「わが邦人は利害に明にして理義に暗し。
事に従うことを好みて考うることを好まず。
それただ考うることを好まず。
ゆえに天下の最も明白なる道理にして、これを放過して曾て怪しまず。
永年封建制度を甘受し、士人の跋扈に任じていわゆる切捨御免の暴に遭うも曾て抗争することをなさざりしゆえんのもの、まさにそれ考うることなきに座するのみ。
それただ考うることを好まず。
ゆえにおよそそのなすところ、浅薄にして十二分の処所に透徹すること能わず。
今後に要するところは豪傑的偉人よりも哲学的偉人を得るにあり」
「わが邦には、口の人、手の人多くして脳の人寡し」
(中江兆民「一年有半」)
日本百年たっても同じことなり。
*山田風太郎「戦中派不戦日記」昭和20年7月18日(つまり終戦の約ひと月前)記。
*戦後80年近くたってもまた同じである。
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