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人生の中仕切りの弁

私の愛読するブログの一つに「がま仙人のブログ」というのがあって、その清貧の生活ぶりを私は尊敬しているのだが、収入がまったくゼロではいかに仙人であってもこの社会では生きてはいけないだろう。
それは私も同様だ。実は、私は今年会社を定年退職し、今は無職状態である。収入も今はゼロだから、金は出て行くばかりである。まあ、そのうちいい仕事に出会えるだろうと気楽に構えるようにしているが、やはり心の隅には常に近い将来への不安もあるわけだ。まあ、いざとなれば死ねばいいさ、という覚悟はあるけどね。
子供に関しては、私の持論として、義務教育までを終えれば親としての養育義務は果たしたと考えている。その後は、子供が自力で生きていけばいいのである。親などいないほうが子供は性格がしっかりし、立派に育つのではないか。親は早死にする方が子供のためかもしれない。
昔は40歳くらいで隠居して、後は遊んで暮らすというのがちょっとしたレベルの町人の暮らし方だったようだが、今では死ぬまで働くのが当たり前だという風潮である。40歳定年ならば、40歳で老齢年金を支給するのかと思えば大間違いで、年金支給年齢は逆にどんどん引き上げられて、大半の人間は年金を受け取る前にとっくに死んでいる、となりそうだ。
まあ、働くのがまったく嫌いというのでもないが、20歳から60歳まで40年間も働かされたのだから、定年退職を機に、しばらくは骨休めをさせてもらおう、というのが私の気持ちだが、他人が働いている時に、自分だけ働いていない、というのはやはり肩身が狭い気分だ。気が小さい、と言うべきか。
などとは言いながら、今の自由な状態を楽しんでいるのも確かである。とにかく、「予定が何一つ無い」というのが嬉しい。
自由な状態だと「勉強」も苦にならないから、今は高校生レベルのリライト版で「シャーロック・ホームズ」の英書などを読むのが娯楽の一つだ。多少意味不明の部分があっても、日本語で読むよりも面白い。日本語だと読むスピードが速すぎて、「筋を追うだけ」になるが、英書だと1行1行を味わいながら読める。
それに、今はユーチューブでいくらでも好きな音楽が聴けるから、読書と音楽を同時に楽しみ、それに昼ならコーヒー、夜なら安ワインを味わうという、実に安上がりの快楽である。
今日など、窓から気持ちのいい風が入るので、クーラーもつけずに一日中家の中にいたが、それで十分満足である。
田舎に帰ってきてから、兄弟たちに会った以外は、昔の知り合いにすら連絡もしていないのは少し気が咎めているのだが、それも実は「予定」を作るのがいやだから、という現代人にあるまじき我儘な理由からである。
まあ、自称「仙人」のすることだからと許してもらおう。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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