(以下引用)
国家=人間集団にとって、もっとも必要な姿勢は、「持続可能な未来」を用意することだ。
人間が生きてゆく基本は、①食料 ②暖かい家 ③健康な肉体 ④衣類その他の必需品 ⑤持続性を保証する社会システム である。
国は、これを滞りなく準備することが政策の基本でなければならない。
ところが、今の日本政府は、1970年代以降、上に挙げた基本政策から逸脱し、大企業利権と自民党政権持続のための政策だけを行い、民衆生活を軽視するようになった。
私の若いころ、1970年代は、「民生政策」が重視され、社会全体が互助会のように機能する一種の社会主義的システムが機能していた。
例えば、地域社会には必ず、準公務員としての「民生委員」がいて、問題のありそうな家庭を回り、対話して生活が苦しければ生活保護の手続きを教え、老人介護世帯に頻繁に訪れて問題解決を手伝った。
過疎地方には、今の何十倍もの公共交通機関が整備されていて、学校教育も、生徒が1名しかいないような学校まで大切に存続させられた。
私は70年ころから全国の山登りを始めたのだが、当時、日本中どこに行っても、ちゃんとしたバス便があって、登山に困らなかった。フーテンの寅さんが全国の田舎バスで移動している姿を思い出してほしい。
だが、今は違う。過疎地方の山登りは、自家用車でなければ不可能になった。
政府が地方を見捨て始めたのは、バブル経済が始まった1980年代である。
自民党が、全国の農業者を軽視し、巨大企業にばかりすり寄るようになったのも同時期だ。
農業者の票田や支援よりも、大企業の政治献金の比重が高まった結果、地方や農業に冷たくなってしまったのだ。
私の住んでいる中津川でも、半世紀前は、今よりもはるかに便利であり、居住者も多かった。ローカル電車もバス便もたくさんあったが、今は大半が廃止され、居住者は自家用車しか生活の足がない。
だが、住民の老齢化で老人たちが片っ端から免許証を奪われている事態にも、自民党は放置するばかりだ。結局、地方を廃止して人々を大都会で効率的に一元管理したいということだろう。
結局、政府が農業に冷たくなった本当の理由は、日本が大企業中心のバブル経済化し、自民党が農家を見捨てて大企業の政治献金にすり寄ったからだ。
その後は、1980年代末に、中曽根康弘が新自由主義を日本社会に持ち込み、何もかも市場原理によって価値を定める。つまり儲からないものは片っ端から切り捨てるという政策を始めた。
国鉄のような三公社五現業が廃止されたのが皮切りで、全国農協のような自民党を底辺で支えてきた組織でさえ、あからさまではないが、真綿で首を絞められるように息の根を止められ始めた。
減反政策の背景にあるのは、新自由主義の、地方切り捨てと効率化一辺倒思想である。
だが、健全な社会を支える第一は、健全な農業であり、農業が人間社会の基礎であることを学んだ若者たちが、農業に従事する意思なのだ。
コメ農家の時給10円というのは真っ赤な嘘だが、100円ならありうる話だ。私は自分の小さな畑で、作物を育ててみて、それが、どれくらい割の合わない仕事か思い知らされているが、確かに時給換算してみると白菜やきゅうり、トマト、ナス一個が法外な値段になってしまう。
それでも市販の野菜の空虚な味を考えると、自作せざるをえない。
百姓は「百の仕事」という意味だが、本当にたくさんの仕事をしなければならない。
ただ、その仕事が、「国家と社会を根底で支える」という自覚と責任感、そして社会への愛があって、「底辺で人々の生活を支える」誇り、喜びが生まれる。
若者たちが、重労働で薄汚い作業服の農業を嫌悪して、誰も農業を目指そうとしないなら、その社会は終わったも同然であり、未来は存在しない。
今、まさに若者たちの農業離れが、日本国の終焉を確実に示していると思うしかない。私の近所の農業者の平均年齢は、すでに80歳近い。もう米作のような重労働は無理なのだ。
だから、今起きているコメの暴騰と供給危機は、すでに50年前からの自民党政権の無策の結果であり、約束された事態だった。
半世紀前、減反政策を行う前に、日本国の未来を守るために、本当に必要だった政策は、若者たちに農業の魅力を教え、国民の食生活を守る兵士として農業に従事してもらう政策だった。
若者たちを、過疎地方の防人として、生活圏を構築してもらう政策だった。
農業者こそ、日本でもっと立派な、人々を救済する職業であることを全国民に周知させる政策だった。
ところが、世紀を跨ぐころ、竹中平蔵や小泉純一郎のような新自由主義者が政権を執って、何を目標にするか? と問われ、「日本を金融国家」にすると堂々と宣言した。
つまり、日本を投資(金融博打)で生活する国にすると宣言したのだ。
人々を、苛烈な市場原理の金儲け競争に叩き込み、凄まじい格差社会に仕立てた。日本にも、ごく一部の特権階級と、貧しい人々の両極に分離させる政策を行った。
当然ながら、苛酷な労働、土にまみれた作業衣の農業者が尊敬される社会でなくなってしまった。人間社会を支えるもっとも大切な職業の人々が、あからさまに軽視され嘲笑さえされる社会を生み出してしまった。
だから、コメ問題の本質は、減反政策ではない。社会全体がスーツを着て投資に生きる金持ちと、底辺で生産の汚れにまみれて働く人々に二分化されてしまい、相互の交流もなくなった。
私の若いころ、貧しい底辺の私でも、タウンエースの新車を購入し、日本中の百名山を登頂して回ることができた。
だが、今の若者は、車を買うことさえできない。増税、手数料増額によって。あまりにも経費がかかりすぎて生活を圧迫するので、地方で、生活必需品として軽自動車を使う以外、車を所有できなくなったのだ。
私も、手持ちの金がなくなったなら、車を購入したり維持する余力がない。バイクは凍結路では役に立たないので、徒歩3時間かかるスーパーに歩いてゆくしかない。結局、自決する道しか残されていない。
農業を大切にしない社会に未来はない。人情を大切にしない社会にも未来はない。投資ばかりがもてはやされる日本社会に未来への希望があるのか?
ない。わが日本は滅び去るのだ。
警察をはじめ、あらゆる官僚機構が正義感を失い、自分たちの利権と権力の保全ばかりに走り、民衆に寄り添うことをしなくなった。
結局、今のコメ問題は、1980年代のバブル社会、その後の新自由主義社会で、過疎地方や底辺の生活者を顧みなくなった段階で、もはや未来を失ったのであり、コメ暴騰は、日本社会の最後の断末魔が襲ってくる前兆だったのだ。