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救われた命の背後にある救われなかった無数の命

「ログミー」というサイトから、或る記事の一部を転載。
ある医師が、ミャンマー人の難病の子供を、自費で救ったという美談なのだが、その記事の途中にあった、下記引用部分が印象に残ったので転載した。
病院の事務から「500万」だ、と言われた医療費が、院長の鶴の一声で「原費(実費のことか?)」だけでいい、となったのは、身内(医者同士)へのエコヒイキであり、病院から言われたとおりの費用を払わされている他の患者やその身内から見たらおかしな話だとなるのではないか。それとも、日本は縁故社会だから、それで当然だ、と何の不満も持たないのだろうか。
さらに、「原費(実費)」が30万円の治療に対し、500万円が請求されるというのは、その大半は医者の技術費としての支払いになるのだろうが、それにしても原費(実費)と請求金額との差があまりに大きくないか。難病だからそうなのか、どの病気でも原費(実費)と請求金額の差はそんなものなのか。昔から「薬九層倍」と言って、薬の値段は暴利の代表と見られているが、医療費全体がそうだろう。まあ、医者になるのに金がかかるから、その分を回収しなければならない、という医療の土台そのものに大きな問題がある、と思う。ひいては、医師になるのに国家の認可が必要だ、という根本をも疑うべきだと私は思っているのだが、この問題はあまり深く考えていないので、そのうち考えてみたい。
まあ、一人の子供の命を自腹を切って救ったのは美談だが、経済的に治療不可能と最初から無視されて救われなかった子供の命が無数にある中で、こうした美談がどういう意図で書かれたもので、どういう効果を持つのかを考える私はただのひねくれ者かもしれないが、政治の貧困による子供の死(大人ももちろんそうではあるが)全体を救うのが本当は当然であり、それは実は医療費の高額さによって阻まれているということが、この記事には隠れてしまっている、と私には思われる。
まあ、感動的な話、泣ける話が好きな人には美談の揚げ足を取るようなこういう私の言葉は憎憎しく聞き苦しいだろうが、私は救われた一つの命の話の背後にある救われなかった無数の命がどうしても見えてしまうのである。



(以下引用)

自腹覚悟で、日本の大学病院にて手術を敢行

自分は今まで医療をやってきて、この子を見捨てて、例えば1年後、2年後にたくさんの人たちを迎えても、なんか意味あるのかなと思ったんです。それは、現地の患者たちのためには意味があるかもしれない。だけど、僕の人生にとって、それは意味あるのかなと思ったんですよ。


それでたくさんの日本人、一緒に行ったスタッフが数人いて、そして現地人の人たちも、もうそろそろ帰るんだろうなと思っていた時に、僕は後ろ振り返りましてですね、こう言ったんですね。「今から、みんなの力を貸してほしい」と。今やっているその150キロ離れた場所の医療活動を僕はいったん停止したい、と言ったんですよ。


今からこの子どもを助けるために、みんなで動かないかと言いました。お金は無い。無いのはわかっていると。だけど、無いのはわかっているんだけど、お金はまた働けばいい、僕も日本で働く。だからこの子をとにかく助けようじゃないか、と言ったんです。


それから1人1人ビザの交渉をする係、日本政府の大使館にビザを交渉する係、パスポートをミャンマー政府に頼む係、日本の病院にあたる係と分かれまして、全員が動き始めたんですね。そして日本政府は、すぐにビザを出してくれました。普段出さないんですけど。そしてパスポートセクションのミャンマー人たちも、軍人たちもみんな協力してくれまして。この子の話をすると、そしてあっという間に準備が整って、日本へ連れて行くことができました。


けれども飛行機会社は乗せてくれませんから、この子を赤ちゃんみたいに身ぐるみ包んで、寝たふりさせて飛行機の中へ突っ込んだんですけれども。そして日本の国立病院で、僕が小児外科を学んだ病院ですが、ちょうど小児外科の僕の恩師が院長をしていたので、そこへ話に行って、そして、この子の手術を敢行しました。


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これ、手術のあとです。帰るときですよ。この恩師に僕が呼ばれるんです、食堂に。日本でこんな手術したら何百万とかかるじゃないですか。(手術の)途中で事務の人が僕のところへ来て、言わなくていいのに「500万過ぎました」とか言うんですよ。それでも、僕はもういい。覚悟はできているから、いくらでもいいなと思っていたんです。


そしたら最後、院長に呼ばれまして、「吉岡、おまえいくら払える」と聞かれたんです。僕はいくらでも払うつもりだったから、「いいですよ、いくらですか」と言ったんです。「いくらでもいいです」と言ったんです。そうしたら、「いや、いくら払える」と。


「ご飯を好きなもん食べろ」と言われたから怪しいなと思っていたんですけれども、何回も「じゃあいくら払える」と言うから、「いくらですか」と逆に聞いたんです。そしたら指3つたてられたんですよ、じゃあこのぐらいでどうだと。僕は途中で500万と聞いていたから、えらく負けてくれて、300万に負けてくれた、と喜んでいたんです。そして「300万ですか?」と言ったら、「いや30万でいい」と言われたんです。


続けて僕の恩師がね、院長ですけど、「吉岡、ここの病院には600人、700人の人間が入院しているから、子ども1人分ぐらいの食糧は余る。そしてCTスキャンを動かすことは、テストでも何回もやることだ。この部屋も、僕の裁量でいつでも無料にする子どもたちがいる。だからお前が払わないといけないのは、かかった原費だけでいい、それだけでいい」と言ってくれたんですね。


そして30万だけいつ払うかと言われたから、「今すぐに払います」と言ってすぐに払いました。あとで値上げされたらかなわないので、それで払ったんですけれども。

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