宿題にしていた問題だが、まだまったく展望も構想も無い。
例によって、書かないと頭も働かないのである。
まず、問題を再提出しておく。で、考えやすい問題から考えてみる。これは仕事の基本だ。やりやすい仕事をやっているうちに「やる気スイッチ」が入って頭が働きだすのである。
1:少子化問題の解決法
2:高齢社会の諸問題とその解決法
3:生産年齢人口減少とその解決法
4:日本の貧困化の解決法
この中で一番重要なのは4の「日本の貧困化の解決法」だろう。それも基本は簡単なのであって、「日本人からカネを収奪する存在への『献金』をやめればいい」だけだ。ただ、それだけだと経済自体の活性化や進歩はあまり無いだろうから、そこから考えてみる。
最初に指摘したいのは「IT化は国を豊かにしない」ということだ。IT化によって音響機器などさまざまな旧来製品やその関連産業が潰れていったのはご存じの通りである。IT化で栄えるのは情報産業だけであり、それは娯楽産業に近い。もちろん、情報伝達の簡便さや速度によって多少は経済にも寄与するが、それは一部の話だ。つまり、人間が生きていく上で必須の産業ではないということだ。
あるいは、他の工業や工業製品(たとえば自動車や電車、あるいは家電)のように生活を本質的に便利にし、行動可能性を高め拡大するものでもない。逆に、新コロ騒ぎで分かったように、「リモートワーク」が拡大することで、人間の「独居性」を昂進するものであるわけだ。スマホで連絡していれば実際に会う必要もないし、暇な時間はスマホひとつで暇つぶしする。そんな社会がスマホとコンビニ弁当以外に何が必要だろうか。それで少子化が進まないほうがおかしい。
つまり、我々の世界はすでにヴァーチャルリアリティ化が進行しているわけである。
ただ、ゲームの世界に閉じ込められた人間と違って、我々は飯も食えばウンコもする。病気になれば薬を飲み手術をする。つまり、「生物である」という事実からは逃れられないわけで、そこに今の社会の閉塞状況や「非人間化」「非現実化」から逃れる道があるだろう。
人間の生活の基本とは何かと言えば、「自己の生命の維持」と「他者との関係」だろう。「食」と「住」は前者であり、「衣」は後者に関わる。もちろん、衣は体の保護や体温の維持の意味もあるが、南国では基本的に裸でも生きていける。そして「ファッション性」は完全に「他者との関係」で必要なものだ。バルザックが言うように、「身なりに構わないのは社会的自殺である」わけだ。葬儀や婚礼にポロシャツや半ズボンで行くわけにはいかない。
さらに、住には「利便性」の要素が出て来る。屋根と壁があるだけでは駄目で、電気や水道やガス設備が必要になる。これらは大きく言えば「自己の生命の維持」だが、生活を「快適にする」という面も出て来るわけだ。風呂に入らなくても生きていけるが、入るほうが快適な生活が送れる。その方が異性にも好まれるだろう。つまり、住の中にも「他者との関係」の要素はあるわけだ。豪邸のほうが掘っ立て小屋よりは住むのも気持ちがいいだろうし他者の評価も高くなるだろう。
まあ、要するに「衣食住」に関連する産業は今後も衰退することは無い。建築物などは、新しく作る仕事が衰退しても既にあるものを維持保全する仕事がでてくる。つまり、毎日消費するものもあれば、長期的に価値が減衰して修理するべきものもある。
で、「衣食住」に関する産業の衰退は、作る側の問題よりも「売り方」の問題が大きいのではないか。簡単な例で言えば、昔は「魚屋」「肉屋」「八百屋」「衣料品店」「靴屋」は別々だったが、デパートが現れてそれらの店は潰れていった。ところがそのデパートもスーパーマーケットやコンビニの登場で衰退したわけだ。そのスーパーやコンビニもそのうちアマゾンやウーバーイーツのような「宅配業」に駆逐されるかもしれない。
これらの変化は消費者がより簡便に利用できる方向へと進化して生じたもので、好ましい変化であることも多いが、人間をどんどん怠け者にし、独居性を高めるもののようだ。
まあ、便利さの進歩は人類を「その場から動かない」「脳だけの存在」に近づけると言っても良さそうだ。便利さとは「動き(行動や過程)を省く」ことが基本だからだ。
例によって、書かないと頭も働かないのである。
まず、問題を再提出しておく。で、考えやすい問題から考えてみる。これは仕事の基本だ。やりやすい仕事をやっているうちに「やる気スイッチ」が入って頭が働きだすのである。
1:少子化問題の解決法
2:高齢社会の諸問題とその解決法
3:生産年齢人口減少とその解決法
4:日本の貧困化の解決法
この中で一番重要なのは4の「日本の貧困化の解決法」だろう。それも基本は簡単なのであって、「日本人からカネを収奪する存在への『献金』をやめればいい」だけだ。ただ、それだけだと経済自体の活性化や進歩はあまり無いだろうから、そこから考えてみる。
最初に指摘したいのは「IT化は国を豊かにしない」ということだ。IT化によって音響機器などさまざまな旧来製品やその関連産業が潰れていったのはご存じの通りである。IT化で栄えるのは情報産業だけであり、それは娯楽産業に近い。もちろん、情報伝達の簡便さや速度によって多少は経済にも寄与するが、それは一部の話だ。つまり、人間が生きていく上で必須の産業ではないということだ。
あるいは、他の工業や工業製品(たとえば自動車や電車、あるいは家電)のように生活を本質的に便利にし、行動可能性を高め拡大するものでもない。逆に、新コロ騒ぎで分かったように、「リモートワーク」が拡大することで、人間の「独居性」を昂進するものであるわけだ。スマホで連絡していれば実際に会う必要もないし、暇な時間はスマホひとつで暇つぶしする。そんな社会がスマホとコンビニ弁当以外に何が必要だろうか。それで少子化が進まないほうがおかしい。
つまり、我々の世界はすでにヴァーチャルリアリティ化が進行しているわけである。
ただ、ゲームの世界に閉じ込められた人間と違って、我々は飯も食えばウンコもする。病気になれば薬を飲み手術をする。つまり、「生物である」という事実からは逃れられないわけで、そこに今の社会の閉塞状況や「非人間化」「非現実化」から逃れる道があるだろう。
人間の生活の基本とは何かと言えば、「自己の生命の維持」と「他者との関係」だろう。「食」と「住」は前者であり、「衣」は後者に関わる。もちろん、衣は体の保護や体温の維持の意味もあるが、南国では基本的に裸でも生きていける。そして「ファッション性」は完全に「他者との関係」で必要なものだ。バルザックが言うように、「身なりに構わないのは社会的自殺である」わけだ。葬儀や婚礼にポロシャツや半ズボンで行くわけにはいかない。
さらに、住には「利便性」の要素が出て来る。屋根と壁があるだけでは駄目で、電気や水道やガス設備が必要になる。これらは大きく言えば「自己の生命の維持」だが、生活を「快適にする」という面も出て来るわけだ。風呂に入らなくても生きていけるが、入るほうが快適な生活が送れる。その方が異性にも好まれるだろう。つまり、住の中にも「他者との関係」の要素はあるわけだ。豪邸のほうが掘っ立て小屋よりは住むのも気持ちがいいだろうし他者の評価も高くなるだろう。
まあ、要するに「衣食住」に関連する産業は今後も衰退することは無い。建築物などは、新しく作る仕事が衰退しても既にあるものを維持保全する仕事がでてくる。つまり、毎日消費するものもあれば、長期的に価値が減衰して修理するべきものもある。
で、「衣食住」に関する産業の衰退は、作る側の問題よりも「売り方」の問題が大きいのではないか。簡単な例で言えば、昔は「魚屋」「肉屋」「八百屋」「衣料品店」「靴屋」は別々だったが、デパートが現れてそれらの店は潰れていった。ところがそのデパートもスーパーマーケットやコンビニの登場で衰退したわけだ。そのスーパーやコンビニもそのうちアマゾンやウーバーイーツのような「宅配業」に駆逐されるかもしれない。
これらの変化は消費者がより簡便に利用できる方向へと進化して生じたもので、好ましい変化であることも多いが、人間をどんどん怠け者にし、独居性を高めるもののようだ。
まあ、便利さの進歩は人類を「その場から動かない」「脳だけの存在」に近づけると言っても良さそうだ。便利さとは「動き(行動や過程)を省く」ことが基本だからだ。
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