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弟子の曇林が伝えるところ[3]によると、菩提達磨は西域南天竺国において国王の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶。5世紀後半から6世紀前半の人で、道宣の伝えるところによれば南北朝の宋の時代(遅くとも479年の斉の成立以前)に宋境南越にやって来たとされている[4]。
北宋時代の景徳年間(1004 - 1007年)に宣慈禅師道原によって編纂され禅宗所依の史伝として権威を持つに至った『景徳伝燈録[5]』になると、菩提達磨は中華五祖、中国禅宗の初祖とされる。この灯史によれば釈迦から数えて28代目とされている。南天竺国香至[注 2]王の第三王子として生まれる[6]。中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行う。確認されているだけで道育、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗(りょうがしゅう、楞伽経にちなむ)と呼ばれた。
普通元年(520年)、達磨は海を渡って中国へ布教に来る。9月21日(10月18日)、広州に上陸。当時中国は南北朝に分かれていて、南朝は梁が治めていた。この書では南朝梁の武帝は仏教を厚く信仰しており、天竺から来た高僧を喜んで迎えた。武帝は達磨に質問をする。
帝問曰「朕即位已來、造寺寫經度僧不可勝紀。有何功德。」
師曰「並無功德。」
帝曰「何以無功德。」
師曰「此但人天小果有漏之因、如影隨形雖有非實。」
帝曰「如何是真功德。」
答曰「淨智妙圓體自空寂、如是功德不以世求。」
帝又問「如何是聖諦第一義。」
師曰「廓然無聖。」
帝曰「對朕者誰。」
師曰「不識。」
帝不領悟。師知機不契、是月十九日,潛回江北。— 『景徳伝灯録』巻三
帝は質問した。「朕は即位して以来、寺を造り、経を写し、僧を得度すること数え切れない。どんな功徳があるだろうか。」
師は言った。「どれも功徳はありません。」
帝は言った。「どうして功徳がないのか。」
師は言った。「これらはただ人間界・天界の小果であって、煩悩を増すだけの有漏の因です。影が物をかたどっているようなもので、存在はしても実体ではありません。」
帝は言った。「真の功徳とはどのようなものだろうか。」
答えた。「浄智は妙円ですが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。」
帝はまた質問した。「聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。」
師は言った。「この世はがらんどうで、聖なるものなどありません。」
帝は言った。「では朕と対座しているのは誰なのか。」
師は言った。「認識できません。」
帝はその意を理解できなかった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の19日にひそかに江北に帰った。
後に武帝は後悔し、人を使わして達磨を呼び戻そうとしたができなかった。
達磨は嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされている[7]が、これは彼の壁観を誤解してできた伝説であると言う説もある。壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のことである。これは後の確立した中国禅において、六祖慧能の言葉とされる『坐禅の定義』[8]などに継承されている。
大通2年12月9日(529年1月4日)、神光という僧侶が自分の臂を切り取って[注 3]決意を示し、入門を求めた。達磨は彼の入門を認め、名を慧可と改めた。この慧可が禅宗の第二祖である。以後、中国に禅宗が広まったとされる。[10]
永安元年10月5日(528年11月2日)に150歳で遷化したとされる[11][注 4]。一説には達磨の高名を羨んだ菩提流支と光統律師に毒殺されたともいう[12][13]。諡は円覚大師[14]。
神道は一般的に「宗教」とは呼ばれません。なぜなら、神道には明確な教義や経典、開祖が存在しないからです。
神道は、自然への畏敬と祖先崇拝を中心に、長い歴史の中で自然発生的に形成されてきた信仰体系です。そのため、「信じなければならないもの」が明確に定められていないのです。
一方、仏教は釈迦を開祖とし、経典に基づいた明確な教義を持つ宗教です。
神道は自然や人間、生命体など、宇宙に存在する一切のものを神格化し、お祀りしたり、信仰したりします。一方、仏教は「悟りを開く」ことを目指し、心の迷いがなくなり安らかな境地に達することを求めます。
神道には輪廻転生の概念はありません。死後、人は黄泉の国と呼ばれる死者の国へと旅立ち、そこで祖先と再び出会うと考えられています。
一方、仏教では輪廻転生を信じ、悟りを開くことで輪廻から解脱し、涅槃(ねはん)と呼ばれる理想的な境地を目指す考え方があります。
神道は生きている今(今中)を大切にした森羅万象や宇宙などへの信仰です。この世での生活を大切にし、自然と調和しながら充実した人生を送ることが重要であると考えられています。
一方、仏教は来世重視の宗教です。仏教では、「人生は苦」という根本的な教えから始まります。
無常、無我、非苦という三つの真理に基づき、老病死や人間関係の悩みなど、あらゆる苦しみは避けられないものであると考えます。また、仏教は、苦しみの根本的な原因を明らかにし、苦しみから解放されるための具体的な方法を示します。*4)
神道と天皇は、古代から深い関係にあります。天皇は、神道の神々、特に天照大神の直系の子孫とされ、国家の象徴として、また神聖な存在として尊重されてきました。また同時に天皇は、宮中三殿において全ての神々祀る神主の役割を果たしています。天皇が古代から行ってきた宮中祭祀を中心として「皇室神道」があります。
現代の天皇は、政治的な権力を持たず、象徴としての役割を果たしています。しかし、国家と国民の安寧と繫栄を祈る「宮中祭祀」を執り行うことは、今日でも天皇の重要な役目です。
神社は、日本固有の宗教である神道の神々を祀る施設で、全国に10万社以上あり、生活に密着したものになっています。
一般的に神社は神様の家とされ、参拝場所としての役割があります。多くの人は毎日の感謝の気持ちを伝え、また家内安全や無病息災、合格祈願といった願いをし、人々の心の拠り所となっています。
神社によって祀っている神が様々なことも神社の特徴です。高天原に住む神々(天津神)や土着の神々(国津神)だけでなく、歴史上の偉人、動物や自然、中には外国の神様を祀った神社もあります。
神社は色々な神様の家であると同時に、パワースポットや地域文化の継承地といった様々な側面があり、日本人のアイデンティティを形成しています。
【『日本略史 素戔嗚尊』に描かれた須佐之男命とヤマタノオロチ】
神道は日本の伝統と文化、そして人々の生活の中に深く根ざした信仰体系です。しかし、神道の起源は非常に古く、未解明のことや今なお研究中のことも多くあり、その本質や特性については、多くの人々がまだ理解していない部分があります。
ここでは神道についてのよくある疑問にお答えします。
神道は、一般的な宗教の枠組みには当てはまらないと考えられています。神道は、自然や祖先、そして日常生活に存在する神々を尊重し、感謝する信仰体系です。
神道には、一元的な神や教義、組織的な教会体制は存在しません。自然や祖先への畏敬の念に基づいた、長い歴史の中で自然発生的に形成された信仰体系と言えるでしょう。
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