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「実践理性批判」批判(2)

1:純粋実践理性(reine praktische Vernunft)は、経験(Erfahrung)からは独立して意志(Wollen)を規定する普遍的な道徳法則をわれわれに与える。すなわち、「汝の意志の格律(Maxime deines Willens)がつねに普遍的立法の原理(Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung)として妥当しえるように行為せよ(sollen)」(定言命法(der kategorische imperativ))。カントはこの定言命法が自由(Freiheit)の表明であるという。


2:思弁的理性は、実践理性の理念が感情に与える影響に対しては理由を示しえない。



(考察)

1:2で言う「思弁的理性」と「実践理性」の定義が不明だが、「純粋実践理性は経験からは独立して意志を規定する普遍的な道徳法則をわれわれに与える」としている。要するに実践理性とは「信仰(宗教)」である、と言えば単純だが、この段階ではそれを隠しているようだ。いったい、この「純粋実践理性」は「誰の」理性だというのか。「経験から独立している」以上、我々自身でないことは明白なようだ。(人間には経験から独立した認識は「表象」以外には存在しない。)つまり、純粋理性(思弁的理性)では論証不可能な「何者か」の命令を聞くことが、我々にとっての「自由」だと言っているようだ。主人の命令を聞くことが奴隷にとっての自由だ、と言っているわけだ。(笑)

2:実践理性(信仰)の「支配領域」は思弁的理性の支配領域とは異なり、「感情」の分野だ、ということだろう。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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