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「非武装独立論」を考える その1

「非武装独立論」について、「反戦な家づくり」記事の一節をまず提示し、それについて考えてみたい。


(以下引用)



指摘は、二点。

① 自らは非武装でも、占領されたために軍事拠点にされてしまったら、結局戦禍を避けられない
② 非武装で占領者を退ける方法を示さないと説得力が無い

①については、まったそのとおり。まさに、沖縄の歴史そのものだ。

というか、戦後の日本全体も、9条と日米安保がワンセットになっているという意味で、同じことだ。
自衛隊は、そもそも朝鮮戦争に備えて在日米軍を補完するために、警察予備隊として発足したのであって、生まれた時から米軍の下請けなのだ。

こういう書き方をすると、何もかも9条のせいにするのかぁ!!!! と護憲派の皆さんの怒声が聞こえてきそうなので、ちょっと話がそれるけれども、少し書いておく。

米国が日本軍を武装解除して日本を軍事的に占領したこと、その体制がほとんどそのまま日米安保として70年たっても続いていること、これは厳然たる事実だ。

9条はもちろん変えるべきではない。しかし、歴史的に9条が設定された経緯には、占領者の意向があったのは、あまりにも当たり前の話ではないか。
占領下で、占領軍が認めない憲法を作れるわけはないし、占領軍が正義や善意で9条のような憲法を認めるわけがない。大枠はGHQ草案をもとに作られたことは、否定しようがない。
憲法は日本人が独自に作ったんだ、というのは幻想である。

しかし、それでもなお、現憲法は旧憲法や日本政府案などにくらべれば、画期的なものであったし、そこかしこに民主化を求めた当時の日本人の知恵も盛り込まれている。
この憲法を使って「これから民主主義を作るんだ」と決意するのであれば、やはり素晴らしい憲法であった。

しかし残念ながら、憲法ができたとたん、憲法がすなわち民主主義だと勘違いし、憲法を握りしめたままそこで日本人は止まってしまった。
スタートラインをゴールラインだと思ってしまった。

その結果が、今日の自民党独裁であり、安倍ファシズムである。


(以上引用)


さて、「憲法9条と日米安保条約はワンセットである」というのは明確な事実であり、これが「サンフランシスコ平和条約」締結の、つまり、米国が日本占領を(形の上では)終わらせるための条件だった。軍事占領から属国へという、「姿変われど中身は同じ」。これが教科書などで「日本の主権回復」と記述されているものの正体である。どこが「主権回復」だよ。
まあ、冷静になろう。
憲法9条で日本を非武装国家とし、日米安保条約で日本の要地に米軍基地を置き、実質的に占領状態を続けるという、卑怯卑劣なやり口だ。戦争勝利国家による敗戦国家の永続的占領である。握ったものは離さない、というユダヤ的やり口だが、これが欧米民主主義の実体でもある。本質は白人至上主義にすぎない。
また、頭が熱くなった。
冷静に考えてみる。
「憲法9条と日米安保条約はワンセットである」ことの結果、日本は、自らは軍事力を持たず、米軍が日本の防衛を肩代わりする、ということになった。(資源を持たず、敗戦で焦土となった日本をどこの国が、何のために攻撃してくるのか、という疑問はさて置くwwwまあ、軍事攻撃はしなくても、日本を支配下に置きたいという国は、隣国をはじめ、幾つかあっただろう。だが、米国が先に唾をつけた、その権利は絶対に他国には渡さないぞ、というのが「日米安保条約」の本当の意味だったわけだ。)そうすると、他の国は日本を支配下に置くためには、米軍と戦闘をする、という覚悟が無ければ、日本攻撃はできない、ということになるから、日本に対する野心は実行できない、ということになったわけである。要するに、繰り返しになるが、アメリカの持ち物に手を出すな、というのが「日米安保条約」であり、その結果、日本が(アメリカ以外の)他国の侵略から免れてきた、ということになる。
これはかなりな恩恵であり、日本が戦後70年の平和と戦後の復興を満喫できたのはまさにこのためであった。であるから、右側陣営は日米安保の恩恵を言い立て、左側陣営は憲法9条のみを言い立てるから、あいつら(左側)は軍事的現実が見えていない、「頭がお花畑だ」と評されることになる。右側が決して言わないのは、日本の安全は日本が属国であることとのバーター取引である、という明白な事実である。左側が言わないのは、日本が日米安保条約に守られている面は確かに大きい、という事実である。
だが、状況は変わってきた。これからは、「米国の戦争を日本が肩代わりする」ことが米国から要求されているのである。安倍の「戦争法案」はそういうことだ。つまり、日米安保が日本を「守ってきた」(実際は、一度も危機などなかったのだがwww)状態から、これからは日米安保が日本を危機に曝すという状況になってきたのである。そういう「安保の変質」を許すなら、日本が日米安保を維持する意味はまったく無くなる。それどころか、積極的に廃棄しなければならなくなる。これが理の当然だろう。日本側の主張すべきことは、これに尽きるのである。
要するに「安保」の意味が「安全保障条約」から、正反対の「危険確実条約」になったわけで、これを「戦争法案」と呼ぶのはまさに正鵠を射ている、ということだ。
記事が長くなったので、「非武装独立」案が現実に可能か、あるいは非現実的なものかについては、次にでも考えてみたい。






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