「マドモワゼル愛」さんの今日の記事(今日の日記)が実にいい内容なので、紹介する。最初と最後だけは別の話題なのでカットしてある。
実は、私が今日の分に掲載しようと思って書いてあった文章があるのだが、その内容と非常に近いものがあるので、それも続けて掲載する。
愛さんのこの文章の中でも特に気に入ったのは
「将来、空気中から、また真空から、有り余る電気が得られたとした、石油のために戦争していた時代は、一体何だったのか、、、と思うようになるだろう。
顔がまずいとか、給料が安いとか、人に遅れをとるとか、、、そういうことで人生を不幸だと思っていたことが、なんと勘違いだったかと、わかるようなものではないか。
そんなところに人間や命の意味があるのではない、もっと大きな仕掛けの中に人は生きている。誰でも。」
という部分だ。
私は、この「フリーエネルギー(無料エネルギー)」は確実に実現する、いや、もしかしたら原理はすでに発見されているのではないかと思っている。映画「スライヴ(「繁栄」か?)」では、そうほのめかしてもいる。
大企業の利益を守るために大事な発見が隠されたり葬られたりしている例は多いはずだ。企業の邪魔になる研究が妨害されるというのはありふれたことで、これは井口博士の新しい記事の中で大学の先生自身が証言している。
ともあれ、フリーエネルギーが出現したら、もはや世界の在り方はまったく変わるはずだ。富の異常な偏在という悪も抑止されるだろう。そして富の偏在から生じる悪もまた消えていくことになり、いわば地上の天国に近づくのである。
そうなった時に、20世紀から21世紀前半の人間が富を争ってお互いに殺し合い、いじめあっていたことが不思議に思われるようになるはずだ。
これが私の言う「人類幼年期の終わり」である。
(以下引用)
これから色々な変化が起きてくると思いますが、最初は混乱にみえて、実は新たな秩序がそこから生まれているという形になると思う。
とにかく変化を恐れないことです。変化していくものには命が必ず伴うので、本当は心配は不要。
けっきょく、今変化を恐れているのは、これまでの既得権益的なものにしがみつく人がメインであり、多くの人は一見変化を恐れるように見えて、さすがにここまでインチキ社会となれば、もう壊れてしまったほうがいいのでは、、、、と受け入れる気持ちも逆に育っている。
変化の中に身を置くと、そう決めるだけで人生は楽になっていきます。
人生のあらゆる秘密を知っている人がもしいたとすると、私たちが日ごろ抱く不安や恐れが、いかに取るに足らないものかと思うはず。
すべてはよくなるために変化していくのだから、いやなことでも起きてしまった現実は、良い方に向かうための生涯(夢人注:「障害」の誤記だろう)の除去だったり、消失だったりして、次の展開をもたらしてくれる貴重なわざわいであることになる。
これは事実で、不幸な出来事があったとしても、それは決して不幸ではない。不幸とは、しがみつき、変化を恐れることなのだ。
青年期によく読んでいた本に荘子があるが、その中に、ある朝、自分が鳥になっていたら、その時は思い切り鳴いてみよう、、、というような文章がある。
運命の変化を受け入れることを言いたいのだが、荘子のすごさは、ただ受け入れるのではなくて、それを面白がっているところにある。
鳥になるのなら、鳴いてやる、、、、なんでもござれ、なんでも、どんな変化でも、オーケー。どんな運命が自分に訪れようとも、それを見事、楽しんでやるぞ、、、の凄味である。
それによれば、あらゆる不幸が消失してしまう。あくまで不幸にしがみつくのは、心ない田舎者の一部のバカ連中だけになってしまう。本当は不幸などない、、、変化を楽しむことで、こちらにもわからない大きなものが進展いていく、、、、
とんでもなく面白い劇が、まるで神芝居(夢人注:「紙芝居」の誤記だろう)がどんどん進展していってしまう、、、、
一見現実離れしているように見えて、それは事実なのではないか。
将来、空気中から、また真空から、有り余る電気が得られたとした、石油のために戦争していた時代は、一体何だったのか、、、と思うようになるだろう。
顔がまずいとか、給料が安いとか、人に遅れをとるとか、、、そういうことで人生を不幸だと思っていたことが、なんと勘違いだったかと、わかるようなものではないか。
そんなところに人間や命の意味があるのではない、もっと大きな仕掛けの中に人は生きている。誰でも。
それでもなを、自分を不幸だと思いたい人はいると思うし、客観的に見て、確かに大変だ、、、という状況はあるだろう。しかし、変化が重要という大きな原理の前では、私たちが感じる不幸は、やはり趣味程度のものでしかなくなる。
自分を不幸と思う人は、本当は趣味でそう思っているといったら怒られるだろうが、私が青年期の悩みに悩んで、あまりにまじめに悩みすぎた結果、ある日、私は不幸に飽きてしまったことがある。
それはウソでない感覚だった。むしろ不幸がウソだと分かった瞬間、私はそれに飽きてしまったのだ。
本当はこの世に不幸などないのだ。不当なことや、おかしなことや、苦しいことははっきり言ってたくさんあるが、それは不幸とは違う。
不幸は運命ではなくて、選択なのだ。不幸を選択するのも趣味としてはいいが、本気で趣味にしたら、実態が乏しいので、すぐに飽きるはずである。
不幸に飽きない人がいたとしたら、それは不安から不幸にしがみついているのだ。不幸よりも不安の方が怖いからに違いない。
しかし、人生が不安であるわけがない。大きな仕組みがあるからだ。
また人生はそんなに複雑なものでもない。戦争も本当は複雑なものではなく、金儲けや権力維持のために起こる単純な動機を持っている。
ただ、それだとばれてしまので、どうすれば戦争がなくなるのか、、、というようなまことしやかなウソを振りまいて逃げているに過ぎない。
不幸も戦争も単純。それを選択する人がいるというだけの話しなのだ。
なので、あなたは何を今、明日、選択しますか、、、を常に尋ねられているのが人生。よい気持ちで、楽しい気持ちで、変化を受け入れていく。
実は、私が今日の分に掲載しようと思って書いてあった文章があるのだが、その内容と非常に近いものがあるので、それも続けて掲載する。
愛さんのこの文章の中でも特に気に入ったのは
「将来、空気中から、また真空から、有り余る電気が得られたとした、石油のために戦争していた時代は、一体何だったのか、、、と思うようになるだろう。
顔がまずいとか、給料が安いとか、人に遅れをとるとか、、、そういうことで人生を不幸だと思っていたことが、なんと勘違いだったかと、わかるようなものではないか。
そんなところに人間や命の意味があるのではない、もっと大きな仕掛けの中に人は生きている。誰でも。」
という部分だ。
私は、この「フリーエネルギー(無料エネルギー)」は確実に実現する、いや、もしかしたら原理はすでに発見されているのではないかと思っている。映画「スライヴ(「繁栄」か?)」では、そうほのめかしてもいる。
大企業の利益を守るために大事な発見が隠されたり葬られたりしている例は多いはずだ。企業の邪魔になる研究が妨害されるというのはありふれたことで、これは井口博士の新しい記事の中で大学の先生自身が証言している。
ともあれ、フリーエネルギーが出現したら、もはや世界の在り方はまったく変わるはずだ。富の異常な偏在という悪も抑止されるだろう。そして富の偏在から生じる悪もまた消えていくことになり、いわば地上の天国に近づくのである。
そうなった時に、20世紀から21世紀前半の人間が富を争ってお互いに殺し合い、いじめあっていたことが不思議に思われるようになるはずだ。
これが私の言う「人類幼年期の終わり」である。
(以下引用)
これから色々な変化が起きてくると思いますが、最初は混乱にみえて、実は新たな秩序がそこから生まれているという形になると思う。
とにかく変化を恐れないことです。変化していくものには命が必ず伴うので、本当は心配は不要。
けっきょく、今変化を恐れているのは、これまでの既得権益的なものにしがみつく人がメインであり、多くの人は一見変化を恐れるように見えて、さすがにここまでインチキ社会となれば、もう壊れてしまったほうがいいのでは、、、、と受け入れる気持ちも逆に育っている。
変化の中に身を置くと、そう決めるだけで人生は楽になっていきます。
人生のあらゆる秘密を知っている人がもしいたとすると、私たちが日ごろ抱く不安や恐れが、いかに取るに足らないものかと思うはず。
すべてはよくなるために変化していくのだから、いやなことでも起きてしまった現実は、良い方に向かうための生涯(夢人注:「障害」の誤記だろう)の除去だったり、消失だったりして、次の展開をもたらしてくれる貴重なわざわいであることになる。
これは事実で、不幸な出来事があったとしても、それは決して不幸ではない。不幸とは、しがみつき、変化を恐れることなのだ。
青年期によく読んでいた本に荘子があるが、その中に、ある朝、自分が鳥になっていたら、その時は思い切り鳴いてみよう、、、というような文章がある。
運命の変化を受け入れることを言いたいのだが、荘子のすごさは、ただ受け入れるのではなくて、それを面白がっているところにある。
鳥になるのなら、鳴いてやる、、、、なんでもござれ、なんでも、どんな変化でも、オーケー。どんな運命が自分に訪れようとも、それを見事、楽しんでやるぞ、、、の凄味である。
それによれば、あらゆる不幸が消失してしまう。あくまで不幸にしがみつくのは、心ない田舎者の一部のバカ連中だけになってしまう。本当は不幸などない、、、変化を楽しむことで、こちらにもわからない大きなものが進展いていく、、、、
とんでもなく面白い劇が、まるで神芝居(夢人注:「紙芝居」の誤記だろう)がどんどん進展していってしまう、、、、
一見現実離れしているように見えて、それは事実なのではないか。
将来、空気中から、また真空から、有り余る電気が得られたとした、石油のために戦争していた時代は、一体何だったのか、、、と思うようになるだろう。
顔がまずいとか、給料が安いとか、人に遅れをとるとか、、、そういうことで人生を不幸だと思っていたことが、なんと勘違いだったかと、わかるようなものではないか。
そんなところに人間や命の意味があるのではない、もっと大きな仕掛けの中に人は生きている。誰でも。
それでもなを、自分を不幸だと思いたい人はいると思うし、客観的に見て、確かに大変だ、、、という状況はあるだろう。しかし、変化が重要という大きな原理の前では、私たちが感じる不幸は、やはり趣味程度のものでしかなくなる。
自分を不幸と思う人は、本当は趣味でそう思っているといったら怒られるだろうが、私が青年期の悩みに悩んで、あまりにまじめに悩みすぎた結果、ある日、私は不幸に飽きてしまったことがある。
それはウソでない感覚だった。むしろ不幸がウソだと分かった瞬間、私はそれに飽きてしまったのだ。
本当はこの世に不幸などないのだ。不当なことや、おかしなことや、苦しいことははっきり言ってたくさんあるが、それは不幸とは違う。
不幸は運命ではなくて、選択なのだ。不幸を選択するのも趣味としてはいいが、本気で趣味にしたら、実態が乏しいので、すぐに飽きるはずである。
不幸に飽きない人がいたとしたら、それは不安から不幸にしがみついているのだ。不幸よりも不安の方が怖いからに違いない。
しかし、人生が不安であるわけがない。大きな仕組みがあるからだ。
また人生はそんなに複雑なものでもない。戦争も本当は複雑なものではなく、金儲けや権力維持のために起こる単純な動機を持っている。
ただ、それだとばれてしまので、どうすれば戦争がなくなるのか、、、というようなまことしやかなウソを振りまいて逃げているに過ぎない。
不幸も戦争も単純。それを選択する人がいるというだけの話しなのだ。
なので、あなたは何を今、明日、選択しますか、、、を常に尋ねられているのが人生。よい気持ちで、楽しい気持ちで、変化を受け入れていく。
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