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学習と教育

新しい物事を知る、理解できなかったことが理解できるようになる、というのはそれ自体が快感で、ものを学ぶ基本であると思うのだが、それが「テストのために覚えろ、テストのために理解しろ」となると、まるで面白くないどころか苦痛になる。
教育なんて、勝手に本を読ませて、子供が分からないところを質問しに来たら答えてあげるだけでいいと思う。
なお、私は「義務」というのが死ぬほど嫌いで、だから遊びだろうが何だろうが「予定」というのも嫌いである。それは、その時間に何かをする義務となるからだ。病的な自由人なのだろう。(もちろん、それではまともな社会生活を送れるわけがない。義務を最小限にすることで何とか対応して生きている。)


(以下引用)




学習塾とかの動画を見てると「こんなに面白い事実なのに、テストを解く為の教え方をしてるのって本当にクソだな」って思う。


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死の実相

斎藤茂吉は自身も医者だったが息子ふたりも医者なので、茂吉の臨終の様子が医者らしい冷静さで書き残されている。まだ七十歳だが腎臓病の持病のためか老衰が早く、ほとんど老衰死に近い死に方に見える。自分自身の死について考える参考になるかと思う。私が、死ぬなら即死したいと願う気持ちも分かるのではないか。


(以下引用)ネットで知った文書だが、大学の講義録か。出典名は冒頭に記す。長い文章の一部である。


文京学院大学外国語学部文京学院短期大学紀要 第9号(2009)



 柴生田稔の『続斎藤茂吉伝』では、次のようにいう。 昭和二十六年四月五日、私はやうやく外出できるようになって、九ケ月ぶりに茂吉宅を訪 れた。対面した茂吉は、すでに顔面の筋肉が弛緩して、別人のやうな風貌になってをり、 私は何とも言ひやうのない衝撃を受けた。(略) 私は幾度か大京町を訪れたのであったが、その間に茂吉の能力が、徐々にではあるが、確 実に低下しつつあることに気がついたのは、やはり言ひやうのない衝撃であった。私はで きるだけ茂吉を訪ねて色々質問し、茂吉の脳に働いてもらつたなら、あるいは能力をよ みがへらせることも可能ではないかととも、素人考へで考へてみたのであるが、結局さう 繁々と訪問することもできなかった。(略) 茂吉が、ほとんど口を利くのもおっくうにするやうになった頃の或る日、夫人が、以前は 机に向って何か彼にかしてゐたのでしたが、もう全く今は何にもしなくなりましたと、寂 しさうに語られたことを、私は忘れることができない。さうして、その時も茂吉は私たち の傍に茫然としてゐたのであった。おそらくそれより大分後に、私は強ひて茂太氏に願っ て、茂吉に会はせていただいたことがある。布団の上に物憂さうに横になった茂吉を一目 見た時、私はたまらなくなって、思はずその手首を堅く掴んだ。たちまち痛てい痛ていとういふ叫び声が挙って、茂吉は憎々しさうに私を睨みつけた(と私には思はれた)。これ が、茂吉の言葉を聞いた最後であった。30)  このように門弟は、茂吉の認知症の姿を公にすることに、抵抗感があり、ある程度の段階で 押さえている。柴生田は、茂吉の老いに愕然とし、いたたまれなかったのである。茂吉は、す でに門弟の柴生田であることを、認知していない。むしろ、医者である長男の茂太や、次男の 宗吉(北杜夫)が、茂吉の肉体的老いを医者の眼から、ありのままに冷徹に見つめ、その記録 を公刊している。  長男の茂太は自らの「病床日誌」で、1951(昭和26)年の12月9日に次のように記す。 父、このところ連日両便失禁あり。少しくapathisch。明日よりヴィタミンBC注射を再開 す。31)  Apathischとは、痴呆的という事である。1952(昭和27)年4月6日になり、茂吉は再び呼 吸困難の発作に襲われた。「病床日誌」に次のように記す。 午後九時五十五分、ゼイゼイという音に隣室の母が気づく。急に呼吸困難起りたり。十 時茂太かけつく。父は右を下にして、呼吸浅表。冷汗淋漓。直ちに、ビタカンファ二cc、 アミノコルジン一cc皮注。十時二十分、脈一三八、呼吸四一、口唇、指端チアノーゼ、 足先にもチアノーゼ。苦悶状、しっかり茂太の手をにぎる。枕頭には、母、私、美智子、 昌子、看護婦二名がいる。十時二十五分、綿棒にてのどの痰を取らんせしも、却って苦し がり中止。瞳孔かなり散大、対光反射あり。「寒くない、有難う」と云う。室温十七度。   (以下略)32)  また、次男の宗吉(北杜夫)は、昭和27年1月初旬の自らの「日記」に次のように記す。 正月帰省の折の父。ほとんど一人で歩けない。食堂まで手をひかねばならぬ。ツヴァング (強迫)的な笑い、なにかにつけ(おかしくもないのに)一分くらい笑っている。と思う と、腹を立てて何か言う。ゼニーレ・プシコーゼ(老人性精神病)みたいになった。僕た ちの話もあまり理解できぬようだった。33)  この症状は、精神医学では「感情失禁」と呼ぶもので、感情の抑制がきかない状態である。 さらに、7月21日には、次のように記す。 昨日見えた山形の重男(四郎兵衛の息子)さんが帰るとき、父は山形へ行くといってき かぬ。挨拶して握手して出て行こうとすると、玄関で「ちょっと、ちょっと」ととめる。 「靴を出せ」と言う。食堂にきてからも、「上野へ行く」などと言う。 食堂で坐っていて、そのままHarn(尿)をしてしまう。ときどき、「コラ、コラ」「なんだ、 なんだ!」と叱責するように言ったり、たまには憤怒の形をして「糞くらえ!」などとも いう。 机、柱、壁に掴まって辛うじて歩く。しかし、大声を出すので誰かが手をとると、その 手をぐいと掴む。父の手―白いうすい 444皮膚の下から血の色が浮かんで、なかなか色はよい。 爪は縦に長い。静脈が太く浮いている。汗ばんでじっとりしている。粘着力のある掴み方をする。 ゲニタリエン(陰部)の毛はほとんど白い。ホーデンはやっぱりゼンドウしている。そし て(サルマタはなし)尿臭。 目はひどくしょぼしょぼしてきた。ときどき薄く目を閉じて、そのまま上前方を見つめる ようにする。そして、目をひらいてそれをまたたかせる。34)   このように茂吉の記憶力は低下し、「手帳の置場所を幾度にても」忘れ、その姿を周囲にも 示した。  茂吉は、昭和28年2月25日に、心臓喘息のため亡くなった。享年、満70年9月であった。 次が、『つきかげ』に最後に収録された歌である。   いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも (『つきかげ』昭和27年「無題」)  茂吉は、戒名と墓を生前に用意し、死への準備は万全であった。戒名は、すでに昭和9年に 「赤光院仁誉遊阿暁寂清居士」と決めていた。52歳の時である。さらに、墓は昭和12年に「茂 吉之墓」とし、自ら書いた。師の伊藤左千夫の墓よりも小さくするように要望した。墓は分骨 して、郷里金瓶の宝仙寺と東京の青山墓地にある。













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所有権の起源


「泥棒という罪でさえ必ずしも普遍的な考え方ではないのだ。」

という言葉は、目から鱗が落ちるような気がする。我々は、自分のいる場所や時代の常識を「絶対的で普遍的なもの」と勘違いする傾向がある。
所有権というのは、その中でも根強いものだろう。我々は、それを原始時代から続く、あるいは文明の端緒から続く観念だと錯覚しがちだが、実は「権利」という観念すら古代には無かっただろう。物の蓄積が不可能だった時代には所有という観念も希薄だったはずだ。すべて、「今、その時その場にあるもの」を使用し、余裕があれば他者と共有するのが普通だったのではないか。だが、カネというものができ、「富の蓄積」が可能になったために、所有権という概念も発達したのだろう。土地など、所有するだけでは何も価値は無いのだから、アメリカインディアンが土地の価値を感じなかったのは当然だ。そして、白人に騙されてどんどん土地を失っていったのである。
大昔の中国の皇帝は後宮に美女を何千人も集めて「所有」し、その大半は一度も皇帝の顔を見ることすらないままに老いていったという。これが「所有権」の悲劇である。まあ、貧しい今の日本人なら、働きも何もせずに宮殿の中で死ぬまで遊んで暮らせるのだからむしろ幸福だろう、という見方もある。だがゲームもスマホも無い時代の話だ。待遇のいい家畜と言っていい。



大童 澄瞳 SumitoOwara @dennou319 11月30日

泥棒という罪でさえ必ずしも普遍的な考え方ではないのだ。これは最終的には神の話になったりとする古い哲学や社会学を読んだときに「ん」と思うのと同じだ。倫理の物差しも疑うべきとおもうのだが。


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死に方の選択

例の「人生会議」ポスターの件で、いい思考テーマを与えられたのでここで「死に方の選択」という問題を考えてみたい。
ほとんどの人間は「生き方の選択」は人生の節目節目で否応なしに考えさせられるが、「死に方の選択」は、これから自殺しようと思っている人間以外はあまり考えないだろう。だが、ここで言う「死に方の選択」とは、自殺方法の話ではない。自殺も含めて、「自分はどういう死に方をしたいか」ということを予め考えておくのもいいのではないかという、まさに前回記事で私が嘲笑した「人生会議」が提言していることそのものかもしれない。あのポスターは糞だし、厚労省が税金の無駄遣いをしているのも確かだが、その提言は悪くないし、ポスターやプロジェクトなど作らなくても提言だけで十分な話である。

あなたが、自分の死に方が選択できるなら、あなたはどんな死に方がいいか。

下級国民として一生奴隷暮らしで生きるくらいなら、戦場で討ち死に斬り死にしたいと、若者なら考えるだろうが、それには外国の傭兵になるか、日本が憲法改正して憲法九条を無効化する必要がある。自殺志望の若者のために国民全体を不幸のどん底に陥れるわけにはいかない。
まあ、ここでは、神か悪魔があなたの前に現れて、「お前は自分の死に方を自分で選んでいいぞ」と言ったという前提での空想だ。だが、それは自分の死を予め考える、なかなか貴重な思考実験だろう。
もちろん、一番いいのは突然死である。何の恐怖も不安も無いままに死ねるのだから、それが一番(当人にとっては)幸福な死に方だと多くの人が認めるのではないか。
そういう意味では、飛行機事故や電車事故や自動車事故の被害者になるというのは、案外「いい死に方」だと私は思う。ただ、周囲を巻き込むことが多いから、それよりむしろ、冬の凍った路上で滑って転んだ拍子に固い地面に頭を打って死ぬという間抜けな死に方も、「いい死に方」だろう。昔、職場の同僚が酔っ払って駅の階段から転落して死んだが、若い身空で死んだのは気の毒ではあるが、死に方としては、今にして思えば「いい死に方」である。ちなみに、死後の周囲の評価や迷惑云々はここでは問題外とする。あくまで、当人にとっての「幸せな死に方」である。
普通の人間は、ほとんどが病死する。老衰死(自然死)するまで生きられるのは稀だろう。老衰したあと、たいていは何かの病気で死ぬのである。そこで、あなたはどういう病気で死にたいか、というのを考えてみるのは、非常に現実的な問題かと思う。

1)疫病、あるいは急性疾患
2)慢性病

の2つに大別されるかと思う。(ただの思考実験なので、もちろんいい加減な分類だ。)
疫病や急性疾患で死ぬのは、ほとんどの場合は自分で選ぶものではないが、実は「慢性病で死ぬ」は自己選択できる(不養生をするか、治療を拒否する。)のである。これは神頼みや悪魔頼みしなくてもいい。
その中で、現代人に多いのは

1)癌
2)高血圧由来の「脳卒中」など
3)糖尿病(由来の臓器異常)

の3つではないか。私の父は2)で死に、母は3)で死んだが、どちらも急死である。つまり、病院での闘病生活はまったく無かった。これは本人たちにも家族にも幸福だったと思う。まあ、私以外の家族がどう思っているかは知らないが、本人たちにとっては「幸福な死に方」だったと私は思っている。つまり、死への不安や恐怖に苛まれることもなく「頓死」するのが「いい死に方」だという私の前提で考えれば当然そうなるわけである。
いや、もちろん、致死性の病気の長い闘病生活の中から、目の前の死を見つめ、精神の高みに上る人々もいるだろうが、それは非常にまれな例外だろうと私は思う。
どんなに生命の残りが少なくても、ベッドで寝た切りのまま数少ない日数を生きることで人生の幸福を実感する、という例もあるかもしれないが、そういうことなら、別に病人になる前に「何もなくても、何もできなくても、周囲に存在価値を認められなくても、自分は生きているだけで幸福なのだ」と思えばいいのである。つまり、闘病生活それ自体に何かのメリットがあるのではなく、一部の人間はそういうことを「機会」「機縁」として精神を高める可能性もある、ということだ。
だが、ほとんどの人にとっては「目の前の死」は直視しがたい、恐怖や不安の対象である。
ならば、即死が一番「いい死に方」だと私は思うわけで、それなら、「癌よりはうまく即死できる可能性が高い」脳卒中がいいかなあ、とだいたいは思っているのだが、時々、血圧が200を超えたりすると不安になるのが、まさに凡人の凡人たるゆえんだwww

なお、通常血圧は「年齢+90」程度で安定しており、なぜか1か月に一回、2、3日ほど180を超える数値が出るのだが、その原因は不明だ。ある種の周期性があるのかもしれず、あるいは狼男が満月だと狼になるようなものかwww









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鎖国と徳川幕府

「ネットゲリラ」の、珍しく(もないか)学術的な記事なのだが、ゲリラ氏の広汎な教養が思わずにじみ出てしまい、日ごろのふざけぶりが仮面のひとつであると分かる。まあ、もともと人間は社会に対応する時は幾つかの仮面を使い分けるものだ。
それはともかく、江戸幕府の「鎖国」を、海外からの侵略を防ぐためのものだというのがこれまでの一般的理解で、私も、深く考えないままにそう思っていたが、下の記事の説のほうが正しいだろう。
江戸幕府とは要するに「徳川家」第一という政府であり、「世界」に対する「日本」という視点はほとんど無かったと思う。
幕藩体制とは、徳川家以外の大名から徳川家をいかにして守るか、ということを中心とした体制なのである。それは分かっていても、「鎖国」の話となると、その視点が抜け落ち、「外国対日本」という視点でしか見られなくなるのは、「何かを見ると、他のものは見えなくなる(考えなくなる)」という人間性の根本的欠陥の表れだろう。
だから、こういう「目を開かせる」指摘は大事なのである。


(以下引用)




「鎖国」というか、「海禁令」なんだが、日本の場合は特に、地方が孤立していて中央政府のコントロールが効かないので、窓口を1ヶ所にしてしまったというのが正確なところで、そうしなければ武装解除が出来ない。既に銃砲が戦闘で実用化されていた時代、徳川幕府が日本全土を支配するためには、諸大名の武装解除がなければ始まらない。

 豊臣秀吉が改易を考えつき、徳川家康が踏襲したのですが、鎖国をして貿易をしなければ、徳川幕府に勝つ大名はいない。
 ところが、各地の大名が海外と貿易を始めてしまったら、あっというまに彼らが金持ちになってしまう。たとえば、仙台の伊達氏や福岡の黒田氏は、海外との交易に興味津々でした。
 徳川幕府としてはその焦りがあったと僕は思います。

特に、火薬の原料となる「硝石」が戦争には欠かせず、各地の大名が勝手に貿易をして硝石を手に入れていたのでは、平和が保てない。

中国内陸部、スペイン、イタリアのような南ヨーロッパ、エジプト、アラビア半島、や西アジアのイラン、インドなど乾燥地帯では、天然に採取されている。一方、北西ヨーロッパや東南アジア、日本のような湿潤多雨な地域では天然では得がたく、おもに人畜の屎尿を原料にして、バクテリアによる酸化による生成を人工的に導く生産方法が工夫された。
ドイツやフランス、イギリスのような北西ヨーロッパでは、糞尿が浸透した家畜小屋の土壁から硝石を得ていた。また、東南アジアでは、伝統的に高床式住居の床下で鶏や豚を多数飼育してきたため、ここに排泄された鶏糞、豚糞を床下に積んで発酵、熟成させ、ここから硝石を抽出したほか、熱帯雨林の洞穴に大群をなして生息するコウモリの糞から生成したグアノからも抽出が行われてきた。
また、何十年かたった古民家の床下の土を集め、温湯と混ぜた上澄みに炭酸カリウムを含む草木灰を加えて硝酸カリウム塩溶液を作り、これを煮詰めて放冷すれば結晶ができる。この結晶をもう一度溶解して再結晶化すると精製された硝石となる。この方法を「古土法」といった。

日本は硝石が得にくい地域で、輸入に頼っていたんですね。それをせっせと売りつけていたのが、スペイン、ポルトガル。その当時は黒色火薬しかなくて、黒色火薬は「硝石、硫黄、炭」で出来る。硫黄と炭は、日本でも生産出来るが、古土法の硝石では非常に少量の火薬しか作れない。南蛮貿易でもっとも大事な品目は硝石です。これを独占すれば徳川の世は安泰だ。




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本を読んで「分かった気になる」危険性

これは、読書の危険性を鋭く突いている。以前に書いた「本に読まれる」という奴である。
ショーペンハウアーは「読書について」というエッセイの中で、「読書とは自分の頭を他人の運動場にすることである」と書いていて、私はそれを自分の戒めとしているが、それでもおそらく「本に読まれている」ことは多いと思う。まあ、あまりに批判的な姿勢で本を読むと読書の楽しみが無くなり、読書の意義も無くなるから、「本による」ということになるが、その基準として「自伝や啓発本」には気をつけろ、というのは非常に正しい指針になると思う。
私は高校生くらいのころにデール・カーネギーの啓発本(「人を動かす」など)を読んで感心したが、この本を読んでも億万長者のカーネギー(「カーネギーホール」を作った人である。デール・カーネギーとは別人。)になれるとは限らない。そもそも、何よりカネが好きでないと億万長者にはなれないwww
ただ、その本の中に引用されていた「黎明への挨拶」という詩は非常にいい詩だな、と今でも思っている。後で追記するかもしれない。

125: 風吹けば名無し 2019/11/18(月) 15:48:59.18 ID:b/cBF7B40
イチローは特に自伝や啓発本は嫌いらしい
それらを読むと自分が経験していないのにわかった気になってしまうのが気持ち悪いって言ってた
正直割とわかるわ

176: 風吹けば名無し 2019/11/18(月) 15:56:15.18 ID:rNxlP6D2d
>>125
わかるわ

143: 風吹けば名無し 2019/11/18(月) 15:52:25.15 ID:1hAow5TXa
>>125
よく馬鹿にされてる意識高い系になるのが嫌ってことやろな
Twitterによくいるタイプの

129: 風吹けば名無し 2019/11/18(月) 15:49:36.95 ID:6+l2mflfM
イチローが他の選手と圧倒的に違うのは

野球してない時にも魅力を感じる所

ただ喋ってるだけで見てられる

そんな人間 野球以外のアスリートでもいない


(再掲載、つまり自己引用)


黎明への挨拶

なぜかしら、昔読んだ詩の一節を思い出したのだが、その正確な内容をネットで調べると、これがデール・カーネギーの本に引用されたものであったことが分かった。もちろん、私自身デール・カーネギーのその本で読んだのだろうが、訳し方が私の記憶の中のものとは少し違う。
詩はインドの作家カリダサ(カーリダーサ)の「黎明への挨拶」である。その後半部分が特に好きなのだが、現在の訳は今一つ好きになれない。
もうほとんど覚えていないので、現在の訳を元に、私が少し変更したものを先に書き、その元になったものを後に転載することにする。





「黎明への挨拶」後半


昨日は夢にすぎない。
明日は幻でしかない。

だが精一杯に生きた今日は
すべての昨日を幸せな夢に変え
すべての明日を希望に満ちた幻とする。

だから、今日という日を見つめよう。
これが私の黎明への挨拶である。












(参考とした訳)


昨日は夢にすぎず
明日は幻でしかない
精一杯に生きた今日は
すべての昨日を幸せな夢に変え
すべての明日を希望の幻と化す
だから目を開こう、今日に向かって!
黎明への挨拶はこれだ。



























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動物への愛情と自分の主観の押し付け

別ブログに書いた記事だが、動物を擬人化して捉え、かえって矮小な存在にする考え方への批判である。


(以下自己引用)



動物が悩みを持たない理由



私は理屈がすべてだとは思わないし、むしろ理屈は単に説明手段だとしか思わない人間だが、下のようなセンチメンタルな考え方には少し嫌悪を感じる。「猫(あるいは動物)は生きることをあきらめない」というのは、猫(動物)の心理が自分には分かる、という非常に図々しいと言うか、僭越そのものの思想だと思う。
私の考えでは、動物には死という概念は無い。あるのは、目の前の危険な存在(敵)と戦う、あるいは逃げるという本能だろう。つまり、未来を考えることは無い。したがって、老衰や病気への恐怖は無い。何かに対して不平や不満の感情があったとしても、それも一瞬のことだ。つまり、動物は現在のみに生きている。それを見て「猫は生きることをあきらめない」と言うのは、自分の主観を勝手に動物に投影しているだけであり、この種の発言や発想は「自分の主観を勝手に他者に投影し、自分の考えの証拠にする」という、非常に危険なものだと思う。
まあ、こういう人は童話などを書くのに向いた人だろうと思うが、危険な洗脳者になる可能性も高いタイプだと思う。

動物は死を知らないのだから、死と戦いもしない。だから死ぬまで平和だ。それは「生きることをあきらめない」という人間的な俗情とはまったく別のものだろう。

現在のみに生き、つまらぬ悩みを持たない動物のこのような生き方は、人間の高僧にも似ている。特に、死ぬ際の姿は、たいていの人間より崇高な感じすらする。
ということで、この記事は「現代倫理学」の項目に入れておく。



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15才のターボ、突然歩けなくなり末期の脊髄腫瘍で余命1ヶ月と宣告されました。最初は戸惑っていたターボも直ぐに障害を受け入れ、食欲も落ちず、最後は寝たきりになりましたが、同居の猫たちに囲まれ眠るように3ヶ月後に亡くなりました。猫は最期まで生きることを諦めません。

















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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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