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聖書には「空の鳥を見よ、野の百合を見よ」、という言葉もあるのだが

「引用1」は「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から。「引用2」はその記事中のリンク先から転載。
私は昔から、この「1タラントの教え」が腑に落ちなかったのだが、その原因の一つは「1タラント」という金額がどの程度のものか分からなかったからである。せいぜいが数万円か数十万円くらいか、と思っていたような気がする。(何しろ、読んだのは子供の頃だから、金の感覚が大人とは違っていた、ということもある。)「引用2」で見ると、少なくとも3000万円くらい、ということで、「主」が「1タラント」を死蔵した使用人に怒ったのも、「商売人」としては理解できる。だが、神を「商売人」に例えるのは、どうかなあ、という気もする。そもそも、イエスは「神の家」で商売をする両替商たちに怒って追い出したのではないか。
「1タラントの価値」以外の疑問として、「その当時から『銀行』があったのか」という、疑問というより驚きのようなものがある。しかも、「利子」の概念がある。まあ、利子が無ければ金貸しという商売は成立しないが、この当時から金貸しが幅を利かせていた、というのは、さすがにユダヤ人世界だなあ、と思う。資本主義の種は既にこの時代にあったわけだ。他の民族が農耕漁撈文化だった時代にすでに「金融資本主義」の萌芽があった、ということである。
疑問の第三点は、「1タラント」を死蔵したことは、そんなに悪いことだったのだろうか、ということである。仮に、この「主」が「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方」だったなら、(おそらく、この僕にはそう思うだけの根拠があったに違いない、と私は思う。でなければ、主に向かって、こういう大胆な抗弁はしないだろう。)「1タラント」を無くして咎められる危険を冒すよりは、「1タラントを保全して」褒められもしないが譴責も受けないことを願うのは「小市民的」感覚として、よく理解できる。ところが、この「安全策」は、ひどい譴責を受けることになったわけである。いったい、「銀行」に預けた金が、ちゃんと利子付きで戻るという保障などあるだろうか。だが、地面に埋めた金は(誰かにその現場を見られていない限り)ちゃんと守られる。そう考えれば、私などから見れば、この男の行為は十分に理解できるのだが、「金融資本主義者」の目からは、これはひどい「機会損失」の罪悪だった、となるわけである。
「機会損失」は、今、思いついて書いた言葉だが、仮に人間が神に作られたものだ、と仮定するならば、人間がその生を有意義に(というのは神の心にかなうように、という、ある意味では奴隷的生かもしれないが)生きなかったことは、「機会損失」という意味で大いに神の不興を買う行為である、となるわけだ。私のような、ぼんやり生きて、できるだけ少ない労苦で一生を終えることを望みとする怠け者は「神の目」からは、この「1タラントを死蔵した僕」と見られるのだろう。




(引用1)


このように、グダグダ言いながら生産的なことを何もしない奴…



イエスは、こういう者たちに向かって「1タラント」のたとえ話をした。


その教えは要するに…


神は旅に出るとき、3人のしもべに、その能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けた。



神が旅立つと、5タラント預った者も、2タラント預かった者も、すぐに商売をして倍に増やした。


ところが、1タラント預かった者は、穴を掘ってカネを隠した。



かなり経ってから神は帰ってきて、しもべたちを呼んで清算した。


1番目と2番目のしもべを「細かいところまで忠実なしもべよ、よくやった。お前にはもっと多くのものを任せよう」と褒め称えた。


だが、1タラント預かった者は、憎まれ口を利いたあげくに1タラントを突き返した。


「悪い怠け者のしもべめ!私がお前に無理難題を吹っかけたとでも言うのか?そんなことなら銀行にでも預けておけば利子がついたものを。こいつの1タラントを10タラントもっている者に与えよ」


リンク⇒http://www.holyhope.net/M-040318.htm


まあ、聖書もあちこち書き換えられているらしいが…


(引用2)



能力や成果ではなく心 マタイ25:14~29


天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。

さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。

 この「タラントのたとえ」を読んでいくと、いっくら信じる信仰による救いといっても、何もしなければ神様に裁かれる、やっぱり神様のために、ある程度は何かをしないと救われない…かのようにも読めると思うんですね。

しかし、24節をみてください。
あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
これが、1タラントの男の理解です。しかし、神様は、本当に「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方」なのでしょうか…。

そうではないですよね。
神は、その一人子イエス・キリストを与えたほどにこの世を愛された…愛なる神です。
つまり、この男の主人に対して言っていること、主人に対する理解が、おかしいんです。そこが、イエス様が言いたい最大のポイントです。

福音の大原則は、行ないによるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰による救いです。聖書全体から見れば、そうです。
しかし、一箇所だけを抜いて見てしまうと、時に思わぬ誤解を生むことがあるんですね。

 このタラントという言葉、英語でいえば「タレント」ですが、この言葉も、多くの場合、能力や才能、クリスチャン用語でいえば「賜物」として、受け止められてきたと思います。それは、すべて、この「タラント」のたとえ話から派生してきた意味です。「与えられたタラントを用いて…」というふうに、与えられた賜物・能力を生かして…という意味で使いますよね。
 ところが、本来の「タラント」の意味は、元々は重さを量る「はかり」のことで、重さ、金のをあらわす単位にもなったんですね。つまり、この時、イエス様が語られたたとえ話の中での「タラント」という言葉に、能力や才能、賜物という意味はないんです。
そこで、タラント イコール 能力という公式も、一旦、外して見ていきます。

 1タラントは新改訳聖書の下の注釈では、6000デナリとあります。1デナリは、労働者の一日分の給料に相当します。一日1万円と見積もれば6000万円、安く見積もって5000円としても、およそ3千万円という金額になります。

ですから、15節を読み替えますと、
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには1億五千万円、ひとりには6千万円、もうひとりには3000万円を渡し、それから旅に出かけた。

すごい話ですよね。
もし会社で、社長が留守にする間、3000万円の決済を一任するとしたら、かなりの実力と実績がある人ですよね。誰でもいいという額ではありません。彼は、おのおのその能力に応じて…とありますから、この1タラントの男は、決して能力の低い男ではないんです。確かに、5タラントや2タラントに比べると、1タラントしか与えられていないように思えるかもしれません。もしかすると、この男の立場だったらそう思うのかもしれません。でも、実は3000万円、1タラントも与えられているんですね。
 この私に、能力に応じて、無担保で3000万円の投資をしてくれる人がいるか…というと、まずいないと思います。いたとしたら、よっぽど美しい誤解をしているか、何か裏があるか…どちらかです。せいぜい0.01タラントか、それ以下です。
まして貧富の差が激しい当時、弟子たちの中でも、1タラントなんて金を見たことのある人間なんていないのです。雲の上のような世界の話なんですね。

 この1タラントの男には、それだけすごい大金を管理、運用できるだけの能力もあったし、十分な実績もあって、信用もありました。だからこそ主人は、この男に1タラントを託したんです。

ところが、主人が戻ってくると、この男は、こういうのです。
『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。』

なんで、この男が、そんなことをいうのか、全くわからない。
これだけの信頼も受けているのに、なぜこんなことを言うんだろう…そういう話です。
主人は決して蒔いていないわけではないのです。3000万円も投資しているんですね。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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