マルクス・アウレーリウス・アントニウスの「自省録」を流し読みしている時に、ふと目についたのが、「人生の幸福は非常に少ないものにかかっている」という言葉で、それで思い出したのが橘曙覧(あけみ)の独楽吟である。(名前も歌集も忘れていたのでネットで確認したww)
引用した歌は現代人には表記が分かりにくいだろうが、それを推理して読み解くのも「読む楽しみ」である。
たとえば、
たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時
は、「書」は「ふみ」、「かり」は「借り」、「一ひら」は「一枚」と表記を変えることで理解できる。その手がかりは5,7,5,7,7という音数であるのは言うまでもないが、もちろん字余り字足らずというのも和歌にはある。(同じ「書」でも、この一文の最後の「書」は音調から見て「しょ」だろう。「ふみ」は2音、「しょ」は1音だ。)
ちなみにマルクス・アウレーリウスの身分は皇帝で、曙覧との身分の差は天地の差である。しかし、心はよく似ている。
(以下引用)
引用した歌は現代人には表記が分かりにくいだろうが、それを推理して読み解くのも「読む楽しみ」である。
たとえば、
たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時
は、「書」は「ふみ」、「かり」は「借り」、「一ひら」は「一枚」と表記を変えることで理解できる。その手がかりは5,7,5,7,7という音数であるのは言うまでもないが、もちろん字余り字足らずというのも和歌にはある。(同じ「書」でも、この一文の最後の「書」は音調から見て「しょ」だろう。「ふみ」は2音、「しょ」は1音だ。)ちなみにマルクス・アウレーリウスの身分は皇帝で、曙覧との身分の差は天地の差である。しかし、心はよく似ている。
たのしみはそゞろ読ゆく書の中に我とひとしき人をみし時
(以下引用)
橘曙覧の連作「独楽吟」ですね。 これは、全部で52首あります。 ====== ちなみに、岩波文庫版『橘曙覧歌集』所収の「独楽吟」全52首は次のとおり。
たのしみは艸のいほりの莚敷ひとりこゝろを静めをるとき
たのしみはすびつのもとにうち倒れゆすり起すも知らで寐し時
たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時
たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時
たのしみは百日ひねれど成らぬ謌のふとおもしろく出きぬる時
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時
たのしみは物をかゝせて善き値惜みげもなく人のくれし時
たのしみは空暖かにうち晴し春秋の日に出でありく時
たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花咲ける見る時
たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙艸すふとき
たのしみは意にかなふ山水のあたりしづかに見てありくとき
たのしみは尋常ならぬ書に画にうちひろげつゝ見もてゆく時
たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴しとき
たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき
たのしみは物識人に稀にあひて古しへ今を語りあふとき
たのしみは門売りありく魚買て烹る鐺の香を鼻に嗅ぐ時
たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時
たのしみはそゞろ読ゆく書の中に我とひとしき人をみし時
たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食て火にあたる時
たのしみは書よみ倦るをりしもあれ声知る人の門たゝく時
たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時
たのしみは世に解がたくする書の心をひとりさとり得し時
たのしみは炭さしすてゝおきし火の紅くなりきて湯の煮る時
たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時
たのしみは昼寝目さむる枕べにこと/\と湯の煮てある時
たのしみは湯わかし/\埋火を中にさし置て人とかたる時
たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時
たのしみは客人えたる折しもあれ瓢に酒のありあへる時
たのしみは家内五人五たりが風だにひかでありあへる時
たのしみは機おりたてゝ新しきころもを縫て妻が着する時
たのしみは三人の児どもすく/\と大きくなれる姿みる時
たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書を見る時
たのしみは明日物くるといふ占を咲くともし火の花にみる時
たのしみはたのむをよびて門あけて物もて来つる使えし時
たのしみは木芽煮して大きなる饅頭を一つほゝばりしとき
たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹たてゝ食せけるとき
たのしみは小豆の飯の冷たるを茶漬てふ物になしてくふ時
たのしみはいやなる人の来たりしが長くもをらでかへりけるとき
たのしみは田づらに行しわらは等が耒鍬とりて帰りくる時
たのしみは衾かづきて物がたりいひをるうちに寝入たるとき
たのしみはわらは墨するかたはらに筆の運び思ひをる時
たのしみは好き筆をえて先水にひたしねぶりて試るとき
たのしみは庭にうゑたる春秋の花のさかりにあへる時々
たのしみはほしかりし物銭ぶくろうちかたむけてかひえたるとき
たのしみは神の御国の民として神の教をふかくおもふとき
たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るとき
たのしみは鈴屋大人の後に生れその御諭をうくる思ふ時
たのしみは数ある書を辛くしてうつし竟つゝとぢて見るとき
たのしみは野寺山里日をくらしやどれといはれやどりける時
たのしみは野山のさとに人遇て我を見しりてあるじするとき
たのしみはふと見てほしくおもふ物辛くはかりて手にいれしとき
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