山本七平の「日本的発想と政治文化」という古本を読んでいて、その詭弁性に呆れたのだが、私は昔は彼を高く評価していたのである。まあ、下の小室直樹による山本評にあるように「浅学菲才だが、物事の本質を見抜く目がある」人ではあったと思う。だが、時として「為にせんがための論」を書く、ずるいところがあったと思う。特に、日本人を貶め、ユダヤ人を持ち上げる際に、しばしばその詭弁が使われたようだ。もちろん、彼の日本人批判、特に戦時の軍部批判などはまったく正当であったが、それを「日本人一般の性格」とした感じがあり、一種の誣告だろう。
後で、上記書の中の非論理性(詭弁性)の事例を書く、かもしれない。
(以下引用)
後で、上記書の中の非論理性(詭弁性)の事例を書く、かもしれない。
(以下引用)
評価
[編集]- 『小林秀雄対談集 歴史について』(文藝春秋 1972年)[要ページ番号]で、小林秀雄が、河上徹太郎、今日出海との対談で『日本人とユダヤ人』に触れ、「ベンダサンという人が『語呂盤』という言葉を使っている」ことを紹介し、「フランスの教育におけるテーム(作文)の重大性というものはとても日本では考えられぬということを、以前パリにいたとき、森有正君がしきりに言っていた。テームの問題には、数学の定理まであるということを彼は言っていた。面白く思ったから覚えているのだが、それが、今度ベンダサンの本を読んで、はっきりわかった気がした。」「もっと微妙なことを言っているが、まあ読んでみたまえ。面白い。」と述べている。
- 『私の中の日本軍』[要ページ番号]において、自らの軍隊経験から、日本刀は2~3人切ると使い物にならなくなると主張した。また、同じ刀を使った場合でも、状況によって切れ味は1,000倍も違うとも評した。この部分は、文学者の文学的表現と言われる。また、戦地という劣悪な状況下で日々酷使され、満足に手入れも出来ず自然とナマクラになってしまった刀に限った話であり、本来の日本刀の性能について誤解を招くものだという批判がある[10]。さらに、同書における『戦ふ日本刀』からの引用は、自説に都合の良い部分のみを引用した不正確なものだという批判もある[11]。また、山本は本多勝一との百人斬り競争における論議において、イザヤ・ベンダサンの名義で、持論である「日本刀は2~3人斬ると使い物にならなくなる」という論理を中心に本多を批判した。この論理はこの論争の後に一般に広がった。
- 浅見定雄は、『にせユダヤ人と日本人』において、『日本人とユダヤ人』における翻訳の誤りを指摘し(たとえば、聖書の「蒼ざめた馬」を山本は間違った訳であると言うが、これは正しい訳である[12]など)、山本の語学力を批判した。山本が訳者となった、浅見自身の師である聖書学者の著書を題材に、山本が高校生レベルの英文を理解できず、明らかな誤訳をしているとして、「ヘブル語やアラム語はおろか、英語もろくに読めない」[13]人物だと批判した[14]。また浅見によると『日本人とユダヤ人』によって、一般に流布されていた「ユダヤ人は全員一致は無効」という話も、実は完全な嘘あるいは間違いであり、「こんな無知な人が何をどう言おうとも、現代イスラエル国の裁判所や国会で全員一致が無効とされるわけではなく、また世界各地のユダヤ人が、さまざまな集会から家族会議まで、あらゆる生活場面で全員一致をやっている事実が消えてなくなるわけでもない」[15]と批判した[16]。また「ニューヨークの老ユダヤ人夫婦の高級ホテル暮らし」というエピソード[17]も、実際にはあり得ない話で、「この話は全部、一つ残らず、まったく、ウソ」[18]であると批判した。そして、同書が「『フィクション』ではなく『評論』」である以上、「解釈の違いは別にして評論の対象は実在しなければならない」にも関わらず「本書は作り話の上に成り立っている」ことから、「本書の価値はゼロどころかマイナス」[19]であると批判した[20]。
- また浅見は、『日本人とユダヤ人』及び山本の聖書に関する著書を取り上げ、山本は、自分でもよくわかっていないことを、わからないまま書き連ね、収拾がつかなくなると決まって「『読者にはおのずからお分かりいただけるだろう』というふうに書いて」[21]、よくわからないのは読者の頭が悪いからだと思わせるごまかしのテクニックを使っていると指摘した[12][22]。
- 浅見は他にも、あるホステルの主人が、ユダヤ人を「においで嗅ぎ分けた」という話[23]や、「関東大震災で朝鮮人が虐殺されたのは、体臭が違うからと語った老婦人」なども、山本がでっち上げた作り話だと断じた[24]。浅見はこの他にも、数多くの誤りを指摘している。
- 山本は、かつて田中角栄が有罪となったロッキード事件でコーチャン氏がアメリカ合衆国議会の公聴会で宣誓したか否かについて「キリスト教徒は誓わない」と断じて当時の宣誓文を翻訳した宗教学者佐伯真光の訳文を批判し、両者で激しい論争となった。その経緯は本多勝一編『ペンの陰謀』「佐伯/山本論争」[要ページ番号]に詳しい。
- 山本を絶賛する評伝を書いた稲垣武は、『怒りを抑えし者 評伝 山本七平』の中で以上の批判をまともに扱っていない。参考文献からは、山本を批判する文献はほぼ無視しており、批判したのが誰なのかも書いていない(例外として、本多と山本の共著の形になっている一冊のみ挙げている)。浅見についても、「落ちた偶像となった進歩的文化人らが、『日本人とユダヤ人』の著者と目された山本七平を、右翼・保守反動の権化と蛇蝎視し、特に同じキリスト教徒であるプロテスタント左派が、山本に悪意に満ちた攻撃を加え続けたのも当然であった」(前掲406ページ)と、名指しせずにプロテスタントである浅見を意識した非難をするに留まり、「悪意に満ちた攻撃」の内容については触れていない。
- 小室直樹は、『論理の方法』(東洋経済新報社、2003年)[要ページ番号]の中で、丸山真男の業績について論じているところで、「丸山教授の偉いところは、知識がそんなに少なくても大発見をしたところです。驚くべき大発見をしています。物事の本質を見抜く能力が凄い。その意味で山本七平氏もよく似ています。山本氏もそれこそ典型的な浅学非才の人。キリスト教の大家なんて言うのは嘘です。専門家と称する人が『聖書』の読み方が間違っているなどと言うのだが、あの人の偉いのはそんなところにあるのではない。ほんの僅かな知識で本質をずばりと見抜く。だから日本史なんて少ししかやらないにもかかわらず、崎門の学、山崎闇斎の学こそ明治維新の原動力になったということをはっきり知っている。」と述べている。
- 辛口の書評で知られた谷沢永一は、「昭和四十五年から六十二年まで、足かけ十八年間における山本七平の著作三十二冊から、その急所を引き出し、山本学の大筋を読者に眺めわたしていただきたいとひそかに願った」として書かれた著作があり、たとえば『「空気」の研究』について、“この「空気」というのはちょっとコメントをつけにくいが、言われたらいちどにわかることである。これを最初に持ち出した着眼はすごいと思う。日本人のものの考え方、意思決定の仕方に、もしエポックを見つけるとするなら、この『「空気」研究』が書かれたときではないか。」と述べている[25]。
- 山本は著書『空想紀行』[要ページ番号]で偽フォルモサ人のジョルジュ・サルマナザールが書いたとされる偽書『台湾誌』を紹介した。イギリス社交界でもてはやされた偽のフォルモサ人(フォルモサは台湾列島にあるオランダ人が領有した台湾とは別の島と主張)であるサルマナザールと、本当に中国で18年間布教をし極東情勢を知っていたイエズス会のファウントネー神父の真贋対決で、サルマナザールは縦横無尽の詭弁で勝利を得た。サルマナザールは極東情勢がほとんど伝わっていなかった英国で、イギリス国教会と対立するイエズス会が極東情勢を故意に隠蔽していると非難し、ファウントネー神父もその陰謀の片棒をかついでいるとするなどの詭弁を繰り返しているが、山本はこのときのサルマナザールの詭弁の論法を分析し、『対象そのものをいつでもすりかえられるように、これを二重写しにしておくこと。これは"フェロモサ"と"タイワン"という関連があるかないかわからない形でもよいし…』などと細かく分析し『以上の原則を守れば、今でも、だれでも、サルマナザールになれるし、現になっている。』と記述している。これについて原田実は、自らが偽ユダヤ人として活躍した山本の面目躍如たるものがあるとしている[26]。
- 自らを外国人と称し、発言に重みを増す行為はヤン・デンマン(斎藤十一)やポール・ボネ(藤島泰輔)なども行っていたとされる[要出典]。また、『醜い韓国人』の著者が韓国人ではなく日本人ではないかと言われた際にも、当時公然の秘密であったイザヤ・ベンダサンの事例が韓国側から提示され[27]、日本の出版界の体質が批判された。『醜い韓国人』は韓国人協力者はいるものの、韓国人なら当然知っているような事柄にも誤りがあり、ほとんどの内容は加瀬英明が書いたものとされている。
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