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未来予測が必ず間違うわけ

「武田邦彦のブログ」から転載。
武田邦彦は評価の分かれる人物だが、地球温暖化詐欺を最初の頃から指摘しており、「白人は人間ではない」という面白い動画(井口博士のブログで知った)では白人の悪行を忌憚なく指摘したりして、支配階級にはいろいろ都合の悪い発言の多い人物なので、「陰謀論者」扱いにされているようだ。支配階級下部工作員のネット右翼たちも、彼を攻撃しているようである。
もちろん私は彼を評価する一人だ。どちらかと言うと私と似たタイプのようで、考えたことを素直にそのまま口に出す性格だと私は見ている。科学者としては慎重さに欠ける感じもあるが、だからこそ面白い発言も多いのである。
下の記事は彼のエッセイだが、彼の人生観が顕れており、その人生観も私に似ている。それは、「未来を見ることは人間には属していない」という「ケセラ・セラ」の歌詞でもある。だからこそ人生は面白いし、極端に言えば、だからこそ人生は生きるに値するのである。先が分かっていたら、生きる必要など無いではないか。
ところが、自分は賢いと考えている人間ほど先の予測をしたがり、未来を自分の手で自分の思い通りにしようとしたがるのである。人間なんて、一秒先には息を詰まらせて死んでいるかもしれない存在であるのに。



(以下引用)*前半省略。


でも、人間のあたまで考えた「将来予測」は、必ず外れます。


予測が外れる原因には二つあり、第一には「人間は、今の知識と状態で正しいことを判断し、それで将来を予測する」からです。


その典型的な一つの例として、1972年のメドウスの「成長の限界」があります。


よく知られているように、この本は「あまりに人間が大量に消費するので、21世紀には現在の文明は破滅する」と結論した書籍です。当時、大騒ぎになり、石油ショックのきっかけになり、今でもメドウスのことを信用している人が多いのです。


でも、メドウスはそこのところはよくわかっていたので、前文で「もしも、現在の状態が続くとしたら」と断り書きを入れて予測しています。


メドウスが将来の地球の環境や資源を計算したとき、メドウスが使った「知識と判断」は1965年当時のものでした。


つまり、メドウスは神様ではないので、自分が研究している時(1965年付近)にはまだ発見されたり発明されたりすることを知らないのです。たとえば、携帯電話は無かったので、電話を引くときには電話線(銅)がいると計算しています。

また、当時は脱硫技術が発達していなかったので、石油や石炭を燃やせば亜硫酸ガスが出ると仮定しています。


だから、メドウスは近い将来、銅が無くなり、大気が汚染されると予測したのです。


・・・・・・・・・


でも、縄文時代、平安時代、そして現代でなぜ、こんなに違うのでしょう。


それほど前のことを出さなくても、おじいさんの時代(20世紀の前半)には、まだ日本には、自動車、テレビ、冷蔵庫、携帯電話、パソコン、エアコン、石油ストーブ、婦人のストッキング、エスカレータ、冷凍食品、スーパー、コンビニ、原発・・・なにもかも無かったのです。


つまり、「10年、一昔」と言うように、人間社会は10年も同じことが続きません。人間は止まっているのが苦手で、前進をつづけていきます。そして「どのように前進するか」ということすら、予測できないのです。


・・・・・・・・・


予測が間違う第二の問題点は、「人間は心配性だ」と言っても良いですし、「人間は我が身が可愛い」と言っても良いことからきます。

将来を楽天的に考える人は少なく、心配ばかりしています。

でも、これも奇妙です。大きく歴史を見れば、前の時代より今の時代の方が必ず良くなっているからです。


「昔の方が良かった」と言う人がいるので、その時には、「昔でも今でも、どちらでも良いですよ。どちらを選びますか」と聞くと今度は100人が100人、「今が良い」と言います。


たとえば、今から80年前は、平均寿命が43歳。トイレはくみ取り、テレビも冷蔵庫もないのですから、大部分の人は今が良いと思います。


これが500年ほど前になると、手術の時に麻酔を掛けないで足をノコギリで切っていました。「それでも500年前に帰りたいですか」と聞くと、首を横にフルでしょう。



だから、「今より未来が良い」のは間違いありません。これほど長い歴史で証明されているのですから、間違いはないのです。




でも、ノストルダムスの予言や温暖化の予言など、予言の類はすべて悲観的です。

歴史から言うと未来は楽観的、人間の予言は悲観的・・・ここに未来予想の原理原則が潜んでいます。



・・・・・・・・・


もしも、人間がギリシャの知恵の女神ミネルヴァのように完璧な知恵を持っていたら、正確に未来に起こることを予測し、そして明るい未来を描くでしょう。


でも悲しいことに人間の頭脳は出来損ないで、「現在の知識で未来を予想し」、「未来は現在と違うことを知っていてもそれを考えることができず」、そして「我が身を考えるので、心配性になる」というハンディを負っています。



私が「目標を持たずに、今を一所懸命」と言うのはこの原理があるからでもあります。目標は自分の頭脳の欠陥を考えてぼやーっとだけ考えます。


「ま、なんとか生活ができれば」というぐらいです。



そして、もしその心境で一所懸命、毎日を送ることができれば、向こうから来るもの(将来の社会や自分)は自分が選択できないものだからです。






人間は予測することが出来ない。だから予測は必ず間違う。でも人間は予測をし、将来を悲観して、間違った目標を立てて無駄な努力をするものだ、と私は思います。



(平成22年1月15日 執筆)







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企業対国家

「晴耕雨読」から内田樹の文章の一部を転載。グローバリズムとは企業主体の思想であり、それが国家(国民国家)と鋭く対立すること、そしてグローバリズムの目指すところは国家解体、世界統一政府(NWO)であることを、原理的にかつ明快に説明している。
国民の立場から言えば、国民の99%は生まれ育った国家(土地)と運命共同体であって、国家を失えば、確実な生きる基盤をも失うのだ、という話である。すなわち、自由な人間ではなく企業の奴隷、使い捨ての道具として生きるしかなくなるのである。現在の資本主義でもすでにそういう面はあるのだが、それが先鋭化するのがワンワールド(NWO)という世界である。




(以下引用)



国民国家という統治システムは政治史的には1648年のウェストファリア条約を起点とする近代の装置である。

国境があり、官僚制度があり、常備軍があり、そこに国籍と帰属意識を持つ「国民」というものがいる。

生誕の日付をもつ制度である以上、いずれ賞味期限が切れる。

だが、国民国家は擬制的には「無窮」である。

現に、あらゆる国民国家は自国の「年齢」を多めに詐称する傾向がある。

日本では戦前まで神武天皇の即位を西暦紀元前660年に遡らせていた。

朝鮮の檀君王倹が王朝を開いたのは紀元前2333年とされる。

自国の発祥をできる限り遠い過去に求めるのは国民国家に共通する傾向である。

その構えは未来についても変わらない。

国民国家はできれば不死のものでありたいと願っている。

中央銀行の発行する紙幣はその国がなくなった日にはゴミになる。

翌日ゴミになることがわかっているものを商品と交換する人はいない。

だから、国がなくなる前日において貨幣は無価値である。

残り日数を十日、二十日と延ばしてみても事情は変わらない。

だから、国民国家の財政は「いずれ寿命が来る」という事実を隠蔽することによって成立している。

これに対して企業は自己の寿命についてそれほど幻想的ではない。

統計が教えるところでは、株式会社の平均寿命は日本で7年、アメリカで5年である(この数字は今後にさらに短縮されるだろう)。

グーグルにしても、アップルにしても、マイクロソフトにしても、それらの企業が今から10年後にまだ存在しているかどうか、確かな見通しを語れる人はいない。

けれども、そんなことは企業経営者や株主にとっては「どうでもいいこと」である。

企業が永続的な組織であるかどうかということは投資家にとっては副次的なことに過ぎない。

「短期的な利益を追い求めたことで長期的には国益を損なうリスクのあること」に私たちはふつう手を出さないが、この場合の「長期的・短期的」という判定を実は私たちは自分の生物としての寿命を基準に下している。

私たちは「国益」を考えるときには、せめて孫の代まで、三世代百年は視野に収めてそれを衡量している。

「国家百年の計」という言葉はその消息をよく伝えている。

だが、寿命5年の株式会社にとっては「5年の計」が最大限度であり、それ以上先の「長期的利益」は損益計算の対象外である。

工場が排出する有害物質が長期的には環境に致命的な影響を与えると聞いても、その工場の稼働によって短期的に大きな収益が上げることが見通せるなら企業は環境汚染をためらわない。

それは企業にとっては全く合理的なふるまいなのである。

そして、これを倫理的に断罪することは私たちにはできないのである。

なぜなら、私たちもまた「こんなことを続けると1000年後には環境に破滅的な影響が出る」と言われても、そんな先のことは気にしないからである。

グローバル資本主義は「寿命が5年の生物」としてことの適否を判定する。

国民国家は「寿命100年以上の生物」を基準にして判定する。

それだけの違いである。

寿命を異にするだけではない。

企業と国家のふるまいは、機動性の違いとして端的に現れる。

グローバル企業はボーダーレスな活動体であり、自己利益を最大化するチャンスを求めて、いつでも、どこへでも移動する。

得物を追い求める肉食獣のように、営巣地を変え、狩り場を変える。

一方、国民国家は宿命的に土地に縛り付けられ、国民を背負い込んでいる。

国家制度は「その場所から移動することができないもの」たちをデフォルトとして、彼らを養い、支え、護るために設計されている。

ボーダーレスに移動を繰り返す機動性の高い個体にとって、国境を越えるごとに度量衡が言語が変わり、通貨が変わり、度量衡が変わり、法律が変わる国民国家の存在はきわめて不快なバリアーでしかない。

できることなら、国境を廃し、言語を統一し、度量衡を統一し、通貨を統合し、法律を統一し、全世界を商品と資本と人と情報が超高速で行き交うフラットな市場に変えたい。

彼らはつよくそう望んでいる。

このような状況下で、機動性の有無は単なる生活習慣や属性の差にとどまらず、ほとんど生物種として違うものを作り出しつつある。

戦争が始まっても、自家用ジェットで逃げ出せる人間は生き延びるが、国境まで徒歩で歩かなければならない人間は殺される。

中央銀行が破綻し、国債が暴落するときも、機動性の高い個体は海外の銀行に預けた外貨をおろし、海外に買い整えておいた家に住み、かねての知友と海外でビジネスを続けることができる。

祖国滅亡さえ機動性の高い個体群にはさしたる金銭上の損害も心理的な喪失感ももたらさない。

そして、今、どの国でも支配層は「機動性の高い個体群」によって占められている。

だから、この利益相反は前景化してこない。

奇妙な話だが、「国が滅びても困らない人間たち」が国政の舵を任されているのである。

いわば「操船に失敗したせいで船が沈むときにも自分だけは上空に手配しておいたヘリコプターで脱出できる船長」が船を操舵しているのに似ている。

そういう手際のいい人間でなければ指導層に入り込めないようにプロモーション・システムそのものが作り込まれているのである。

とりわけマスメディアは「機動性が高い」という能力に過剰なプラス価値を賦与する傾向にあるので、機動性の多寡が国家内部の深刻な対立要因になっているという事実そのものをメディアは決して主題化しない。

スタンドアロンで生き、機動性の高い「強い」個体群と、多くの「扶養家族」を抱え、先行きのことを心配しなければならない「弱い」個体群の分離と対立、それが私たちの眼前で進行中の歴史的状況である。













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小姑主義とコンバートメント式頭脳

「カマやんの虚業日記」から転載。
今は時間が無いので考察は後にするが、非常に重要な指摘だと思う。「小姑主義」と「コンバートメント式頭脳」は日本人と近代合理主義思想、あるいは権力者的発想を考察するキーワードになるのではないか。


(以下引用)



日本には、右左リベラルあまり関係なく、圧倒的多数の「小姑主義」者と、ごく少数の非「小姑主義」者がいる。

「小姑主義」は他人の言動思考に無為な干渉することにばかりエネルギーを使い、他人を消耗させることにばかりエネルギーを注ぐ。実際に手を差し伸べ助力することには、ほとんど、あるいはまったく関心がない。

といった主旨のことを、70年ほど前に清沢洌(きよし)という方が言っていた。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060215/1139955647

1943(昭和18)年十月二十一日(木)

〔略〕日本人は干渉好きだ。しかし何か行動によってこれをなすことはしない。たとえば昨日、電車の中で網の上に鞄を載せようとしたのを何人も手助けしない。日本人の干渉は思想的なものに対してだ。

英米人は干渉嫌いだ。しかしそれは思想に対してであって、他が困っている場合にこれを助ける。町で考え込んでいると、「何を探すんですか」といって必ずヘルプしようとするのはその例だ。電車の中でも必ず助ける。とすれば干渉は同じだ。相違は「何を目がけて?」という点に帰する。(103p)

清沢洌(きよし)から連想してさらに余計なことを書くと、「歴史修正主義」的思考法は、清沢洌(きよし)の言う「コンバートメント式頭脳」によると思われる。基準軸を項目ごとにカチャカチャ変えることに躊躇しない思考法であり、その思考法は無限の無責任http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120210 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061106/1162753076へ堕落する。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051214/1134509973

大杉 俺は君〔甘粕〕たちの頭脳をコンバートメント式頭脳とでも呼びたいと思っておる。そんな名前があるかどうかは知らないが、君らの頭脳には戸か抽出しがついていて、これは国体、これは政治、これは科学、これは産業と智識の袋を別々に入れ、これを別々に使用する、そしてかつてそれを混き交ぜて自分のものとすることを知らないのだ。(93p)

下手に「賢い」人は、「コンバートメント式頭脳」に堕落しやすい。具体例を書きたい気持ちはちょっとウズウズするが、具体例を書くと今後政治的協力を求めるのに難が生じるので書かない。あの方とかあの方とか。






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円安とは「日本」の価値の低下である

私が「尊皇攘夷鎖国論者」であることは何度か書いてきたが、「鎖国論」は経済面だけの話、「攘夷」は「NWOやユダ金をやっつけろ」であり、「尊皇論」は「現憲法のまま象徴天皇制を維持しよう」という話だ。細かいことを言えば、経済面でも純粋な鎖国は無理だし、またアジア諸国とは親類のようなものだから交際してもよい、しかし、欧米諸国は世界の癌細胞であるから、断固として絶縁するべきだ、ということである。それは欧米によって破滅させられたアフリカや中東を見れば一目瞭然だろう。「脱亜入欧」どころか、正反対に「脱欧入亜」すべきだ、というのが私の考えだ。しかし、韓国と中国が「入欧」してしまったらしい今の状況では、もはや日本は本格的に鎖国する方がマシではないか、と今は考えている。もっとも、横井小楠ではないが、「これは今日の考えであり、明日になればまた別の考えになるかもしれません」と言っておこう。
とりあえず、今の世界ではロシアとベネズエラ、キューバ以外には交際を願いたいような国は無い。ロシアとベネズエラはエネルギー資源があり、キューバは医療大国であるから、つきあって有益な友人、「徒然草」の「物くるる友」ではないが、「お互いに有益な取引ができる友好国」になれるだろう。その反対に、こちらからすべてをむしり取ろうとする米国、韓国などとは断交するのがよい。ミャンマーなどへの投資も捨て金になると私は予言しておく。概して欧米諸国は根が山賊と海賊の国々だから、最初から交際拒否すべきだったのである。つまり、江戸幕府、いや、豊臣政権の頃からの欧米拒絶政策(鎖国)は正解だったのだ。当時から、鎖国の対象は、実は強欲凶暴な欧米諸国であったのだが、それをまるで日本が馬鹿なために引き籠りをしていたかのように学校の歴史教科書などは教えていたわけである。
さて、以上の話は、下の引用記事とはあまり関係はない。べつに下の引用をする意味もないのだが、最初はこの記事について書くつもりだったのである。だが、その前置きに「私の尊皇論」の意味を書こうとしたら、「鎖国論」に方向がずれてしまったのである。わざわざ書いたのを書き直すのも面倒なので、そのままにする。私のブログなどその程度のものだ。「行雲流水のごとく、湧くかと思えば消え、往いては永遠に帰るを忘る」阿呆な文章なのである。



(以下「武田邦彦」のブログから引用)


天皇陛下と円高


「shouwatennoutdyno.196-(9:23).mp3」をダウンロード

戦後しばらくして、それまで1ドル360円だった円ドルが、一気に240円ほどに急に円高になりました。これは一大事!ということで時の水田大蔵大臣が昭和天皇の所に急行し、「陛下、大変な円高になりました。これは日本の危機です」と言った。

昭和天皇は「そうか。日本人の価値が上がったと言うことだね。問題があるのか」と言われたという。水田大臣は答えることもできず、冷や汗をかきながら退出したとされている。

その後、さらにもう一度、円高があり120円になった。そうしたら日本に入る輸入品が3分の1の価格になり、日本人はお金持ちになり、日本の産業は大いに栄えた。

利権団体を背後にしている大臣と、日本国全体を見ておられた陛下の大きな差が現れた一場面だった。今では利権サイドの放送を続けるNHKに全国民がすっかり洗脳されてしまった。

(平成25年5月6日)



武田邦彦









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アルカイダとイスラエル

「カレイドスコープ」管理人氏が面白いことを言っている。

「アルカイダはなぜイスラエルだけは攻撃しないのか」

まったくその通りであり、この一事を見るだけで、中東での紛争(あるいはアメリカの「テロとの戦争」)の意味は丸分かりになるのである。もっとも、ネットリテラシーのある人間なら、たいていは最初から知っていたことではある。さらに言えば、「9.11」以後の世界政治はミスをほとんど取り繕いもしないあまりにもチャチな陰謀の世界なので、真実に気付かない方が難しいくらいのものだ。だが、現実政治では、愚にもつかないような「言い訳」さえあればどんな悪行もやり放題なのである。要するに「力は正義なり」ということであり、言葉とは嘘をつくための道具でしかない、というのが世界を支配する連中の信条なのである。
長い記事なので、キモの部分だけを抜粋して転載する。
全体の趣旨には賛成なのだが、下記記事の中で理解しがたい部分がある。

「日本人は、欧米のプロパガンダに長い間騙されて、もともと味方である正統派ユダヤ人を敵に回しているのです。

このことに関して、よく「ユダ金」という言葉を見かけますが、それを書いている人たちは、別な意図があるか、無知なのか、あるいは、「ロスチャイルドの存在」を隠すために書いているか、そのいずれかです。」

という部分だ。
私もよく「ユダ金」という言葉を使うが、それがロスチャイルドたちを意味することは周知のことだろう。それがなぜ「ロスチャイルドの存在を隠すために書いている」ということになるのだろうか。また、「もともと(日本人の)味方である正統派ユダヤ人」という部分もよく理解できない。正統派ユダヤ人というものがタルムードや旧約聖書の神を信じる人間のことであるならば、彼らにとって他民族は「ゴイム(獣・家畜)」でしかないはずだ。それがなぜ日本人の味方ということになるのか。ユダヤ人とは「ユダヤ教を信じる者」の意味であるはずだが、彼らの選民思想が他民族と共存できるはずはない、と私は考えている。むしろ「非正統派ユダヤ人」つまり純粋ユダヤ教を捨てた人間とならば、共存は可能だろう。ユダヤ人について語るなら、まずは「旧約聖書」を読み、ユダヤの神がどのような神であるかを知るべきである。(タルムードは断片的な内容しか外部には漏れ出て来ない)



(以下引用)



シリアとその同盟国は何をすべきか

シリア、イランなどの“包囲された国家をしっかりと支援する”ロシアと他の国家は、ブルッキングズ研究所の文書「どの道がペルシャに続くのか?(Which Path to Persia?) 」の存在に気づいていた。

これらの国々は、こうした戦略に通暁している。

イスラエル人が、(シリアやイランが)報復攻撃に乗り出すように挑発し、後に戦争を誘発するように刺激しようとしているなら、追加的な保護政策が必要だし、なにより潜在的なイスラエルの攻撃の範囲の外側に出てしまうことが必要なのである。

アルカイダとイスラエルの利害との間に、偽善的で暴露的な収斂があることを例示するメディア・キャンペーンは、メッキがはがれてボロボロになってもなお支えようとしているものすべ て、そして、シリア内部で西側がバックにいて引き起こしているテロがまだ保持しようとしているものすべてを傷つけることになるだろう。
【この部分の管理人の解説】

中東情報にほとんど触れることのない人が理解しやすいように、この部分を意訳すると、注釈だらけのとんでもなく長い文章になってしまいます。
しかし、この部分の意味は重要です。

アルカイダの偶像、ウサマ・ビン・ラディンが、まだ単にサウジアラビアの大金持ちの息子だと思っている日本人が大半です。

まず、アルカイダとは何か?

「アルカイダ」、「アルカイダ系」とは何か

ヒラリー・クリントンは、アルカイダが米国の野心のためにCIAによって育成された工作部隊に過ぎない、と公式の場で発言しました。(画像クリックでyoutubeへ)


「アル・カイダ」の意味は、アラビア語で「基地」の意味です。英語では「base」。ただの普通名詞です。

中東や北アフリカでは、数え切れないほどの部族のイスラム武装集団が活動しています。
彼らは、「アルカイダ系~過激派」など名付けられています。

「アルカイダ」とは、たとえは不適切ですが、つまり山口組系なになに、と広域暴力団傘下にある子暴力団、孫暴力団のそれと同じです。

「山口組」は固有名詞ですが、「アルカイダ」は固有名詞ではありません。

要するに、ワシントンとCIAが武器と資金提供を行い、北アフリカでは、CIA自体がアルカイダ要員として若者たちをリクルートしているように、アメリカのグローバリストが育成している「ワシントンのために働くテロ集団」のことです。

ビン・ラディンがCIAのエージェントであったように、中東や北アフリカで活動している「アルカイダ系~武装集団」の頭目の何人かも、CIAのエージェントとして特殊訓練を受けているのです。

アルカイダとは、地域紛争の火付け役として、アメリカを始めとする西側諸国がターゲットとする国で内戦を勃発させ、次の段階で西側の軍事介入の口実を作るために計画的につくられた特殊作戦を展開する集団のことです。

多くの場合、西側のコーポレイト・メディア(その多くはロスチャイルド財閥などの偽ユダヤ系一族が出資している)によって、あたかもイスラムとの対立が原因で内戦が勃発したかのような演出が成されるのですが、もともと宗教的イデオロギーの問題ではなく、西欧諸国による過酷な略奪と搾取に耐え切れなくなった地域(つまり、ユーロッパの旧貴族によって植民地化されていた国々)が、格差の広がりに義憤を感じたことから起こっているのです。

CIAは、それをうまく利用しているのです。

今まで、世界中の人々が、多国籍企業が所有しているコーポレイト・メディアとワシントンによって騙されてきましたが、ヒラリーの公式の場でのうっかり発言と、最近では、オバマでさえ、イスラム過激派に対する武器と資金援助をほのめかす発言をしているところをみると、この壮大な嘘も、そろそろ消費期限切れなのでしょう。

でも、オバマは黒人なので、彼が顔を赤らめながら、「アルカイダ」と言っても私たちには分かりませんが。

「なぜアルカイダは、イスラエルだけ攻撃しないの?」という素朴な疑問が掲示板に投稿されています。

この答えは…
イスラエルとアルカイダの根っこはひとつ。
それは「シオニズム」。

日本人は、欧米のプロパガンダに長い間騙されて、もともと味方である正統派ユダヤ人を敵に回しているのです。

このことに関して、よく「ユダ金」という言葉を見かけますが、それを書いている人たちは、別な意図があるか、無知なのか、あるいは、「ロスチャイルドの存在」を隠すために書いているか、そのいずれかです。

もともとロスチャイルドとつながりが深いと言われている中国銀行が、北朝鮮への金融制裁を決めたことは、後々になって象徴的な出来事になるでしょう。

韓国を手中に収めたワシントンは、次に北朝鮮の運命を決定付けたのです。



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野党株暴落

川口順子罷免問題では、野党、特に民主党の幼稚さが際立っている。
私がアンチ自民党の人間であることはこのブログをお読みの方ならご存知だろうが、この件については下の自民党中川秀直の文章が簡にして要を得ている。私は中川秀直という政治家をよく知らなかったが、これが本人の書いた文章なら、この人はかなり頭のいい人だろう。ただし、頭がいいのは才人であり、政治家には才より徳(言い換えれば、誠実さと人民への愛情・責任感)が大事である。才人だらけの官僚が近代日本を滅茶苦茶にしたことを見れば、才を徳より上位に置く事の誤りは一目瞭然だろう。
いずれにせよ、民主党株はこれでまた大暴落である。まあ、小沢・鳩山と再度手を組む以外に浮上の道はあるまい。




(以下引用)*どこから取ったか忘れたが、多分「ヤフーニュース」である。




国益に資する




中川秀直


2013年05月08日 19:00



毎日の社説「川口氏の解任案」「大局を見ぬ野党の対応」で、「川口氏の行動は、形式的には参院のルールから外れている。しかし、尖閣諸島の国有化以降、日中両政府は対話に糸口を見いだせず、議員外交が待望されている。川口氏自身も陳謝しているのだから、ここは大局に立って、『ルール違反』は注意で済ませ、国会審議を促進するのが常識的対応ではないか。常任委員長の海外渡航自粛というルールが、時代に合っているのか再検討する必要もあるだろう」は、正論である。

川口順子参院環境委員長が、中国出張を国会の許可なく延長したため、委員会が中止になったとして、野党7会派が川口氏の解任決議案を参院に共同提出した。ねじれ国会故に、野党の賛成多数で可決される可能性大であるが、現憲法下の国会史上初めての事態となる。野党の対応は、国民の信を失うことになる。

川口氏が、中国出張を1日延期した理由は、25日に、前外相の楊潔篪国務委員との会談が実現することになったからである。川口氏は、出張の延長を国会に願い出たが、野党の反対で了承されず、川口氏は、会談を優先し、25日に予定されていた環境委員会での法案の趣旨説明は中止となった。

問われているのは、川口氏の行動が、国益に資しているか、否かである。日中間で、対話の糸口が見いだせずにいる中での、前外相の楊潔篪国民委員との会談は、千載一遇の好機であり、会談実現は国益に資したのである。

その川口氏を、野党7会派が、参院のルールを無視し、「国会軽視」したとして、解任するのを、民意は、国益に反した行為、党利党略の暴挙と見る。野党7会派の政党支持率は、軒並み一段下げとなるのではないか。(5月8日記)
















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正常な血圧とは?

理学療法士のshowさんのブログから転載。
まさに、我が意を得たり、である。
もちろん、あまりに血圧が高い状態が続く事は危険だろう。しかし、どこからが高血圧か、どの程度から薬物治療をするべきか、という点に関しては、医者自身が、国やWHOなどが勝手に決めた基準に盲目的に従っているにすぎないのではないか。そして、降圧剤に頼る限りは、「生きているかぎり飲み続ける」ことになる。医者にはいい商売だろうが、(何しろ、診察など不要なくらいで、自宅で本人に血圧の記録を取らせておけばいいだけだ)患者にとっては出費も馬鹿にならない。私の場合は、一回の診察で5000円近い出費である。診察時間は数分だ。医者にとっては、まさに、高血圧さまさまだろう。
というわけで、私は最近は医者に行っていない。どうしようもないレベルまで血圧が上がってくれば仕方がないが、上が160、下が95程度ならば「自分は正常だ」と信じることに決めた。なぜなら、「昔は」それが正常だったからだ。


(以下引用)


増えていく病人 テーマ:医療



 最近の風潮として、高血圧、高脂血症、糖尿病はしっかりと治療を受けなければなりません、的な空気があります。




 問題は、この風潮が、多くの人が健康を気にするようになったから、ではなく、国による意図的なもののような気がしてなりません。







 お年寄りが集まると、健康関係の話題が良く聞かれます。




 そして、1回は必ず聞く台詞が「最近血圧が高くてねぇ」です。




 さて、みなさん。この方は本当に高血圧なのでしょうか?




 血圧には基準値というものがあり、それに従って、正常とか高血圧だとか判断されます。




 現在の若者~中年の正常値は130/85mmHgです。




 しかし、これは2004年4月からであって、それまでは140/90mmHgまでが正常範囲でした。




 しかも、さらにその前は160/95mmHgまでが正常範囲でした。




 つまり徐々に正常範囲が引き下げられているのです。




従って、もしその人の血圧が140/mmHgだとすると、今の基準では高血圧ですが、前の基準ではぎりぎり正常範囲になり、更にその前の基準で考えれば余裕で正常範囲になります。




 逆に言えば、自分の血圧の値は変わっていないのに、知らないうちに高血圧にされているかもしれないのです。




 これは、血糖についても同じ事が言えます。




 現在、空腹時血糖値が126mg/dl以上が糖尿病とされています。




 しかし、これは1999年5月以降のことです。




 それ以前は140mg/dlまでは正常範囲でした。




 昨日まで健康になったのに、一夜明けたら突然糖尿病患者になってしまうのです。




 このように、基準値が変わったことにより、一夜にして病人にされてしまった人は決して少なくありません。




 

 こうした基準値の変更についての国やWHOの言い分は、早い話が、「その状態を放置しておいて重症化し、合併症を併発してしまうと大変だから。早い段階で問題意識を持ち、治療をしっかり受けてください」というところでしょう。




 一見、正論ではあります。言葉だけ聞いていれば、だれも反論できません。




 しかし、この変更になった基準値の根拠というのが良く分かりません。




 誰がどの様な根拠、データに基づいているのか、その信憑性は?




 そういったものがはっきりしていない今、色々と竅った考えをしてしまうのは僕だけでしょうか?




 

 




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