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「意志と表象としての世界」の考察(2)

·        11節 感情について。


·        12節 理性は認識を確実にし、伝達を可能にするが、理性は悟性の直観的な活動の障害にあることがある。


·        13節 笑いについて。


·        14節 一般に科学は推論や証明ではなしに、直観的な明証を土台にしている。


·        15節 数学も論理的な証明にではなく、直観的な明証に基づく。ユークリッド批判。理性を惑わす誤謬の実例。哲学とは世界の忠実な模写であるというベーコンの言葉。


·        16節 カントの実践理性への疑問。理性は善に結びつくだけではなく悪にも結びつく。ストアの倫理学吟味。


·        ショーペンハウアーは、世界はわたしの表象であるという。このことは、いかなる客観であっても主観による制約を受けていることを示している。


 


·        ショーペンハウアーが本書の序論とみなしている博士論文「根拠律の四つの根について」においては以下の4類に分かたれている。


1.     先天的な時間空間、ないしは「存在 (essendi) の根拠(充足理由律)」


2.     原因と結果の法則、あるいは「生成 (fiendi) の根拠」


3.     概念論理的判断、ないしは「認識 (cognoscendi) の根拠」


4.     行為の動機づけの法則、ないしは「行為 (agendi) の根拠」


第二巻「意志としての世界の第一考察」[編集]


~すなわち意志の客観化~


·        17節 事物の本質には外から近づくことはできない。すなわち原因論的な説明の及びうる範囲。


·        18節 身体と意志とは一体であり、意志の認識はどこまでも身体を媒介として行われる。


·        19節 身体は他のあらゆる客観と違って、表象でありかつ意志でもあるとして二重に意識されている。


·        20節 人間や動物の身体は意志の現象であり、身体の活動は意志の働きに対応している。それゆえ身体の諸器官は欲望や性格に対応している。




(考察)

第11節 考察不能(もちろん、節の内容が分からないから。)
第12節 同意。自明だろう。「あることがある」は「なることがある」の誤記か。
第13節 考察不能。興味のある話題なので、自分で読んでみたい。
第14節 激しく同意。おそらく一般人の大半や科学者の大半は不同意かと思う。
第15節 これも同意。論証は「発見」(直感的発見、あるいは悟性による認識)とは別の行為である。ベーコンの言葉は「哲学とは世界を正確に認識する行為である」とするなら、現在の哲学界が認識論の泥沼でもがくばかりで世間から遊離しているのも、そこに原因がありそうだ。
第16節 理性(論理)は善だけでなく悪にも結び付くというのは自明だろう。むしろ悪にこそ結びつきやすい。詐欺師は「論理的」でないと人を騙せないが、一般人はその屁理屈に簡単に騙されるものである。詐欺師こそ、頭が良く、日夜人を騙す研究をする努力家なのであるwww

以下「・」で書かれた部分はwiki筆者の解説だろう。前文は同意。後文は「何の根拠」か示されないと判断不能だが、哲学的論証における「根拠」かと思われる。それならほぼ同意。
第17節 同意だが、後文の文末があいまい。「範囲がある」なら同意。
第18節 同意。自明だろう。
第19節 同意。これは他の哲学者がたいてい見逃している部分だと思う。
第20節 前文は同意。後文は文意不明で判断不能。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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