1983年、安岡正篤と出会う。彼女と親密だった男が安岡を招いた食事会を催し、そこで知り合ったといわれているそうだ。当時の安岡は年のせいか、やや認知症気味だったというが、高名な学者も、女ざかりの色香に迷ったのだろうか。

『魔女』の中で、ある女性に細木は、どうやって安岡をたぶらかしたのかを問われ、


「お酒よ、お酒。家じゃ飲ませてもらってないようだから、わたしが好きなだけ飲ましてる。お酒で“殺した”のよ」


その女性が細木のところを訪ねると、四畳半の部屋に吉田松陰や山本五十六などの掛け軸をおさめた箱が50個ほど積まれていたというが、安岡の資産の一部だろう。


安岡に結婚誓約書を書かせ、晴れて結婚するが、その直後に安岡は死去してしまう。彼女は安岡の初七日に籍を抜き、その礼として安岡の蔵書1万2000冊をもらったという。だが、細木はそれを韓国の「檀国大学校」へ寄贈してしまう。

女傑か、それとも稀代のトリックスターか

私が細木について多少知っているのはここまでで、テレビに出て毒舌を吐き、視聴率の女王になっていたころは、興味もなく見もしなかった。


溝口は『魔女』の中で、いたずらに不安感や恐怖感を与える占い師を番組で重用するテレビ局は社会的責任の自覚がないと批判している。


細木は週刊現代の連載を止めるために暴力団幹部を使ったことを溝口に暴露され、観念したのか、裁判所の和解提案に応じた。実質的な敗訴である。2008年にテレビからの引退を表明した。


テレビに出ていなくても、“信者”たちを集めて講演料や命名料、墓などを押し売りしていると週刊誌などで何度か報じられた。


貧しい中で育ち、腕一本で成り上がった女傑か、多くの男をたぶらかし、見よう見まねで覚えた占いを武器にテレビ界の寵児にまでなった稀代のトリックスターか。評価は分かれると思うが、私にとっては、人生の一瞬、袖すり合っただけだが、忘れがたい女性の一人ではあった。冥福を祈りたい。(文中敬称略)