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昇る太陽 3

     参

 藤吉郎に縁談が持ち込まれたのも、彼の名が売れ始めたことの証明だろう。相手は、大した家柄ではないが一応は武士であり、素性不明の藤吉郎から見れば破格の出世とも言うべき相手である。藤吉郎はその縁談を承知した。相手の娘の器量は十人並み以下といったところであり、美女好みの藤吉郎の好みに合うはずはなかったが、この結婚によって彼は正式な武士となり、一応の確固とした格式が得られるのである。
 相手の娘から見ればこの結婚はとんだ災難とでもいうべきだろう。世の中に男は数あれど、よりによってこんな猿みたいな男と結婚しなくてはならないのだから。
 しかし、親の言いつけに逆らうほどの気持ちも無く、結局は結婚することになった。その事を後では満足に思いもしたはずだ。すなわち、後の北の政所こと、ねねである。
 相手の男、藤吉郎は、実際会ってみると、案外優しく、また、他の男にはない何かを持っていそうでもあった。
「わしみたいな男と一緒になって、残念だと思っているだろうな。いや、隠さんでも良い。わしが女なら、わしだってそう思う。しかし、わしが他の男に及ばんのは、この見かけだけだ。中味は誰にも負けん。頭は負けんし、度胸だってある。望みも高い。わしと一緒になったことを、けっして後悔はさせんからな」
 そう言って、藤吉郎はねねを抱いた。ねねは男のその言葉に何とも言えない思いやりを感じて、初めてこの結婚を良しとした。

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昇る太陽 2

     弐

 彼が織田家の末端の家来となったのも、お市の事が動機の一つだった。何となく、そこにいれば彼女との縁がありそうな気がしたのである。彼が信長の将来性を高く買っていたわけではない。人の評判では、若い頃はどうしようもない阿呆であったが、斎藤道三の娘を嫁に貰ってからは、人が変わったようになったという。と言っても、部下に対してえらく厳しい主人であるらしく、あまり良い評判は聞かない。どうしようもない癇癪持ちで、近臣の者を斬ったことも二、三度では済まないらしい。その一方では能力のある人間は下の者でも家柄に関係無しにどんどん取り立てるという話もある。長所短所それぞれといった所だろう。
 信長の家来になったのを機に藤吉郎と名前を変えた彼は、仕事を真面目にした。陰日向なく仕事をするという、それだけでも、この時代、人の目につくには十分である。やがて彼は上役の重宝な助手役として使われるようになった。その仕事というのは、台所の賄いである。つまり、食材やら燃料やらの仕入れと管理の仕事だ。
 藤吉郎は、ここで抜群の取り計らいの才能を見せた。彼がその役につく前よりも、費用を二割以上も節約したのである。と言っても食事の内容を貧弱にしたわけではない。前任者のように無駄な金を使わず、また費用の一部を懐に入れることをしなかっただけである。
 彼のそんな行為を周りの連中はあざ笑った。
「そんな事をしたって誰が見ているものかよ。自分一人できれいぶったって何にもなりゃしねえよ」
 聞こえよがしのそんな声にも藤吉郎はただ笑ってみせるだけだった。
「はっはっはっ。わしゃ頭が悪いもんでな。一は一、二は二としか勘定できんのじゃ。一を二に見せたり、三に見せたりするような、そんな器用な真似はよう出来ん」
 このような当意即妙の言葉に返答できる者は無く、相手は黙り込むのが常だった。
 以前の陰鬱な日吉丸を知っている人間には、今の藤吉郎は、驚くほど人が変わったと思っただろう。
 何より、明るくなった。もともと声は大きい方だったが、最近ではその大きな声があたりに響いていないことがない。大声で指示し、軽口を叩き、大声で笑う。その声がしないと、周りの人間は物足りない気にすら、最近ではなってきていた。
 すなわち、藤吉郎ここにあり、と織田家中の人間は誰でも知るようになってきていたのである。

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昇る太陽 1

         昇る太陽


         壱

 日吉丸、後の木下藤吉郎、いや、豊臣秀吉が、自分は何者かであるとの確信を抱いたのは、そう早い時期ではない。成人するまでの彼は、自分はとうてい二十歳過ぎるまで生きることはあるまいと考えていた。人より自分が勝れているという自惚れなどは、なおさらなかったのである。それも当然で、尾張の水呑百姓の子で、幼時に寺の小僧に遣られ、そこを数年で飛び出して後は、乞食同然で各地を放浪してきた人間に、自分をひとかどの人間であるなどという自信がある筈はない。寺の小僧だった時、同輩より多少は機転が利くという気持ちを持ったこともあったが、それもかえって同輩との折り合いを悪くする役にしか立たなかった。その後は乞食や物売りをしながら、あるいは野盗の下働きさえしながら、何とか食いつないできたのだが、そのような生き方にもこの頃では嫌気がさしてきて、いっその事、死んでしまおうかと思うことさえあったのである。
 その理由の一つは、生まれつきの醜さだった。背が人並みはずれて小さく、四尺三寸ほどしかない。子供の十二、三歳並みの大きさだった。その上、顔ときたら、猿そっくりである。それも萎びた老人に近く、愛嬌に乏しい。むっつり黙り込むと異様な凄みがあるのも、人に嫌われる理由の一つだ。反面、それを憐れんでもらえることもある。しかし、女にもてたことは生まれてから一度もない。母親だけはこの醜い息子を愛しんで何かと面倒を見てくれたが、養父などは彼をひどく嫌っていたものである。
 彼の不幸は、その容貌の醜さとはうらはらに性欲の強かったことである。それも美しい女が好きでたまらない。美しい女に好かれることは一度も無かったのだから、これは地獄と言うべきだろう。
 彼が織田信長の妹、お市の方を見たのは、彼女が他国に輿入れする日だった。館から輿に乗る、その僅かな間に見たのである。その時、この世にこれほど美しい女がいるということに、彼は目もくらむような思いがした。そして、その女を抱く男がいるということに、腹の中が黒くなるような煮える思いを感じたのである。
 このわずかに数秒の出会いが彼の運命を変えた。
 この空の下のどこかにあの女がいる。いや、あの女でなくとも良い。ともかく、あのような女が世の中にはいるのだ。それを抱くまでは俺は死ねない、と日吉丸は心に決めたのだった。

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「昇る太陽」予告

次回から、というか、この次の掲載部分から「昇る太陽」という短編小説を掲載する。これは何となくひらめいて1日か2日で書き上げたものだが、文体が司馬遼太郎めいているのは、そのほうが書きやすかったからである。べつにパロディでもパスティーシュ(文体模写)でもない。
話は、豊臣秀吉の一代記だが、それを凝縮した上で、例によって私の感想まで付け加えている。つまり、豊臣秀吉という人物についての私の考えを小説形式で書いたものである。
全体で6章か7章くらいだから、1日1章の掲載で、約1週間の掲載になる予定だ。

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話し手の得意顔のこと

前の記事への補足をする。
「蘊蓄話」への嫌悪は、そういう話をする時の話し手の得意顔がいやなのだ、とも考えられる。それならば、納得できる話だ。
私が嫌いな作家の中には、やはりそういう「書き手の得意顔」を感じさせるという人がいる。多芸多才な人間で、ある種天才的であることは確かだが、「自分が思うほど天才ではないよ」と言ってやりたくなるのである。
小説で一番大事なことは、読んでいて楽しいことや、読んだ後の後味の良さであり、小説としての高度さや上手さなどは読者にとっては二の次三の次だと私は考えている。そういう点ではその小説家は私が読みたくない小説家だ。
蘊蓄話への嫌悪には、そういう話し手への嫌悪があるとも考えられる。

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蘊蓄話への嫌悪と劣等感

昔、職場の同僚に若い女がいたが、その女が何かの雑談の時に、「自分は他人の蘊蓄話を聞かされるのが大嫌いだ」というようなことを言ったのを聞いて、ひどく驚いたことがある。世の中にそういう人間がいるとは想像もしていなかったからだ。彼女の言う「蘊蓄話」がどういう意味合いのものかまでは聞かなかったが、他人から蘊蓄話を聞かない限り、こちらの教養も知識も増えないのではないだろうか。
もちろん、彼女の言う「蘊蓄話」とは、「役にも立たない知識」という意味かもしれないが、そうだとしてもそれが役に立つ知識かどうか、簡単に決められるとは限らないだろう。たとえば、私が聞いた中で一番役に立っている知識は学校で教わった数学や物理や化学の知識ではなく(その女性は理系の女性だったから、わざとこう言うのだが)父親から聞いた言葉である。それは「ソバを食べるのに、噛む必要はない。丸呑みしていい」という言葉である。それまで私はソバを食うのに口の中で何度も噛んで食べていて、この世にソバほどまずくて食いにくいものは無いと思っていたのだが、ソバの食い方を知って以来、大好物の一つとなった。
あの女性は「蘊蓄話」をされると、自分の知的劣等性を思い知らされる感じがして嫌だったのではないかと私は想像している。だが、あらゆる向上は、まず自分が劣っているという正直な認識から始まるのである。他人が何かの点で自分より勝っていても、別に劣等感を持つ必要はない。他の点で自分が勝っているところもあるはずなのだから。

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「風の中の鳥」終了の挨拶

前回で「風の中の鳥」は終わりである。エロな話も含んだ小説なので、掲載をためらったが、情景描写抜きの新聞記事レベルのエロなので、まあいいか、ということで掲載した。なにせ、願望充足的小説なのだから、暴力やエロが出てくるのは仕方がない。中に論文みたいな部分があったりして、変な小説ではあるが、私は案外と気に入っている。私も、風の中の鳥のように大空をどこまでも飛んでいきたいという願望があるのである。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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