マルクス・アウレーリウスの「自省録」は、あまりに道徳的すぎて私のような皮肉屋には合わない部分が多いのだが、時々、目を引く言葉がある。
「君が善事を為し、他人が君のおかげで良い思いをした時に、なぜ君はそれだけで済まさず、善いことをしたという評判やその報酬を受けたいと考えるのか」(日本語訳から私が意訳した)
これはなかなか痛烈な言葉で、自分が他人に何かをしてあげた時に相手の感謝を求めるのは下品だよなあ、と思う。その下品な気持ちだけでもその善行の精神的価値はダダ下がりである感じだ。
つまり、それは無私の善行ではなく「取り引き」になってしまっているからである。
「君が善事を為し、他人が君のおかげで良い思いをした時に、なぜ君はそれだけで済まさず、善いことをしたという評判やその報酬を受けたいと考えるのか」(日本語訳から私が意訳した)
これはなかなか痛烈な言葉で、自分が他人に何かをしてあげた時に相手の感謝を求めるのは下品だよなあ、と思う。その下品な気持ちだけでもその善行の精神的価値はダダ下がりである感じだ。
つまり、それは無私の善行ではなく「取り引き」になってしまっているからである。
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