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「こがね丸」7



                7



<朗読>



 鷲郎に助けられ黄金丸はやっとのことで棲み処に帰りつくことができた。だが、大男に棒で仮借なく打ち叩かれた傷は重く、耐え切れぬほど痛んだ。黄金丸の右前足の骨は、我が子を倒された恨みが籠められた大男の渾身の一打に砕かれ、生涯、身体の不自由を負い暮らさねばならぬことを覚悟せねばならぬような有様であった。



 「私がこのまま身体に障害を持つ犬になってしまったら、積年の宿願をいつ叶えることができよう、否、できはせんだろう。折角、天の恵みで仇の片破れを目の当たりにしたにもかかわらず、取り逃がした上、経緯はともかく、身体を不自由にし、大願を叶えられぬようになったなどということでは、無念を超えて慚愧に堪えぬ。文角義父さんに合わせる顔がない」



 黄金丸は受けた傷の痛みもさることながら、叶えねばならぬ宿願を成就できない身になるやもしれぬ無念に甚だしく心を痛め、歯ぎしりをしながら悲嘆に暮れて口走った。黄金丸の苦悩に満ちた独白を聞いていた鷲郎は、黄金丸の心中の憂いを推し測り、同情の余り黄金丸と共に無念の涙に暮れるのであった。



 「そう嘆き悲しむな、黄金丸。世の中にはな、『七転び八起き』という諺があるではないか。安静にして養生すれば、お前のことだ、早晩その傷も癒え、その後再び腕を磨き直せば、必ずや、お主と俺、吾らの大願も成就する日が来るであろうよ。俺はお主の身辺におるから、何の心配もいらぬ。大丈夫だ。大船に乗ったつもりでおればよい。よいか、とにかく今は心をしっかりと持って、傷を癒すことが先決だ」



 と、鷲郎は弱音を吐く黄金丸を叱咤する傍ら、激励して気を引き立てながら甲斐甲斐しく世話をした。だが黄金丸の傷は一向に快方へと向かう兆しがない。鷲郎はそんな黄金丸を介抱しつつ、何とかしてやろうにもどうにもならぬという無力感も手伝い、少なからず焦りを抱き始めるのであった。



 ある日のこと、黄金丸だけを寺に残し、鷲郎は食糧を得るために昼前から狩りに出た。ちょうど初冬の頃で、小春日和の空はのどかで、庇から漏れ来る日差しはほかほかと暖かであった。黄金丸は体を起こすと、伏せっていた床を這い出し、陽の当たる縁側の端に坐り、一匹、物思いに耽っていたときのことである。やにわに天井裏から物音がすると、助けを求める鼠の声がけたたましく聞こえてきた。暫くすると、一匹の雌鼠が破れた板戸の方から黄金丸の傍らへ逃げて来るや、座って組んだ後ろ足の間に潜り込んだ。そしてそこから顔を出し、助けを求めるように黄金丸の顔を見上げた。黄金丸はこの雌鼠をかわいそうに思い、左前足の脇の下に挟んで庇ってあげた。さて、この鼠はそもそも誰に追われここに逃れて来たものであろうやと、やって来た方向をきっと睨むと、板戸の陰に身を忍ばせてこちらを窺う一匹の黒猫がいた。この黒猫を見て黄金丸ははたと思い出した。



 「あ、こやつ!」



 過日、鷲郎とあの雉子の所有権を相争った時、二匹の闘いの隙に乗じ、当の雉子をかすめ捕ったあの黒猫ではないか。黄金丸はそれを思い出すや怒りがこみ上げ、病み伏せていた身体のことも忘れ、雌鼠をそこに置くや、板戸の陰に隠れている黒猫に向かって一っ飛びに食いかかった。雌鼠を狙い黄金丸への警戒を怠っていた黒猫は大いに慌てふためいて、板戸の脇の柱に大慌てで攀じ登って逃れようとした。黄金丸は逃げようとする黒猫の尾を咥え床に引きずり降ろすや、抵抗する黒猫を組み伏せ、その喉笛を咬み裂いて、一瞬にしてその息の根を止めた。



 黒猫を成敗して興奮冷めやらぬ黄金丸の前に、かの雌鼠が恐る恐る這い寄って来た。そして黄金丸の前に正座をすると、丁寧に前足を仕え、何度も何度も頭を垂れてこう言った。



 「危ないところを匿って助けていただきました上、ましてや、この猫までをも成敗していただきましたこと、何と申し上げてよいやら言葉もございません。ただただ重ね重ね御礼申し上げるばかりでございます」



 と黄金丸によって生き長らえた喜びとその恩を謝するのであった。黄金丸は雌鼠の真摯な態度と言葉を聞いて、にっこりと笑みを湛えると、



 「あなたはどこにお棲まいか?この黒猫は何故あなたを襲おうとしたのですか?」



 と、尋ねた。雌鼠は正座していた膝を少しばかり黄金丸の方へ躙り寄せてこう言った。



 「はい、お訊ねとあらば、殿様、どうぞお聞きくださいまし。私は名を阿駒(おこま)と申します。この天井裏を棲まいとする鼠でございます。殿様に討たれたこの黒猫は烏円(うばたま)と申しまして、この近辺を縄張りにした破落戸(ごろつき)の野良猫でございます。以前から私に目を付け、想いを寄せ、道にはずれた関係を持とうと強要したのでございます。私には定まった夫がありますので、いくら想いを寄せられてもそれを承知するわけもなく、ただ知らぬふりをし、言い寄られ、付き纏われする度に諦めさせんとつれなくしつつ、ことあるごとにならぬことととてたしなめておりました次第でございます。私からはこのように好意のないことを表したにもかかわらず、この猫は私のことをどうしても諦めることができなかったのでございましょう。先ほど、私ども夫婦の巣に忍び入り、私の夫を無残にもかみ殺したのでございます。そして私を連れ去り、手籠めにしようとしたのです。私はこのままでは我が身も終わり、と余りの恐ろしさに逃げ惑っていたのでございます。とはいえ、兎にも角にも私事にて殿様のお休みになられている枕部をお騒がせいたしましたご無礼の罪、何とぞお許しくださいませ」



 と、目に涙を一杯に溜めながら話をして聞かせた。黄金丸も



 「それはかわいそうにな・・・」



 と言って雌鼠を慰めて、息絶えた烏円の屍を蔑んだ目で見下しながら、



 「こやつ、心底けしからぬ猫であった。こいつはな、阿駒。過日、私が手に入れた鳥をかすめ取ったことがあってな。私もまた、そなたと同じく忘れ得ぬ遺恨を持っておったのだ。年来積もった悪事に天罰が降り、今、その報いを受けてこういう有様になった。私にとっては溜飲の下がる、実に小気味の良いことだ」
と黄金丸が阿駒に物語っていたところへ、狩りで捕らえた小鳥を二三羽咥えて鷲郎が帰った来た。息絶えた黒猫の傍らに佇む黄金丸と、その前に正座する雌鼠がいる有様を見て、鷲郎は、



 「何事があったのだ、黄金丸」



 と尋ねた。黄金丸は事の顛末を洗いざらい鷲郎に語った。それを聞いて鷲郎は事の経緯と成り行きに黄金丸に大いに義も理もありと、黄金丸の成敗を褒め称え、こう言った。



 「ははは、そうか、黄金丸。このような手柄を立てるとはな。うん、お主の身体の傷が完治するのもそう遠いことではなかろう」



 などと言って共に喜びを分かち合った。ほどなくして二匹は、鷲郎が持ち帰った獲物の小鳥と烏円の身体を引き裂いて、その肉を欲しいままに腹に収めた。



 これ以来雌鼠の阿駒は、黄金丸に助けられ生き延びられたことを恩義に感じて、明け暮れ黄金丸の側に傅いて、何くれとなくまめまめしく働いた。黄金丸は恩義を忘れず誠実に努める阿駒の厚意を嬉しく思い、情け深く暖かい心で接していた。さて、もともとこの阿駒という鼠は、とある香具師に飼われていたもので、さまざまな芸を仕込まれ、縁日の見世物に出されていた身であったが、故あって、香具師の小屋を抜け出、この古寺に流れ着き棲み付いたのであった。そういう芸のある阿駒であったから、折につけ黄金丸の枕部に来ては、うろ覚えの舞の手振りをやって見せたり、綱渡りや籠抜けの芸などをして見せた。また昔取った杵柄で、腕は確かではないが音曲を奏でもした。黄金丸は阿駒の見せる種々の芸を楽しみにするようになり、そのお陰で重い傷の痛みも忘れることができたのだった。

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