とある本を斜め読みしていたら、こういう言葉があった。
「棺を持たざるものは天これを覆う」
これをどう解釈するか、説が分かれそうだが、私はこれを「人間(じんかん)至るところ青山あり」と同じ趣旨だと解釈した。青山とは墓の意味だと言うが、文字通り木に覆われた山と解釈してもいいのではないか。つまり、どこで死のうが、死骸は自然がちゃんと隠してくれる、あるいは始末してくれる、というわけだ。
上記の「棺を持たざる者は」の警句に続けて、「天に至る道程はいずこからなりとも等し」という言葉もあって、これも面白い。私流に解釈すれば、「ローマ法王と天の距離も、貧民街の貧民と天の距離も等しい」ということだ。天との距離を決定するのは地位や身分ではなく、真の信仰の深さだということだ、と私は解釈した。
このふたつの「格言」あるいは「警句」に共通するのは「天を相手にすれば、怖いものは何もない」ということだろうか。人間を相手にするから料簡が狭く卑しくなるわけである。棺桶の心配をするより、今やるべきことをやれ、ということだ。棺桶や墓など、どうせ100年後には塵になるだけのものだ。ただし、墓は「生きている者たち(残された者たち)のために」必要なところはあるとは言える。
ちなみに、「人間至るところ青山あり」は私が小学低学年の時に或る漫画で知った言葉だが、今でもその漢詩のおおよそは覚えている。
「男児志を立てて郷関を出づ
学もし成らずんば死すとも帰らず
****豈に墳墓の地を期せんや
人間至るところ青山あり」
覚えていたつもりだったが、****の部分を忘れていた。(「骨を埋むる(に)」だったか)「男児」は「男子」、「学もし成らずんば」も「学もし成るなくんば」だったかもしれない。まあ、昔風の立身出世主義はどうでもいいが、「人間至るところ青山あり」の広大快活な気持ちは忘れずにいたい。