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この諸法の空相は

私はただの「思いつき」を「思考素材」と堅苦しい言い方をするのだが、我々の思考は無意識の大海の中から浮かび上がる「断片的思考」が機縁となって、後はそれに引き続く連想によってまとまった思考ができてくるものである。で、一番大事なのはそのきっかけとなる思考だから、それをわざわざ「思考素材」と呼んで重視しているわけだ。もちろん、世間的な成功を収めるには、本当に一番大事なのは、思考の継続性と徹底性、正確さではあるのだが、べつに偉大な哲学者や宗教家になりたいのでなく、思考そのものを楽しむのなら、やはり面白い「思考素材」が浮かび上がってくることが一番だ。
そういう意味では私の好きな箴言的な言葉はほとんどが思考素材でもある。そしてそうした特有の好みの思考素材が混じってくることで、思考の方向が私好みの方向になっていくわけだ。だから私はいつも同じような事を言ったり書いたりすることになる。まあ、食べ物の好みと似たようなものである。進歩が無い、と言われればその通りだ。
さて、私の思考素材の一つに「般若心経」がある。「聖書」も好きだが、それは文学として好きなのである。世界の創造主としての神など、私にはお伽話としか思えない。ただし、「我々の内なる神」という考え方なら好きだ。で、私は宗教としての仏教の信者ではないが、哲学としての「般若心経」は非常に面白いと思っている。
少し前の「山科恭介のブログ」でその般若心経についての文章があり、それを面白く読んだのだが、その中で「『空』は『無』の上位概念である」と断定的に、何の説明も無しに書かれていたことが少し引っ掛かった。
そこで、それを思考素材として少し考えてみたい。

私としては、「色即是空、空即是色」に先立つ「是諸法空相……色即是空、空即是色」の「是諸法空相」を問題にすべきではないのか、と思うわけである。つまり、この世界の諸法則(世界の在り方)を「空」という相(フェイズ)に於いて観じる時に、「あらゆる存在は空と見なせ、また空はあらゆる存在でもある」というのが私の解釈だ。つまり、「空」とは「空という見方」である。それを私流にこじつければ、「自分が存在しない場合のこの世界」が「空」なのである。自分がいなければ自分にとっての世界は存在しない。したがって「色即是空」である。「色」とはあらゆる存在、と考えておけばいい。あるいはあらゆる現象、でもいい。そしてまた、常識的に考えても分かるように、私が存在しなくてもこの世界は客観的には存在し続ける。だから「空即是色」なのである。
実に簡単で合理的な解釈ではないだろうか?
そして、これが実はすべての娑婆苦から脱出する道でもある。つまり、この人生のさまざまな不幸に苦しんでいる人間は「自分が最初からこの世界に存在しなかった世界」を思考実験的に考えてみればいい。そして、その世界と、今、あなたが苦しんでいるこの現実世界と比べて、どちらを選ぶだろうか。おそらくほとんどの人は、あらゆる苦難にも関わらず、「自分がこの世に存在する世界」を選ぶだろう。まさしく「生ける犬は死せる獅子に勝る」(聖書)のである。そして、ひとたび生を選んだ以上は、不幸や苦難にめそめそせず、雄々しく人生に立ち向かう意志が生まれるのは当然のことだ。
もちろん、「死に勝る苦しみ」を今現に味わっている人間には、こんなのは寝言かもしれない。そういう人間が自殺を選んだとしても仕方のないことだ、とは思う。それに、私自身、「いざとなれば死ねばいいさ」と、生きることを軽視するかのようなことを少し前に言ってもいるのだが、それは生の軽視ではなく、生にあまりに執着したくない、ということだ。生への過度の執着が多くの人にとって、逆に精神的な不幸や不満の原因になってはいないだろうか。前回書いた、認知症になったら殺処分にする、というのは、私自身が自分自身への処置として強く求めていることなのである。
死は必ずいつかは来るものであるし、死んだ後にどんな世界があるのか(まあ、まったくの虚無である可能性が99%以上だろうが)誰にも分からないのだが、「曲がり角を曲がった先に素晴らしい風景が広がっている」(「赤毛のアン」より)というのは人生だけでなく、死についても成り立つ可能性もある。
要するに、いつでも死ねるということの安らかさ、という考え方もありだ、ということである。死はすべての義務や苦痛からの解放でもあるが、すべての快楽からのお別れでもある。どちらかと言えば生のほうがいいが、生がすべて苦痛のみになれば、あるいは生きていてもしょうがない、という状態になれば、死も一つの選択肢であっていい。
我々はこの世界の下宿人のようなものだが、この世界を自分のイメージを元にして飾り付けることは許されている。そして、すべては我々がいかに考えるかで決まるのである。そういう意味では本当の富とは精神的な富のみである、と或る英語リスニングCDの中で最近聞いたのだが、(まあ、聞き間違いかもしれないが、私が聞いたことが私にとっての現実だ)実際、あらゆる幸も不幸も、根本的には我々の精神的態度で決まるのである。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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