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「兼愛非攻」は過去の思想ではなく未来のための思想

「櫻井ジャーナル」から転載。
同ブログ管理人氏は著作もあり、いわばプロの書き手だが、その持っている膨大で貴重な知識と見事な分析力をこうして無料で拝見させてもらえるのは、何とも有難い。
下記記事に書かれた中には私自身が覚えている事件もいくつかあるが、そのほとんどは表マスコミから得た知識のみであり、その背景などはまったく分からなかった。
まさにプラトンの「洞窟の比喩」のように、私は洞窟の壁に向かって、そこに映る物の影を、わけもわからぬまま呆然と眺めて長年生きてきたわけである。
そして、ネット時代の今、こうしたブログやサイトなどのお陰ですべての「意味」がやっと分かってきたわけだが、それでもそれ以前から自分の頭で歴史や政治や経済の真実を考えようと努力し、苦労した経緯があるために、一般人が「陰謀論」と呼ぶもの(私の用語では「陰謀実在論」)こそが事実である、と自信を持って判断できるわけだ。そうした経緯が無く、最初から「陰謀実在論」に触れた人は、それを多くのゴミ情報、嘘情報の一つとしか考えないだろう。それは、知的な人間、知的職業の人でもそうなのである。
親兄弟や友人とすら、「陰謀実在論」に関しては話題にできない、という現実を悲しむ「目覚めた人」も多いだろうが、時代の流れは、少しづつではあるが、世界的覚醒の方向に向かってはいる。日本でそれに寄与してきたのが「櫻井ジャーナル」や「マスコミに載らない海外記事」「ROCKWAY EXPRESS」などの良心的ブログである。

「櫻井ジャーナル」の表紙(?)には墨子の言葉が書かれているが、氏はまさに現代の墨子である。


(以下引用)*「防弾仕様」が一か所「防弾使用」となっていたので、そこだけ訂正。こうした見事な文章が、誤記を含んだまま拡散されるのは残念なので。



ところで、「米陸軍フィールド・マニュアル30-31B」という1970年3月18日付けの文書が存在する。アメリカの同盟国でコミュニストへの対応が甘くなった場合、その国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦(破壊活動など)を実行しなければならないという内容で、1970年代にタイやトルコで伝えられている。

 1982年にもこの文書はローマ空港で発見されたのだが、その文書を隠し持っていたのはアンヌ・ジェッリ。非公然秘密結社P2のトップとしてイタリアで大きな影響力を持っていたリチオ・ジェッリの娘だ。文書はCIAから渡されたのだという。

 1970年代のイタリアは「テロ」が頻発していた。例えば、1969年にはパドゥア大学、ミラノの産業フェア、ミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行で爆弾が炸裂、1980年のボローニャ駅爆破事件まで何度も繰り返されている。

 一連の爆破は「極左」の「赤い旅団」が実行したとされていた。この団体はトレント大学の学生が1969年に創設、当初は比較的に穏健で、理想主義的なグループ。その路線が大きく変化したのは1974年のこと。切っ掛けは創設メンバーでリーダー格だった人物の逮捕だ。新たにグループを率いることになったマリオ・モレッティが「テロ路線」へ舵を切ったと言われている。指導的な立場にあったメンバーのうち、この人物だけはなぜか逮捕されなかった。

 1974年にアメリカとイタリアの関係を緊張させる出来事が起こる。アルド・モロ首相がアメリカを訪問してヘンリー・キッシンジャー国務長官と会談したのだが、その際、コミュニストを政権に入れることは許さないとアメリカ側から脅されたとエレオノーラ、つまりアルドの妻は語っている。モロの親アラブ的な言動も問題になったという。

 ちなみに、その前年、キッシンジャーはチリで軍事クーデターを仕掛け、軍事独裁体制を成立させ、アメリカの巨大企業にとって目障りな人びとを大量殺戮している。すでにキッシンジャーの手は血で赤く染まっていたわけだ。

 1978年3月にモロは誘拐され、5月に遺体が発見される。(この時点における首相はジュリオ・アンドレオッチ)「赤い旅団」の犯行だとされたが、この「公式見解」に説得力はない。5名の護衛を伴って自動車で移動していたモロを6名のグループが襲撃、護衛を全て殺害したうえ、モロを無傷の状態で連れ去っていることを考えると、訓練を受けたか場数を踏んだプロの仕業。素人にできる芸当ではない。赤い旅団が主犯だとは考えられない。

 事件前、モロの護衛チームは自分たちが監視されている気配を感じ、不審な自動車のナンバーを警察に通報する。その一方、内務省には防弾仕様の自動車を手配するように求めているが、これは拒否されてしまった。当時、同省は防弾仕様の自動車48台を保有、拒否する理由はなかった。そこで、内務省も何らかの形でモロ殺害に関係していたと疑う声もある。

 この時期、バチカン銀行を舞台にした不正融資事件が発覚、アンブロシアーノ銀行が倒産している。不正融資の流れた先はポーランドの「連帯」だとスキャンダルの中心人物は語っていた。

 連帯には資金だけでなく、ファクシミリ、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなど当時の最新機器が数トン、アメリカ側から密輸されていたとジャーナリストのカール・バーンスタイン(ウォーターゲート事件で有名。ワシントン・ポスト紙を去った後、CIAとメディアの関係を詳しく書いている)は明らかにしている。連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めた。

 この不正融資にはP2、その背後にはCIAが存在していたのだが、1978年にその仕組みを揺るがす出来事が起こる。CIAと緊密な関係にあったパウロ6世が死亡、アルビーノ・ルチャーニが新しい教皇、ヨハネ・パウロ1世に選ばれたのである。

 当時、バチカン銀行の総裁はパウロ6世の側近でシカゴ出身のポール・マルチンクス。社会的な弱者に目を向けていたルチャーニとは考え方が正反対の人物で、以前から両者の関係は良くなかった。

 しかし、この窮地からCIAはすぐに抜け出してしまう。ヨハネ・パウロ1世が在位1カ月余りで急死、ポーランド出身のカロル・ヨゼフ・ボイティーワが新教皇、ヨハネ・パウロ2世として連帯を支援しはじめるのだ。

 とはいうものの、すでに金融スキャンダルは明るみに出ている。1981年3月に財務警察隊は金融スキャンダルの黒幕と見られていたリチオ・ジェッリの自宅などを家宅捜索、その際に秘密結社P2の会員名簿を押収し、イタリアの支配システムを揺るがすことになる。

 この年は3月にロナルド・レーガン大統領が、5月にはヨハネ・パウロ2世が銃撃(銃撃犯はNATOの秘密部隊につながる)されているが、教皇銃撃の1週間後にアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルビ頭取が逮捕される。6月になるとカルビは姿を消してしまい、その8日後にロンドンのブラックフライヤーズ橋で死体が発見される。

 FM30-31Bがローマの空港で見つかるのは、その翌年。アメリカの下院や国務省などは偽物だと主張している文書だが、その後、本物ではないかと思わせる展開になる。1990年10月、イタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの秘密部隊、グラディオの存在を認める報告書を公表したのだ。米英の支配層はNATOの秘密部隊を使い、左翼を装って「テロ」を実行、左翼への支持者を減らし、治安体制を強化しようとしたのである。いわゆる「緊張戦略」。

 キューバに対するアメリカ軍の軍事侵攻を正当化するため、アメリカの情報機関や軍の好戦派が1960年代の前半、キューバを装って「テロ」を実行する「ノースウッズ作戦」を計画していたことも後に判明している。たとえFM30-31Bが偽物であっても、そこに書かれいるようなことをアメリカが計画、実行していたことは間違いない。



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