えないコストが膨大にかかっており、経営にも労働者にも大きな負担を与えている。ただ、それが意識されていないだけだ。
たとえば、テレビのリモコンには無数の機能が付いている。私がその中で使うのは主にチャンネル切り替えと音量切り替え、そしてもちろん電源ボタンの三つだけだ。その他の機能は、私には不要である。だが、メーカー側の考えとしては、機能が多ければ多いほど消費者へのサービスだ、というものだろう。そして設計者に指示して他社より一つでも多くの機能を付けさせる。もちろん、買う方も、ほとんどの人は機能が多ければ多いほどいい製品だと思っているだろう。
こうして生み出される、「使われないサービス」を思い切って省略することで、社会全体からどれだけの無駄が省けるだろうか。
いきなり政治の話になるが、原発を存続させるためには電力の需要が大きい方がいい。だから、電力会社は、電力危機をアピールするが、誰でも知っているように、実際の電力需要は原発が一つも稼働しなくても十分に間に合ったのである。日本全国の膨大な自動販売機を減らすことで、電力需要はもっとカットできるだろう。さらに言えば、夜間の営業に制限を加えれば、もっと膨大な電力カットができる。一晩に一人か二人の客のためにコンビニの電灯を煌々と点けている必要はないだろう。いや、店を24時間開けている必要もないだろう。昼間のテレビ放送だって不要だろう。
要するに、我々が必要ともしていない「サービス」を存続させるために原発という危険な存在が存続している、ということだ。
我々は、社会の中の「見えない非効率性」や「いらないサービス」をどんどん洗い出していくべきだろう。
今回の記事タイトルはチンギス・ハーンの名宰相であった耶律楚材の残した金言である。



(以下引用)

 今回は“エネルギー”について考えたいと思います。「エネルギーだと。また環境か。なんて懲りないやつだ」とあきれられるかもしれません。しかし、これから触れるエネルギーは電気やガス、石油に関連することではありません。人の心遣いという“エネルギー”です。ただし、この気遣いエネルギーも使い過ぎると、地球環境にもあまり良くないとも思っているのです。
 例えば、今、買い物した品物を詰めるレジ袋が話題になっています。僕は以前から、日本では、なぜ商品をあれほど丁寧に包装するのか不思議でした。百貨店や高級スーパーでは、段ボールの箱にさらに紙で包装し、そして紙袋にまで入れてくれます。
 お店の人からすれば、お客さんに最大限の気遣いをしているつもりと思います。でも僕はこうしたあまりある丁寧な振る舞いを受けると、申し訳ないですが心地よさよりも、イライラしてしまいます。こう言うとまた怒られるかもしれませんが。
津々浦々に設置される自動販売機は消費者のため?
 日本全国、津々浦々に散らばる自動販売機も似たようなものに思えます。日本に来て驚いたのは、狐や狸しかいないような田舎の公園にも、自動販売機がズラリと並んでいることでした。海外なら、こんなに人通りが少ないところに置かれていれば、とっくに壊されたり、盗まれたりしてしまうでしょう。そうならない日本の治安の良さは誇るべきことですが、それを維持するために割く労力を考えると、果たしていいことなのかと考えてしまいます。
 大して販売量が見込めない所に配送するために、作業員が数トンの配送車を何十キロも運転してきて、わずかな数の缶やペットボトルの飲料を詰めては、また違う場所に行く。これは、果たして顧客にとって本当にためになっているのでしょうか。自動販売機を日本全国、隈無く設置すれば、商品の生産量は増やし、製造コストを下げられるかもしれませんが、販売に非効率な場所があれば、配送や管理コストを膨らまし、結局は売価の上昇を招いているのかもしれません。
 そしてATM(自動現金預け払い機)。日本のATMは全部ではありませんが、紙幣だけではなくコインも預け払いができます。ATMはそこまでやる必要があるでしょうか。皆さんはATMでどれくらいの頻度でコインの出し入れをしているでしょうか。コインが出ないより出た方が便利かもしれませんが、これも大局的に考えると本当に顧客のためになることとは限りません。
 コインを出すためには紙幣を出すだけより、ハードウエアやコンピューターシステムのコストを膨らまします。仮にそれが大したコストではないとしても、コインを扱うことで、ATMメーカーの社員のメンテナンス作業の工程は、確実に増えているはずです。それだけではなく、ATMを設置している金融機関の社員の管理業務も増やします。
 通常、労働者の労働時間が増えれば、人件費は膨らみます。作業が増えても、もろもろの効率化で人件費を抑制できるかもしれませんが、それがいつしか社員の精神的、肉体的健康に害を及ぼしてしまうこともあります。そうなれば、社会保障費が増加します。

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