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平時の反戦と戦時の反戦

非常に微妙な問題であるが、無名ブログだからこそこういう話をすることもできるのであり、こういう話を避けてまでブログを続ける意味もないと思うから書く。

重度の平和主義者で、ほとんど「平和思想」信者である私の、今の考えだ。
結論から言う。それは、「平時の反戦と戦時の反戦は違う」ということだ。
ここで「反戦」というのは「反戦主義の表明」であり、即時の停戦を政府に求めることである。反戦運動もそれだ。そして「平時の反戦は素晴らしいが、戦時の反戦は無意味で、自国にとって有害ですらあることもある」というのが私の考えなのである。戦争の当事者である国の国民ならなおさらだ。
戦争は「国家の行為」であり、一国民の考えで左右されるようなものではありえないし、その「反戦運動」が国内で力を持てば、自国の戦略上の大きな障害になるわけだ。つまり、国家に不利益を与える行為である。「国家の利益など知らんよ」と言っていい問題ではない。
簡単な例で言えば、日露戦争におけるロシア帝国内での革命運動である。自国が戦争をしている時に革命運動を起こせば戦局が不利になるのは当然の話で、それでロシアは敗北し、革命は成功したわけだ。つまり、国内の一部集団の利益のために国家として大きな損害を受けたことになる。
もちろん私はロシアの下級国民のためにはおそらくロシア帝国の崩壊は利益になったとは思うが、それは「すべての国民の利益」ではなかったのは確かだ。
まあ、ロシア革命と日露戦争の場合は、「革命を起こされるような内実を持った国であったこと自体が悪い」と言えるだろう。
だが、現在のロシアで、「戦争に反対する」行為ははたして正当化されるのだろうか。
他国のことながら、私はこのテレビ局員の行動に非常に苦々しいものを感じた。そして、その刑が非常に軽い罰金刑だったことに驚いたのだが、それでかえって「これはロシア政府(プーチン)による、ロシアは民主国家であることのアピールではないか」、つまり、この事件そのものが「お芝居だった」可能性も無いではない、と思ったわけだ。言わば、下で引用した記事のユーチューバー氏のような感想だ。(仮にそうだったとしても私はプーチンを批判したいとはまったく思わない。戦時の政治はそれが当然である。)
まあ、戦時でもないのに安部の選挙演説でヤジを飛ばした人間が警察に拘束(行動の自由を奪われたのだから、「拘束」だろう)された日本と、ロシアとどちらが民主国家で、どちらが人権が守られているか、なかなか判断は難しいだろう。

(以下引用)

ロシア出身の小原ブラス ロシアの政府系TVでの女性社員の抗議「称賛していいか分からない」と疑う理由


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