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「非武装独立論の考察」 その3

さて、最大の難問である、


② 非武装で占領者を退ける方法を示さないと説得力が無い


について考えてみる。
難問と言うより、これは「1+1=2」みたいな話で、「非武装で占領者(侵略者)を退ける方法」など、ありえないだろう。だが、実はこれも発想の時点でおかしいのであり、

2)武装していても侵略者を退けることは不可能だ。

と考えるべきではないか。
妙なことを言うと思われるだろうが、武装していようがいまいが、侵略を本気で決意した人間に対して、それを「戦闘を行わないで」退けるのは不可能だ、ということである。そして、戦争になれば、それは既に「侵略された」ということであり、住民は大量に殺されることになる。つまり、武装の意味などまったく無い。住民が皆殺しにはなったが、軍隊は勝利し、敵は追い払った、というのが「勝利」ならば、そんな勝利に何の意味があるのか。「手術は成功したが患者は死んだ」というジョークと同じことだ。だが、軍備論者や戦争愛好者にとっては、それも勝利なのである。
これは、「死刑制度は凶悪犯罪抑止力にはならない。なぜなら、凶悪犯罪を起こす人間は、その犯行を行う時には自分が死刑になることなど、まったく気にしないからだ」という議論に似ているかもしれないが、少し違う。似ているのは、「戦争を起こす場合は、最初から戦闘は覚悟の上であり、相手が軍備しているから戦争はしない、ということはありえない」ということである。違うのは、凶悪犯罪に対しては、警官や法律が住民を守る側に立つが、戦争では住民を守ることは軍隊にとっての第一義ではない、ということだ。軍隊にとって大事なのは「軍事拠点を守る」ことであり、住民の存在は、むしろ邪魔であり、味方の攻撃の障害になるなら、排除し、場合によっては殺すべき存在だ、ということである。
つまり、一般庶民にとっては「戦争になった段階ですべて終わり」。
これに尽きるのである。
これはリビアやシリアの内戦(実はアメリカやイギリスが背後にいる侵略戦争)における住民の有り様などを見ても明白である。


以上で「非武装独立論」の考察の前半を終わる。後半は、おそらく数行で済むかと思うが、頭が疲れたので、また明日。


なお、「1+1=2」は話(問題)を抽象化しての「真理」であり、みかん1個と牛乳1リットルを足しても2にはなりはしない。現実世界はそんなものだ。




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