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「非武装独立論」の考察 その4(これで終わり)

さて、「非武装独立論」の考察のまとめである。結論だ。
と言っても、一言で済む。

「非武装かどうかは、独立と無関係だ」

ということである。
世界には小さな独立国家が無数にある。その大半は「武装」しているが、それらの国がまさか米国やロシアなどと戦争ができる、と思っている人はいないだろう。では、それらの国は侵略されているか、と言えば、「侵略されている国もあれば、されない国もある」わけで、では、侵略されていない国は武装(笑)しているからか、と言えば、そうだ、と言う人はいないだろう。要するに、「侵略するメリットが無い」から侵略されないだけである。
要するに、強大な暴力装置を持つ存在が、その暴力を振るう気になれば、それを止める力など存在しないのである。こちらが武装してもムダ、ムダ、ムダ。何しろ、相手は、いくらでも自国の軍隊を消費していい、(その方が、軍需産業の金儲けにもなる)と考えているのだから。勝っても負けても、戦争をするだけで利益なのである。これがアメリカという国で、世界にそういう国が存在していることが、世界の戦争災害の根本原因なのだ。そういう国を相手に、いくら武装してもムダ、ムダ、ムダ、である。
そして、そういうキチガイ国家はアメリカ以外にはいない。中国? たかが周辺の小さな土地を少し奪う程度で軍部のガス抜きをしているだけだ。日本を相手に戦争までする気は、絶対に無い、と私は見ている。
では、戦争になれば? 戦争になった時点で国民生活は終了、である。私が言っているのはいつも同じだ。軍備していようが、していまいが、戦争になる時はなる。そして、被害は、軍備が大きいほどかえって大きいものになる。日本が軍事小国だったら、太平洋戦争であれほどの被害にはならなかっただろう。なまじ軍事大国だったから、あんな事になったのである。そうでなければ、ABCD包囲網で経済攻撃された時点で、「謝って終わり」である。
さて、では「独立」はどうなるか。軍事侵攻されて、他国の奴隷になってもいいのか、という人もいるだろう。いい、と私は答える。奴隷として生きる方が、見事に戦って死体になるよりいい。それほど生きることは素晴らしいし、死はただのゼロである。
これは、仏教の「空」の思想を優れた思想だとする私の人生哲学に反するように見えるだろうが、世界は「空」だから無意味だ、ではなく、世界を「空」と見る(これが「色即是空」)ことで、人生の苦から離れた素晴らしい世界の姿が見える、というのが私の考えだ。これが「空即是色」である。
色即是空も空即是色も要するに生きていればこそ、である。
その意味では私は旧約聖書「伝道の書」の(あるいは「箴言」だったか)「生ける犬は死せる獅子に勝る」という言葉を是とするものだ。
そもそも、我々日本人は戦後70年を米国の「見えない奴隷」として生きてきて、平和を享受してきたのではないか。沖縄県民などはもっと見やすいかたちの「米国と日本の二重の主人を持つ奴隷」であったわけだ。では、その戦後70年の「奴隷としての生」は無価値なものだっただろうか。果たして、沖縄県民は沖縄戦で全員が死んでいたほうが幸福だっただろうか。

これが、私の「戦争絶対否定論」であり、武装こそが戦争を招くと思うがゆえの「非武装論」である。(もっとも、私は以前は「核武装論者」であり、今も、もしも武装するなら、核武装までするべきだ、と思っている。)




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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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