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いろは歌の「思想」の考察

筒井康隆の「不良老人の文学論」の中に芥川龍之介の「侏儒の言葉」について書かれた小文があって、その最後に「侏儒の言葉」の中にある次の言葉が引用されている。

「我々の生活に欠くべからざる思想は、或(あるい)は「いろは」短歌に尽きているのかもしれない」

もちろん、私は中学生くらいに「侏儒の言葉」は読んでいて、この言葉も記憶にあったが、それを真面目に考えたことはなかった。そもそも龍之介は「人生は一箱のマッチ箱に似ている。真面目に扱うのは馬鹿馬鹿しい。真面目に扱わないと危険である」とも書いた人であり、人生というものを「真面目に扱うのは馬鹿馬鹿しい」と考える人間が、人生に必要な思想は「いろは歌」だけで十分だ、とするなら、それはさほど深遠な思想ではないだろうと私は無意識のうちに考えたのだと思う。
だが、これは芥川流の韜晦で、あるいはこの「いろは短歌」云々は真面目な発言であった可能性もある。とすれば、いろは歌の思想とは何なのか、考える価値もあるだろうが、実は私はいろは歌を真面目に考察したこともなかったのだ。もちろん、語調が良く、見事に歌になっているのも凄いと思うから、さほど苦労もせずに覚えたのだが、その「思想」については、「どうせ、ひらがな四十七文字だか四十八文字だかをすべて一度だけ使って歌にするというアクロバチックな『縛り』で作った歌にロクな思想など入れられるはずはない」と心の底で軽く見ていたと思う。
中には「有為の奥山今日越えて」のように、解釈の難しい部分もあるが、ここで考察してみる。先に、いろは歌を漢字まじり、現代かなづかいで書いておく。


「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ。有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ、酔いもせず」

念のためにひらがな、歴史的仮名遣いで書くと(句読点はつけておく)

「いろはにほへとちりぬるを、わかよたれそつねならむ。うゐのおくやまけふこえて、あさきゆめみしゑひもせす」(先に書いた時に「こへて」と書いたが、「越ゆ」はヤ行語尾なので「こえて」に訂正する。そうでないと、「へ」が二度出るし。いや、下ネタではない。)

である。
さて、現代語訳してみる。
「匂う」は古文では主に色鮮やかな様であり、嗅覚の「匂う」の意味で使う方が少ないと思う。本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂う山桜花」の「匂う」も視覚表現だ。桜の花には嗅覚的な意味での匂いはほとんど無いと思う。しかも「朝日に(照らされて)」に続くのだから、視覚表現に決まっている。
そこで、いろは歌の「匂う」の主体を補って訳すと

「花は美しく咲き誇っていたが散ってしまった。それと同じく、私が生きるこの世で永遠のものが何があり、不死の人が誰があろうか。生きて何かを為せる、その最期の時を今日踏み越えていくその先では、私は浅い夢も見るまい(見ないだろう)。酔うこともなく」

とまあ、訳してみたが、「有為の奥山」を今日越える、ということを死出の旅路と見たわけだ。そうすると、我々の祖先は手習いや学問の初めに「人生は無常であり、生は永遠ではない」ということを子供に教えたことになる。
まあ、「浅き夢見じ」を「夢見し」と解釈することも可能だろうが、「し」は過去の助動詞「き」の連体形であり、そこで終止するのは不自然なので、やはり「夢見じ」が正しいだろう。「じ」は打ち消し意志か打ち消し推量の助動詞「じ」の終止形か連用形だろう。
そうすると、この無常であり有限である人生をいかに生きるべきかの解答として「浅い夢も見ることなく、酔うこともせずに生きなさい」という、真面目そのものの生き方を推奨していることになるのだろうか。とすれば、これは「人生哲学」としては文部省推薦の思想だろうが、問題はこの部分は「有為の奥山を今日越える」その先の話だ、ということで、実はこれは人生哲学ではなく、死についての哲学ではないだろうか。つまり、死んだら、夢を見ることも無く、酔うことも無いのだよ、と教えていることになり、「生きているうちが花なのだから、せいぜい、浅い夢でも見て、酒でも飲んで楽しく生きなさい」という解釈も可能かもしれない。などと言うのは、言うまでもなく私は夢を見るのも酔うのも好きであり、それが無ければ生きる意味も無いのではないか、と思うからであるwww






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暴力を「暴力無し」で抑止できるか

カカシ氏のこれは全米ライフル協会がよく使う詐欺的論法だが、簡単な話、民間人の銃所有が禁止されていたら、最初からこの事件は起こらなかった。
ただし、話を普遍化して、究極的には暴力は暴力でしか抑えられない、というのなら、少しは理解できる。特に学校のいじめ問題は、学校内に警察駐在員という「暴力装置」を配置することでかなりというか、極限近く抑止できるとは思う。



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こういうのが自力救済社会か(ちょっと違うか)






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地球温暖化害悪説という大嘘

別ブログに書いたもので、同じような考えを前にも書いているが、ここにも転載しておく。私は、嘘というのが大嫌いなので、地球温暖化害悪説というのは、その代表的な嘘だから何度でも批判する。子供でも分かるような嘘を大の大人やマスコミや一部の科学者が真面目に信じたり論じたりしているのが馬鹿馬鹿しくてならない。
なお、地球のエネルギー、特に気温は太陽からの熱で生じているので、太陽の「老化」によって太陽からの放射熱はどんどん低下し、数百万年後か数千万年後には太陽は死滅し、地球はその前から凍えて破滅するのである。つまり、地球は寒冷化していくのが当然の定めだ。

(以下引用)


地球温暖化が地球環境の悪化をもたらすという大嘘



地球温暖化説というのは大嘘だと私は思っているのだが、その理由のひとつは、地球温暖化が地球環境を悪化させるメカニズムを誰も説明していないことだ。なぜ温暖化が異常気象の原因になるのか。ひどい場合は異常寒波も温暖化が原因だ、ということさえ言われるwww 
どの記事を見ても、温暖化と異常気象が結びつくメカニズムをまったく説明しないのである。
ちなみに、人間の生活の大敵は「温かさ」ではなく「寒さ」である。温かくて死ぬ人間はいないが、寒さで死ぬ人間は膨大にいる。エネルギーとは熱量(カロリー)とほとんど同じであり、人類は「熱」を作るために途方もない苦心を重ねてきたのだ。我々の住む家も衣服も、寒さ対策が根底にある。食物は「熱」で調理する。温暖化は、その苦労を軽減させる意味で、人類への災いではなく、恩恵(天の恵み)と考えるのが当然の理屈だろう。


(以下「ウィキペディア」から転載)赤字部分は筆者による強調。わりと正直でまともな記述の部類である。


地球温暖化は、気温や水温を変化させ、海面上昇降水量(あるいは降雪量)の変化やそのパターン変化を引き起こすと考えられている[注釈 7]洪水旱魃酷暑ハリケーンなどの激しい異常気象を増加・増強させる可能性や、生物種の大規模な絶滅を引き起こす可能性も指摘されている[注釈 7]。大局的には地球全体の気候生態系に大きく影響すると予測されている[注釈 7]ただし、個々の特定の現象を温暖化と直接結びつけるのは現在のところ非常に難しい。 こうした自然環境の変化は人間の社会にも大きな影響を及ぼすと考えられている。真水資源の枯渇、農業漁業などへの影響、生物相の変化による影響などが懸念されている[注釈 7]。2–3°Cを超える平均気温の上昇が起きると、全ての地域で利益が減少またはコストが増大する可能性がかなり高いと予測されている[注釈 8]。温暖化を放置した場合、今世紀末に5–6°Cの温暖化が発生し、「世界がGDPの約20%に相当する損失を被るリスクがある」とされる(スターン報告)。既に温暖化の影響と見られる変化が、世界各地で観測され始めている[注釈 9]



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子供時代にどういう本を読むかは重要

子供のモラルや想像力を育てるのに、児童文学や漫画の果たす役割は大きい。漫画は絵で伝えるので(自分で絵画的イメージを作る必要が無いので)想像力は育ちにくい面もあるが、「センス・オブ・ワンダー」を知ることができる。私の精神の二割から三割は、たぶん高須力弥氏同様、子供時代の漫画読書体験で作られている。
今の漫画の最大の欠点は、漫画が「大人向けのもの」がほとんどになっていることで、そこからは倫理感は育たないだろう。手塚治虫や藤子不二雄は、子供の精神への影響を考えた上で描いていた。大人向けと児童向けは別枠で描いていたのである。今や年齢層無視の漫画だらけになり、「勝てば官軍」思想が子供の世界にまではびこっているとしたら、凶悪無残な未来の姿しか想像できない。(実は、このような漫画界の未来像は、トキワ荘時代に寺田ヒロオが憂えていたことでもあるが、彼は漫画界の商業主義化に付いていけず、筆を折った。)


(以下引用)

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小学生のうちに小松左京先生の短編集を読んでいた影響もあると思います。
















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学習と教育

新しい物事を知る、理解できなかったことが理解できるようになる、というのはそれ自体が快感で、ものを学ぶ基本であると思うのだが、それが「テストのために覚えろ、テストのために理解しろ」となると、まるで面白くないどころか苦痛になる。
教育なんて、勝手に本を読ませて、子供が分からないところを質問しに来たら答えてあげるだけでいいと思う。
なお、私は「義務」というのが死ぬほど嫌いで、だから遊びだろうが何だろうが「予定」というのも嫌いである。それは、その時間に何かをする義務となるからだ。病的な自由人なのだろう。(もちろん、それではまともな社会生活を送れるわけがない。義務を最小限にすることで何とか対応して生きている。)


(以下引用)




学習塾とかの動画を見てると「こんなに面白い事実なのに、テストを解く為の教え方をしてるのって本当にクソだな」って思う。


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死の実相

斎藤茂吉は自身も医者だったが息子ふたりも医者なので、茂吉の臨終の様子が医者らしい冷静さで書き残されている。まだ七十歳だが腎臓病の持病のためか老衰が早く、ほとんど老衰死に近い死に方に見える。自分自身の死について考える参考になるかと思う。私が、死ぬなら即死したいと願う気持ちも分かるのではないか。


(以下引用)ネットで知った文書だが、大学の講義録か。出典名は冒頭に記す。長い文章の一部である。


文京学院大学外国語学部文京学院短期大学紀要 第9号(2009)



 柴生田稔の『続斎藤茂吉伝』では、次のようにいう。 昭和二十六年四月五日、私はやうやく外出できるようになって、九ケ月ぶりに茂吉宅を訪 れた。対面した茂吉は、すでに顔面の筋肉が弛緩して、別人のやうな風貌になってをり、 私は何とも言ひやうのない衝撃を受けた。(略) 私は幾度か大京町を訪れたのであったが、その間に茂吉の能力が、徐々にではあるが、確 実に低下しつつあることに気がついたのは、やはり言ひやうのない衝撃であった。私はで きるだけ茂吉を訪ねて色々質問し、茂吉の脳に働いてもらつたなら、あるいは能力をよ みがへらせることも可能ではないかととも、素人考へで考へてみたのであるが、結局さう 繁々と訪問することもできなかった。(略) 茂吉が、ほとんど口を利くのもおっくうにするやうになった頃の或る日、夫人が、以前は 机に向って何か彼にかしてゐたのでしたが、もう全く今は何にもしなくなりましたと、寂 しさうに語られたことを、私は忘れることができない。さうして、その時も茂吉は私たち の傍に茫然としてゐたのであった。おそらくそれより大分後に、私は強ひて茂太氏に願っ て、茂吉に会はせていただいたことがある。布団の上に物憂さうに横になった茂吉を一目 見た時、私はたまらなくなって、思はずその手首を堅く掴んだ。たちまち痛てい痛ていとういふ叫び声が挙って、茂吉は憎々しさうに私を睨みつけた(と私には思はれた)。これ が、茂吉の言葉を聞いた最後であった。30)  このように門弟は、茂吉の認知症の姿を公にすることに、抵抗感があり、ある程度の段階で 押さえている。柴生田は、茂吉の老いに愕然とし、いたたまれなかったのである。茂吉は、す でに門弟の柴生田であることを、認知していない。むしろ、医者である長男の茂太や、次男の 宗吉(北杜夫)が、茂吉の肉体的老いを医者の眼から、ありのままに冷徹に見つめ、その記録 を公刊している。  長男の茂太は自らの「病床日誌」で、1951(昭和26)年の12月9日に次のように記す。 父、このところ連日両便失禁あり。少しくapathisch。明日よりヴィタミンBC注射を再開 す。31)  Apathischとは、痴呆的という事である。1952(昭和27)年4月6日になり、茂吉は再び呼 吸困難の発作に襲われた。「病床日誌」に次のように記す。 午後九時五十五分、ゼイゼイという音に隣室の母が気づく。急に呼吸困難起りたり。十 時茂太かけつく。父は右を下にして、呼吸浅表。冷汗淋漓。直ちに、ビタカンファ二cc、 アミノコルジン一cc皮注。十時二十分、脈一三八、呼吸四一、口唇、指端チアノーゼ、 足先にもチアノーゼ。苦悶状、しっかり茂太の手をにぎる。枕頭には、母、私、美智子、 昌子、看護婦二名がいる。十時二十五分、綿棒にてのどの痰を取らんせしも、却って苦し がり中止。瞳孔かなり散大、対光反射あり。「寒くない、有難う」と云う。室温十七度。   (以下略)32)  また、次男の宗吉(北杜夫)は、昭和27年1月初旬の自らの「日記」に次のように記す。 正月帰省の折の父。ほとんど一人で歩けない。食堂まで手をひかねばならぬ。ツヴァング (強迫)的な笑い、なにかにつけ(おかしくもないのに)一分くらい笑っている。と思う と、腹を立てて何か言う。ゼニーレ・プシコーゼ(老人性精神病)みたいになった。僕た ちの話もあまり理解できぬようだった。33)  この症状は、精神医学では「感情失禁」と呼ぶもので、感情の抑制がきかない状態である。 さらに、7月21日には、次のように記す。 昨日見えた山形の重男(四郎兵衛の息子)さんが帰るとき、父は山形へ行くといってき かぬ。挨拶して握手して出て行こうとすると、玄関で「ちょっと、ちょっと」ととめる。 「靴を出せ」と言う。食堂にきてからも、「上野へ行く」などと言う。 食堂で坐っていて、そのままHarn(尿)をしてしまう。ときどき、「コラ、コラ」「なんだ、 なんだ!」と叱責するように言ったり、たまには憤怒の形をして「糞くらえ!」などとも いう。 机、柱、壁に掴まって辛うじて歩く。しかし、大声を出すので誰かが手をとると、その 手をぐいと掴む。父の手―白いうすい 444皮膚の下から血の色が浮かんで、なかなか色はよい。 爪は縦に長い。静脈が太く浮いている。汗ばんでじっとりしている。粘着力のある掴み方をする。 ゲニタリエン(陰部)の毛はほとんど白い。ホーデンはやっぱりゼンドウしている。そし て(サルマタはなし)尿臭。 目はひどくしょぼしょぼしてきた。ときどき薄く目を閉じて、そのまま上前方を見つめる ようにする。そして、目をひらいてそれをまたたかせる。34)   このように茂吉の記憶力は低下し、「手帳の置場所を幾度にても」忘れ、その姿を周囲にも 示した。  茂吉は、昭和28年2月25日に、心臓喘息のため亡くなった。享年、満70年9月であった。 次が、『つきかげ』に最後に収録された歌である。   いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも (『つきかげ』昭和27年「無題」)  茂吉は、戒名と墓を生前に用意し、死への準備は万全であった。戒名は、すでに昭和9年に 「赤光院仁誉遊阿暁寂清居士」と決めていた。52歳の時である。さらに、墓は昭和12年に「茂 吉之墓」とし、自ら書いた。師の伊藤左千夫の墓よりも小さくするように要望した。墓は分骨 して、郷里金瓶の宝仙寺と東京の青山墓地にある。













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所有権の起源


「泥棒という罪でさえ必ずしも普遍的な考え方ではないのだ。」

という言葉は、目から鱗が落ちるような気がする。我々は、自分のいる場所や時代の常識を「絶対的で普遍的なもの」と勘違いする傾向がある。
所有権というのは、その中でも根強いものだろう。我々は、それを原始時代から続く、あるいは文明の端緒から続く観念だと錯覚しがちだが、実は「権利」という観念すら古代には無かっただろう。物の蓄積が不可能だった時代には所有という観念も希薄だったはずだ。すべて、「今、その時その場にあるもの」を使用し、余裕があれば他者と共有するのが普通だったのではないか。だが、カネというものができ、「富の蓄積」が可能になったために、所有権という概念も発達したのだろう。土地など、所有するだけでは何も価値は無いのだから、アメリカインディアンが土地の価値を感じなかったのは当然だ。そして、白人に騙されてどんどん土地を失っていったのである。
大昔の中国の皇帝は後宮に美女を何千人も集めて「所有」し、その大半は一度も皇帝の顔を見ることすらないままに老いていったという。これが「所有権」の悲劇である。まあ、貧しい今の日本人なら、働きも何もせずに宮殿の中で死ぬまで遊んで暮らせるのだからむしろ幸福だろう、という見方もある。だがゲームもスマホも無い時代の話だ。待遇のいい家畜と言っていい。



大童 澄瞳 SumitoOwara @dennou319 11月30日

泥棒という罪でさえ必ずしも普遍的な考え方ではないのだ。これは最終的には神の話になったりとする古い哲学や社会学を読んだときに「ん」と思うのと同じだ。倫理の物差しも疑うべきとおもうのだが。


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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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