体制側にいること、権力擁護側にいることは、ほとんどあらゆる面で利益が得られるが、逆に体制批判者でいることはあらゆる面で不利益になる。
では、なぜ体制批判者でいることを選ぶ人間がいるのか。それは、権力による悪がのさばるのが許せず、権力の飼い犬である生き方を汚らわしく思うからである。
どんな利益が得られようが、自分自身が汚物になるような生き方を選ぶことはできない、という人間もいる、ということだ。それは経済合理性から言えば「賢くない」生き方だろう。しかし、人生は経済だけで満たされているわけではない。何よりも大事なのは、「気持ちのいい」生き方をすることだ。
勝海舟の「氷川清話」の中に、「気が飢える」(「飢」の漢字は別字だが、「飢」と同じ意味だろう)という言葉があるが、自らに恥じる生き方をしていると「気が飢える」のである。体と同様に、気も飢えるのだ。この「気」を「正気(せいき)」と言う。
御用学者や御用マスコミ人として生きれば、経済的報酬は大きいだろう。そのほかにいろいろ社会的な便宜も得られ、高い地位も得られるだろう。だが、あなたたちは、自分の気が飢えているとは感じないだろうか。
(以下引用)
fromdusktildawn @fromdusktildawn ·
では、なぜ体制批判者でいることを選ぶ人間がいるのか。それは、権力による悪がのさばるのが許せず、権力の飼い犬である生き方を汚らわしく思うからである。
どんな利益が得られようが、自分自身が汚物になるような生き方を選ぶことはできない、という人間もいる、ということだ。それは経済合理性から言えば「賢くない」生き方だろう。しかし、人生は経済だけで満たされているわけではない。何よりも大事なのは、「気持ちのいい」生き方をすることだ。
勝海舟の「氷川清話」の中に、「気が飢える」(「飢」の漢字は別字だが、「飢」と同じ意味だろう)という言葉があるが、自らに恥じる生き方をしていると「気が飢える」のである。体と同様に、気も飢えるのだ。この「気」を「正気(せいき)」と言う。
御用学者や御用マスコミ人として生きれば、経済的報酬は大きいだろう。そのほかにいろいろ社会的な便宜も得られ、高い地位も得られるだろう。だが、あなたたちは、自分の気が飢えているとは感じないだろうか。
(以下引用)
fromdusktildawn @fromdusktildawn ·
私の場合、日常の仕事でも生活でも慰安婦のことが話題になることは皆無なんだけど、テレビでも新聞でもネットでも慰安婦の話題をよく目にするのはなぜなんだぜ。この落差はなんなんだ?
元歴史学研究者の人と話してたら、歴史学研究は予算が出なくて苦労するんだけど、近隣諸国との歴史認識で国益になる歴史学研究には予算が出やすいんだとか。政治家はアカデミック予算を操作することで、歴史認識を操作しようとしてるんだなぁ。
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