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健常者が障害者に向ける無理解や誤解と同じように、障害者が健常者に向ける無理解や誤解も存在することがわかるエピソードが話題に。

反応&感想

この話マジで難しいけどお互いを想像することが必要よなぁ
四時間も歩けるのは登山家くらい?
ワイは10分も歩いたら腰が痛い
小学生の頃「車椅子?ただ座って押して貰うのに疲れるの?」と無知故に思っていたが、車椅子体験をしたことで座位を保ったり手で動かしたりするのは疲れるんだと学んだ。同じように歩いたことなければ想像できない人もいるね…。
数年前に生まれつき目が不自由な方とお話する機会があって、「視えている方は視たものを全て記憶出来るはずなのですから“見間違える”なんて私には考えられないことです」と言っておられたのが凄く衝撃的ではあったですね…。
健常者側が障碍者に対して想像して接しろて言われるけど、障碍者が健常者側を理解しろとは教えられないし、車椅子持ち上げる大変さを想像する必要がなかったんだろうね
「体験出来ない事への理解は難しい」
確かに体感しないとわからないよな。
そう。分からないものは分からない。「想像すれば分かるだろ」という言葉がいかに横暴ということか。
障害に限らず、あまりに生きてきた前提が違うとお互い『常識の通じない我儘な人』に見えちゃうのってこういう事なんだなと思った。
双方に配られたカードに共通点が無いと想像する所にすら至らない事もあるし、知識で多少カバー出来るのもたかが知れてるから、丁寧なコミュニケーションも大事…
同じ車椅子のユーザーでも体幹を維持できないとか、ちょっと歩けるとか、排泄困難とか色んなバリエーションがあるので実際にどんな困難があるか聞いてみないと良くわからないし。生まれつき歩けない人は健常者がどれだけ歩けるのかも知らない人もいるだろう。お互いに会話していかないと何もわからない
知らないことを笑うよりも教えることでお互い気持ちよく過ごせそうだけど。なぜそう振る舞うようになったかの目線は忘れないようにしたいな
僕も彼らのことよく理解できてないし、彼らも僕のことをよく理解できてないってことをちょっとでもわかってればなんか見える世界が違ってきそうだね。