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風立ちぬ。いざ、生きめやも?

「ライブノート」というブログから転載。中心記事は「GIGO」という人の書いた文章だが、管理人感想部分も面白いので、長くなるが、両方掲載する。
前半のGIGOさんの文章中には日本の近未来が描かれており、その予測が当たる確率は非常に高い、と私も思う。
つまり、我々の子供や孫の生きる日本ははっきり言って「ゴミ溜め」的な国だろう、と予想できる。それがTPPによって破壊された日本である。
日本人は文化的伝統や日本的精神を失い、海外から押し寄せる膨大な移民との共生によって新たな民族として再生することになる。つまり、日本人という人種は終わったのである。すでにマスコミ(特にテレビ)における韓国支配、経済における外資支配は現実である。そして、新しい日本の神は「マモン」、つまり金の神であり、金がすべての世の中になるだろう。昨日の辺見庸の文章ではないが、「支払い能力」の無い人間はそこではもはや生きる資格の無い存在となる。
「風たちぬ。いざ生きめやも」の「風」は、新しい日本にとって最悪の暴風かもしれない。



(以下引用)*前半の文章中では「TPP」が「TTP」になっているが、そのままにしておく。


350年の搾取から開放されたインドネシア
2013.08.01 07:02|政治・経済|
子供には読ませられないブログGIGOさんより転載

350年の搾取から開放されたインドネシア



オランダによる350年もの長きにわたる
愚民化政策と強制労働、そして搾取から
日本軍の手によってインドネシアは開放された。





平均寿命35歳
インドネシアで搾取した富は、オランダ国家予算の1/3を占めた。





戦後、日本人も米国の植民地支配下に有ることをうすうす
感じている人もいると思う。


日本人の特徴を分析された

・律儀に約束を守る
・お人好し
・親切
・喉元過ぎれば熱さ忘れる
・従順

特に米国に、この特徴総てを悪用されている。
IQの高い戦略家が緻密に計算し尽くしたことだ。
日本民族の運命はGHQが撤退した時に決まっていた。



搾取を疑う瞬間
働いても、働いても暮らしは楽にならず、
どこに富を吸い取られているのか?
そう考えた時に・・・。

しかし、日本人は従順であり、団結心をなくしているため
韓国や中国のようにデモや暴動を起こすことはない。

政治家が無茶苦茶な政策をして苦しくなっても、
日本人はしばらくすると慣れてしまう。
それを悪用しているのが増税だ。
日本は元々、過重な税金を巻き上げられていて楽な生活は
出来ていない。
そこへ、消費税増税だ。
これも消費税導入時と同じで、直ぐに忘れる。慣れる。
欧米諸国の思う壺だ。


移民の流入
植民地時代に、マレーで行われたような、中国人の大量移民政策
それによるマレー人の下層階級化と深刻な民族対立。

現在の日本は在日韓国人が多く民族対立も有る。
そこへ、中国から1000万人の移民政策を考えていた
民主党政権が崩壊し、ひとまずは安心と思ったらTTP

これによって移民を拒否することが出来なくなる。
大量移民が日本の職を求めて押し寄せる。

既に中小企業では研修生の形で始まっており、いずれ区別なくなる。
看護や介護職も解禁されている。


今のところ、贅沢になった日本人の若者がやりたがらない
職を移民や出稼ぎの東南アジア系と南米系の人々がやっている。

しかし、支配階級である企業経営陣に白人が入り込み
大企業も欧米化しつつ有る。
「外資系」などとカッコイイ言葉のように言われるが、
実質、植民地支配に近いものが有る。
優秀な人材だけ重用し、それ以外はバッサリ切り捨てる。

贅沢になった日本人は3Kの仕事もしないが、トップにも
登ることが出来ないことを悟り、働かなくなる。

3K=キツイ、汚い、給料安い 


「愚民化政策」これぞ植民地経営の基本だ。

生活保護の資金が枯渇し、支給されなくなると働かざるを得なくなる
「働いたら負け」といった流行語で怠惰な生活に慣れてしまった
日本人の若者は就職口が見つからない。
誰でもできる仕事は移民がすでにやっているので、特殊な能力を持ち
その経験を積んだ着実に働いてきた者だけが仕事を持つ時代が来る。

3Kでも仕事があるだけましだった事を後悔する。
慌てて資格を取るものの、経験がない資格保有者など
企業は求めない。資格貧乏になるわけだ。

就職は、若い新卒以外は「資格」+「経験」である。
「働いたら負け」と若い時に「経験」を放棄していると
働かなければ食っていけなくなった時に、雇ってくれる所がない。


企業は節税が上手、そもそも黒字決算にしない。
納税したくないからだ。

取るのはサラリーマンから
給料から強制的に天引きされる社会保険料と厚生年金は税金です。
それ以外にも色々と税金払ってるでしょ。
日本人は世界に比べて既に過重な税金を払っている民族なんです。

欧米諸国はそこはスルーして、消費税率が低いとしか言わない。
日本民族から搾取するためにね。

アホの国会議員が欧米の消費税は25%だと喚く
ストレートに洗脳されてんじゃねぇ、バカどもが。


「働いたら負け」といってた世代は国に金が無くなった時点で路頭に迷う
餓死するものも出るだろう、これぞ植民地政策。
年金も打ち切られ、貧困層の医療も後退し、平均寿命も短くなるだろう。

TTPにより医療の自由化・国際化が推し進められて、保険制度が無くなる。
病院に行くのは金が有る人間だけという、米国と同じ状況が待っている。
その米国が推進しているのがTTPだから。


仕事もなく食えなくなった国民が激増した時点で起こるのが、
今言われている「国防軍」の導入である。

そう、仕事が無い日本人がやる仕事は兵役しか無い。
徴兵制度をしかなくても、就職口として軍隊入りするわけだ。
そして、国連軍として紛争地帯へ送り込まれる。

南無阿弥陀仏


着実に日本国民は愚民化されつつある。
テレビではおバカタレントがもてはやされ、
馬鹿でも良いんだという気風が若者に浸透し
若者ではなく馬鹿者になっている現状、まさに愚民化政策
マスコミが手を貸しているわけだ。


古来より日本人の誇る手先の器用さでも、職人のオリンピックで
韓国にココ数年負け続けている事を報道していない。
隠す必用があるのか?
日本人に何かを気付かせては拙いのか?

アジアを再び植民地化したい欧米の白人社会は、
日本が目の上のたんこぶだ。

支那人や朝鮮民族は戦争をすると弱い
言うだけ番長の支那人や朝鮮人に反日教育をさせておけば
日本と勝手に対立してくれる。
アジアの共栄圏は実現しないわけだ、欧米には非常に都合がいい。
国際金融資本が戦争を望めば、日中間で戦争にもなるだろう。

戦争は日本の意思とな無関係に始まる。
日本の平和憲法なんか知ったこっちゃねぇ。

戦争になると中国は呆気無く降参する民族であるが、
日本人は粘り強い。
そんな戦闘民族である日本人を改造する必要があったのだ。

アジアを植民地化するための100年計画。
日本をアジアの盟主にさせないために。


朝鮮や中国が選ばれなかった理由は約束を守らない民族だからだ。
韓国は既に、2回日本との国際条約を破っている。
日本は正々堂々と抗議して断交も辞さないという態度を国際社会に示し
韓国を追い込むべきだが、親韓派の国会議員が与党にいる。
特に公明党と、パチンコ議連。

逆に言うと、韓国に何かしかけなくても、日本国内の与党議員
それも親韓派を潰してしまえば、韓国も自然と潰れる。
日本の支援と信用貸しが無ければ、韓国の金融は成り立たないからだ。



日本は2045年までに消滅する。

過去の例から、政府が消滅した国も復活する。
日本も「産めよ育てよ」で、22世紀には「違う国」として再生することになるだろう。

その時は、日本の大多数が単一民族の日本では無くなっている。
少子高齢化は解消されるが、そんな事はどうでも良くなっている。
老人は死に絶え、平均寿命は50歳以下になっているかもしれない。


米国は日本のゆうちょ・カンポに目をつけている。ゴッソリやられる。
日本政府の財政破綻で年金制度も社会保障制度も崩壊して、年金は消える。
老後の給付金が無くなり、高齢化は無くなる。
年寄りは、どんどん死んでください時代が来るわけだ。


あと50年で日本民族は愚民化されているはずだ。
そして今世紀半ばには植民地となっているだろう。


1000兆円の国債

国連の分担金の大半を日本が支払ってきた借金も国債に含まれていることを
欧米はすっとぼけて日本の国債額を非難する。

大災害の復興支援、戦争継続資金、戦後処理資金、これらも実は日本が
過分に支払わされてきた。それも国債だ。

日本国民は高度成長期のインフラ整備で出来た国債だと思わされている。


大戦後も、いつも戦争を引き起こしたのは米国だが、その支払いは日本だ。
中朝をならずもの国家と表現するが、真のならず者国家はアメリカ合衆国だ。

平等を求めた日本は、戦前も戦後も欧米から小突き回され続け、
国連や国際銀行の負担金を日本が支払うためだけに
総裁になり、G7入りをさせられた。

先進国首脳会議でも、いつも日本の総理は爪弾きだ。
日本は黙って金だけ出していればいいというのが欧米の本音。

これが植民地化されている証だ。
近代型の植民地政策だ。



マスコミに踊らされるな

勘違いしている若者がいるが、財テクで大儲けは夢物語。


株で儲けるのも競馬も同じ。
負けたのは忘れて勝った事だけを人間は覚えている。

株も博打だ、どんどん深みにハマる。
潮時を見極めるのが非常に難しい。
たとえば1000万円儲けたら辞めようと始める
目標達成して通帳を観ると、なんだまだまだ金が有る
もっと増やしたいという心理の襲われる。
その頃に証券会社が甘い誘惑を仕掛けてくる。
見栄もあり、またやっちまう。
証券会社は個人投資家が破産するまでやらせる。


株が上がっている時に舞い上がってどんどん金突っ込んだり
高価な車や家を購入して、良い気になっていると、ある日
突然の株価大暴落で一気に資金繰りが悪化する。
株価低迷や乱高下に振り回されついに破産するわけだ。
高価な車も家も差し押さえられ、気づけばホームレス。


マスコミは、アフィリエイトと同じで、極一部の成功者を取材し報道する。
申し訳程度に破綻したものも報じるが、そこはスポンサー様あり。
危険性は小さく報じる、夢を見させるわけだ。


150年も前からユダヤ系世界金融資本によって、世界は回っている。
戦争もココが資金源だった。もちろん日本もココから暴利で金借りて戦争してた。


銀行も証券会社も傘下だ。そこがマスコミのスポンサーでも有る。
損する者が沢山居ないと、一部の大儲けする人間が出ない。
個人投資家にたくさん参加させ、損してもらわなければならない仕組みがある。

プロも素人も、投資家が皆儲けちゃうと金がなくなるでしょ?


思い出してください、大儲けした主婦のアフィリエイト話。
数十時間で数百円の報酬で奴隷のような広告業務。搾取ですな。
同じ時間アルバイトやってた方が確実な収入になっている。

仕事の片手間に株をやって高級外車を手に入れた若者の話。
その車、今も乗ってる? 家有る?


資金運用でやっていけるのはプロだけ。
24時間世界の動きを監視する必要がある、素人には無理だ。




これが今世紀末の日本の姿だ






右じゃ、左じゃ言われるが

儂は日の丸おっ立てて、真っ直ぐ真ん中を行くだけじゃ!


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この転載元のブログ名は「子供には読ませられないブログGIGO」さんです
ちょっと待ってください!
こういう記事ほど 沢山の子供達に見てもらい 考えて欲しいものです
とても思慮深く良い記事だと思います


これから始まろうとしている名前を変えた植民地政策「TPP」
トランス(T) パシフィック(P) パートナーシップ(P)
パートナーシップ(提携, 共同, 協力, 参加, 協調  goo辞書より)というなら
何故 中身が非公開なのか 
公開できるようなものでないからなのでしょう
これから更なる植民地支配が始まるのです


ちなみに、ジブリ映画「風立ちぬ」の主題歌「ケムトレイル」じゃなくて「ひこうき雲」を歌われている
松任谷由実さんですが、ユーミンの33枚目のシングルは『PARTNERSHIP』(パートナーシップ)です
日本テレビ系「シドニーオリンピック」のイメージソングでした
「風立ちぬ」の制作委員会(出資会社)にも当然日本テレビの名前があります
オリンピックも絡んでますし
気になるのは33枚目のシングルということでフリーメーソンのイメージソング?と勘ぐってしまいます
そしてそれが収録されているアルバム名は『acacia(アケイシャ)』(日本語読み アカシア)
アカシアを調べてみると、日本に分布するアカシアはほとんどが「ニセアカシア」なんだとか
そんなアルバム名アカシア(ニセモノ)に収録されている33枚目のシングル「PARTNERSHIP」

インチキ条約(ニセモノ)のTPPをユダヤ資本(33)に押し付けられ「PARTNERSHIP」を締結する・・・
まさにユーミンショック www

そのユーミンが主題歌の映画「風立ちぬ」、同名の小説があります
映画の公式HPの真ん中にも著者の名前が記載されていますが
昭和初期に活躍した日本の作家 堀 辰雄(ほり たつお)の中編小説で
作者本人の体験をもとに執筆された堀辰雄の代表的作品が「風立ちぬ」

作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という俳句(夢人注:「詩句」の誤りか)が
今の日本を如実に表しており、それを訴えたかったのではないかと思います

篠原暁子(俳人)の解説によると
堀辰雄の結核発病は、19歳の時であった。特効薬もない時代、彼は病巣を抱えたまま学業をつづけ、文筆活動に入っていく。

 『風立ちぬ』は、自ら病みつつ、より病状の重い婚約者に付添って信州のサナトリウムに入った数か月の経験をふまえて、書かれたものである。

 『風立ちぬ』全章を貫くものは、あくまでも清澄なロマンである。抒情の世界である。感傷的な通俗の甘さとは異質の、日常生活に根ざした抒情なのである。

『風立ちぬ』は「序曲」から始まる。病気の予兆はあるが、まだすこやかな様子の若い女性が、熱心に絵を描く姿が映し出される。そして、まだ少女らしさの残った無心な美しさに、心ひかれる青年(私)がいた。

 何もかも始まったばかりで、「何物かが生まれて来つつあるかのよう」な希望のひとときに、不意にどこからともなく、風が立ったのである。

  風たちぬ、いざ生きめやも

不思議な美しさをもった詩句である。どこか不安な風のざわめきに、心をふるい立たせている繊細な魂、「さあ、何とか生きてみよう」と自分に言いきかせるような、また呼びかけるようなフレーズである。

「生きめやも」という文語的な表現は、元来は反語の意味をもつ。しかし、作者がフランス語の副題、ポール・ヴァレリイの原詩をつけているところから、「生きることを試みなければならない」という直訳の通り、意志的にとるのがよいだろう。

生きようとする意志と、その後に襲ってくる不安な状況を予覚した「いざ生きめやも」なのである。

当時の結核患者には、治療薬というものがないため、「大気、安静、栄養」療法が、回復への手引として示されていた。自分のもっている治癒力にすがるだけの、いつも死が間近にある病い―それだけに二人だけでともかくも生きようとする一筋の光の世界を、作者は描きたかったのである。


原状と照らし合わせると

TPPや売国政治、ユダヤ資本企業によるNWO統治などの
風が吹き始め、そんな状況でこの先どうなるかわからないが
さあ、なんとか生きてみよう
戦争とか起こされなければいいな・・・
 
もしくは

原発事故で放射能をばらまかれ放射能地獄となった東日本
風向きにより放射能が運ばれてきてしまうのです
そんな放射能の風が原発事故後吹き始め
被曝によりこの先どうなるかわからないが
さあ、なんとかいきてみよう


そんな風に感じてしまいます




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「支払い能力が無い人間は死ね」という社会

「晴耕雨読」所載の辺見庸の文章を一部転載。
何しろ長い文章だし、文の乱れもある。だが、書いている内容には作家らしい感性と迫力があり、人を動かす力がある。特に私が気に入った部分を赤字にしておく。この赤字部分は現代の日本を見る上で重要な視点を示している。まあ、当たり前のことを言っているのだが、表現がいいのだ。さすがに作家である。


(以下引用)



3年前の夏、76歳の老人が熱中症で死んだという“よくあるできごと”について調べていておどろいた。なににおどろいたかというと、「フツウ」にであった。あるいはどこにでもよくあるだろう日常というものの、そのじつ、 尋常ではない?がりと灼熱と孤独に、絶句した。

老人には月額7万円ほどの年金があった。妻をなくし、腰痛ではたらけない息子と家賃5万5千円のアパートでくらしていた。不幸ではあるが、この不幸せはきわめて例外的とまでは言えない。大別するならば、極貧にちかいけれども、他にもあるフツウの貧しさだろう。老人は役所に生活保護を申請し、あっさり断られた。これもよくあるケース。生一本の老人は節約のため、みずから電気、ガス停止の手つづきをした。したがって、エアコンがあっても冷房はできない。電球があっても真っ暗。懐中電灯とカセット・コンロだけの穴居生活みたいなくらしが、死ぬまで10年ほどつづいた。

2013年8月8日のいま現在も、そのようなひとびとが暑熱のなかで息もたえだえになっているだろう。「てきせつにエアコンを使用してください」といわれても、そうできないひとびとがいくらでもいる。あの76歳の老人は、死後1時間以上が経過していたのに、検死時、直腸内の温度が39度もあったという。

わたしは書いた。「この死はとうてい尋常ではない。まったく同時に、この死には私たちの居場所と地つづきのツユクサのようなふつうさが見える。異様とふつうが、ほの暗い同一空間にふたつながら平然となりたっている。それが怖い。たぶんこの国の日常とはそういうものだ。ふつうが反転して、ある日とつぜん悪鬼の顔になる」(『水の透視画法』)。

あれから3年。大震災、原発炉心溶融、政権交代・・・。どうだろう、悪鬼の顔は、いまはっきりと見えているだろうか。貧しい者はフツウによりいちだんと貧しくなり、いっときあれほど反省された原発がフツウに再稼働に道筋をつけ、極右政権の夜郎自大はますますフツウにとどまるところがない。すべてをフツウに見せているなにか。とてつもない異常を、ごくフツウと見てしまう目、目、目・・・。わたしはけふもエベレストにのぼった。ツユクサが3年前とおなじく花びらを閉じて合掌していた。わるい予感がする。
(2013/08/08)



・東京の病院にいく。眠剤、精神安定剤、血圧降下剤2種、抗血栓剤もらう。例によって、9年間、例のごとし。これもいわゆるフツウだ。医者はいちおうヒトの顔をしているけれども、じつは脳に問題のあるまだ若いヤギが眼鏡をかけて白衣を着ているにすぎない。それはきょうびもはや病気とも言えない、あまりにフツウの障害であり、症状は〈すべての痛みへの無感動〉〈政治、社会状況、とりわけ患者の内面や固有の脳血管障害への無関心〉〈前記のことがらへの不干渉〉〈同無提案〉〈同不介入〉〈心にもない微笑〉〈曖昧な微苦笑〉〈言辞、動作、気配全般における無気力〉〈あらゆる局面における完璧な非暴力〉・・・などをもって特徴とするらしい。まったくフツウである。ただし、あのヤギがだれも見ていないところでなにをしているかは、わかったものではない。

自動料金払い機で薬代を見たら、2か月分で1万3千円ほどだった。ギョッとする。払えないひとだって少なからずいるだろう。払えないひとびとは降圧剤も抗血栓剤ものまず、「自己責任」で脳溢血を再発し、自己責任でヨイヨイになり、自己責任でのたれ死ぬほかない。

この病院にほどちかい歩道橋のたもとに老婆のホームレスがいるのを以前、見たことがある。ほんとうは老婆ではないのかもしれないが。いつも汚れたふとんを敷いて横向きに寝ていた。枕元にお茶の紙パックを置いていた。少し離れてとおるだけですごいにおいだった。あんなに小さなからだからはげしい悪臭をはなっていた。存在の芯が黙って叫んでいたのだ。タスケテ、タスケテ、タスケテ! 何百人、何千人が、ろくに彼女を見もせずに、ただ息をつめてとおりすぎたことか。すぐそばに病院があるというのに、だれかが飛びだしてきて助けようとしたか。人間ほどすさまじくにおう生き物はない。ホームレスの体臭ではない。通行人の腐れた心が鼻も曲がるほど臭いのだ。

いま、気温34度。彼女はどうしているだろう。もう死んだろうか。灼熱の路上でまだきれぎれの夢を見ているのだろうか。いや、こときれただろう。ここは満目の廃墟だ。ruin・・・砂漠ですらない。時々刻々、ひとがむきだされていく。化けの皮がはがされていく。人生の中身も、ひとがらも、こころざしも、理想も、そんなもの、なんのかんけいもございません。支払い能力がすべて。ひととはすなわち、支払い能力のことです。こまめに水分を補給し、エアコンをてきせつに使用して、夏を快適におすごしください。ただし、電気代を払えなかったら、自己責任で直腸内温度39度になって死んでもらいます。そのような死も、もうひとつのシステマティックな死刑執行である。

内閣法制局長官の超弩級デタラメ人事に怒ることができる(いかにも怒ったふりをしてみせる)のは、しごくまっとうであり、かつ、まっとうそうではあるものの、炎熱のこの廃墟にあっては、なにか高級で贅沢な仕儀のようにさえ見えてくる。じかの路面に、老いて病んだひとの横たわる、その低く熱く臭くむきだされた地平からかすむ風景を見あげるならば、ほとんどすべてのことがらに殺意をおぼえるほかはない。

こうなったらしかたがない、せめては睨めることだ。わたしにだってひとを睨めつける意思くらいはまだある。睨めてうごかざる殺意。はたと睨めて世界を刺しつらぬく、目のなかの青い刃。それをふりまわすくらいの殺意がないとはいえない。けふは駅についてからアパートに直行はせず、エベレスト*1にのぼった。いつかはかならず斃れるだろう。しかし、いま斃れるわけにはいかないのだ。だからエベレストにのぼる。麓の芙蓉の花が閉じて結ぼれていた。

若い、顔の大きな男に後ろからいきなり声をかけられた。「熱いね。死ぬね」。男がとおりこし、ふりむいた。心底うれしそうに笑っている。「みんな死んじゃうね・・・」。気持ちがほどけ、わたしも痴れた顔で笑いかえした。 (2013/08/09)



・連絡があった。〈オババは生きています! 昨日、歩道橋ちかくの分離帯にノースリーブの臙脂のワンピース姿でたって、走りすぎる車を見ながら、エヘラエヘラ笑っていました。そう見えました。歩道橋のたもとでしゃがんだとき、生白いお尻が見えました。布団はたたんでありました。離れていても臭かったです。オババは昨日現在、生きていました!〉。

うれしい。よかった。しぶとくなくてはやっていけない。いま、気温37度。生きるか死ぬかだ。ここは戦場と大差ない廃墟だ。爆煙、地響き、硝煙、瓦礫。黒く乾いた血だまり。オババはこのたび、そこをたまたま訪なうこととなった存在論的他者である。廃墟の穢れを浄めにきた異人かもしれぬ。オババに寄進せよ。オババに涼しき場所をあたえよ。このさい禁中におつれせよ。首相官邸でもよい。ゆっくりと湯浴みしていただけ。首相らは跪いてオババに無礼の段につき深く詫びよ。みずからの三百代言につき謝罪せよ。オババのお背中をお流ししてさしあげろ。そうしてあくまでも恭しく問え。じぶんの罪の深さを。この世界戦争の行方を。





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経験知と学問知

「velvet morning」から転載。
「手足口病」というわけのわからない名前をつけられているこの病気については私はまったく無知だが、V.Mさんの言うように毒虫による被害と考える方が自然な気がする。
現代人は「名前(病名)さえつけば問題は解決」と思いがちだが、専門家というものは自分の固定観念から物事を判断しがちであり、後になってそれが間違っていても、「それがその時の常識だった」として、責任は取らないものだ。自分の健康については、まず自分で調べ、自分の頭で考えるのが当然の順序であり、医者の判断は「参考意見」とするべきだと私は思う。医者は神様ではないし、無謬どころか、自分が処方している薬についてすら本当に理解しているとは限らない、と私は思っている。(医薬品セールスマンのセールストークを信じているだけではないか?)
ただし、毎度言うが、医者は大事な存在でもある。我々の健康を守るうえで、医者は絶対的に必要だ。だが、医者の判断力というのは、素人が思うよりも不確かなものだろう、と私は考えている。下記記事のような「自分の経験に基づく言葉」には重みがある。
「本で勉強した知識」で「自分で経験もしていないことについてご託宣する」のが医者なのだから、そういう存在をあまり深く信じすぎてはいけない、ということだ。その最たるものが癌治療とワクチン接種であるが、この二者については最近は警戒感を持つ人も増えつつある気がする。それはいいことだ。
だいたいが日本人はお人好しで、他人を信じ易すぎるから、政治的にも経済的にもいつも騙されるのである。



(以下引用)





『手足口病』が爆発的な流行とのことですが、『チャドクガ』(椿の毛虫)にかぶれたのでは?? ― 2013/08/10 14:51




最近、『手足口病』が爆発的な流行というニュースが上がっている。


このニュースに対して、「これは、放射能の影響なのではないか?」という疑念が、多く寄せられているのだが、ちょっと待ってほしい。


もちろん、可能性としては、あると思うのだが


手足口病の症状を見てほしい。

http://www.tanpopokodomo-clinic.com/cgi-bin/case/siteup.cgi?category=3&page=5


では、『チャドクガ 症状』で画像検索してみてください。




どうですか?


そっくりでしょう。


口が炎症しているというのは、ともかく(それは、口内炎でしょう)、皮膚のかぶれに関しては、ほとんどが、筆者には、『チャドクガ』にかぶれた症状のように見えます。



筆者は、実家が造園業なので、小さい頃から、様々な庭の手入れを手伝ってきました。

その中で、一番問題だったのが、この『チャドクガ』通称(椿の毛虫)による『かぶれ』です。


筆者は、通算、20回ほど、この『チャドクガ』による炎症を経験していますので、大変詳しいです。

1、とてつもなくかゆい。しかも1週間ほど症状が続く。

2、刺された箇所だけでなく、全身に症状が出る。

3、いつかぶれたのか?理解出来ないことがある。
直接毛虫に触れなくても、脱皮した毛が飛んだものに触れただけでもかぶれることがある。


ということです。

これ、知らなかったとしたら、何かとてつもない病気に罹ったのかも?と心配になるかもしれません。
それほどの症状になる人が居るということです。(個人差があります)



この毛虫は、とてつもなく強敵なのです。


是非、皆さん、知っておいてほしいと思います。



恐らく、現在、『手足口病』と言われている症状の、かなりの部分、とくに、4月〜10月に起きるもののほとんどは、このチャドクガによる炎症(椿の毛虫による かぶれ)と思われます。


対策としては、まず、毛虫の原因となる木(ツバキ、サザンカ、お茶)を植えないということ。


その木の下を通らないということ。


もし、庭などにある場合は、毛虫が誕生した直後(4・5月および8・9月)には、葉っぱの裏に大量に固まっていますので、その段階で、切り落としてビニール袋に入れて駆除します。

毛が飛ばないように注意してください。


この作業を行う際には、必ず、長袖長ズボン、ゴム手袋を使用してください。

特に、これからお盆過ぎには、チャドクガの幼虫が誕生する季節ですので、厳重な注意が必要です。


当ブログは、『陰謀論』のブログではありません。防げる被害は、確実に防ぎましょう。


これで、誤診されて、変な薬飲まされて、二次被害にあったりしたら、目も当てられませんから。。


以下、wikipediaも参考に


毒針毛とかぶれ

俗に「ケムシに刺された」というがケムシはカやハチのように自分から積極的に人を刺すものではない。チャドクガは生涯を通じて毒針毛をもち、触れるとかぶれを生じる。一度その被害にあった人はそれが抗原になって2回目以降、個人差はあるがアレルギー反応を起こすことがある。毒蛾の毛虫1匹にある毒針毛は50万本から600万本といわれている。ガやその幼虫であるケムシはチョウに比べて著しくイメージが悪いが、理由のひとつがこれである。しかし毒針毛を持つ種類は全体のごく一部である[1]。

毒針毛は非常に細かく、長袖でも夏服などは繊維のすきまから入り込む。直接触れなくても木の下を通ったり、風下にいるだけで被害にあうことがある。またハチの毒などと違って幼虫自身の生死に関わらず発症するので、幼虫の脱皮殻や、殺虫剤散布後の死骸にも注意が必要である。被害にあったときに着ていた衣服は毒針毛が付着しているので、取扱いに注意する。成虫も毒があり、卵塊は成虫の体毛に覆われているので、幼虫の時期のみでなく年間通じて注意が必要である。

wikipedia


by velvet morning [薬害] [コメント(0)|トラックバック




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検察もまた原子力村の一部

「櫻井ジャーナル」から記事の前半だけ転載。
今日の「徽宗皇帝のブログ」の補完記事のようなものだ。
あちらに追記してもいいのだが、これはこれで「検察とは何か」という問題を考えさせる記事なので、別記事とした。
本当なら、「酔生夢人のブログ」は、趣味的・娯楽的な記事を中心にしたいのだが、広島・長崎を思い出すこの時期には、こちらも真面目な記事が多くなってしまう。



(以下引用)





2013.08.09
楽天プロフィール XML

原子力村の住民であり、暴力装置として機能してきた検察が原子力村の責任を問うということ自体が滑稽な話で、歴代の東電幹部や政府高官を起訴すれば矛先は検察にも


カテゴリ:カテゴリ未分類

 巨大地震に繰り返し襲われている(つまり地震や津波が予見されている)日本に原子力発電所を乱立させるという無謀なことを推進するため、電力業界や歴代政府は反対の声をカネと暴力で封じ込めてきた。

 暴力には裏と表があり、表の暴力装置として機能してきたのが警察や検察。福島県知事として原発に慎重な姿勢を見せていた佐藤栄佐久をスキャンダル失脚させただけでなく、「迷惑防止条例」を使って社会的に葬り去るという手法も使われている疑いが濃厚である。

 つまり、警察や検察は日本の核政策を推進してきたグループに属し、いわば用心棒的な存在。東京電力をはじめとする電力業界や歴代政府、その周辺に群がっている巨大企業群、いわゆる「原子力村」の一員ということでもある。東電幹部や政府関係者は検察の仲間であり、原発事故の責任は検察にもある。

 要するに、検察が「原子力村」の仲間を起訴したなら、その矛先は自分たちにも向くことになる。どうしても起訴しなければならなくなったら、本筋を外して傍流の人びとを引き出してくるだろう。

 福島第一原発の事故を検察が捜査ということは、広域暴力団「A組」の犯罪をA組傘下の「B会」が調べ、やはりA組傘下の「C組」、「D会」・・・の意見を聞いて判断するという構図と同じ。国会で原発に批判的な議員が増えたなら状況は違うだろうが、現在は圧倒的に原発推進派が多い。つまり原発で甘い汁を吸ってきた人たちだ。





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電磁域としての自我と思念

「zeraniumのブログ」から記事の一部を転載。チャネラー シェラドン・ブライスとか言う人の文章らしい。
私はチャネラーと自称する連中の大半は詐欺師だと思っているが、下記の文章には面白い発想があるので、備忘的に転載しておく。
つまり、我々の自我(「自分」という意識)の本体は、脳ではなく、記憶であり、記憶は「電磁域」内にある、ということだ。この電磁域を「オーラ」と言うと途端に話がいかがわしい感じになるのだが、実際、オーラとは電磁域とそう異なるものでもないだろう。それをやたらと神秘的な感じで言うから、逆に誰にも信じてもらえなくなるのだ。
パソコンを考えれば分かるように、記憶(記録内容)とはソフト(の中身)であり、ハード(記録媒体)のことではない。ならば、我々の脳がただのハードに過ぎないことは自明だろう。そして、その脳に記録されたものを我々自身が自由に変更できないことは、我々に本当に自由意思があるのか、という哲学的な大問題につながっていく。つまり、我々は自分が考えていることに、ある程度の道筋をつけ、コントロールすることはできるが、それをコントロールしているのが本当に自分なのか、あるいは他の何者かなのかは最終的には分からないのである。
そういう面倒な話はいい。
話のポイントは、我々の「電磁域」は、他の電磁域からの影響を常に受けている、ということだ。これは電波の混戦が容易に起こることを考えれば、納得できるだろう。そして、人間の生命活動とは結局は電子の活動であることは明らかである。(危篤の患者の心臓の脈拍が電子的に画像化できるのをイメージすればよいだろう。つまり、人間とは有機的ロボットなのである。)ならば、下記文章の説は、筋が通っている、と私には思える。
私は最近、夢を見ることが多いが、起きると肝臓のあたりに疲れを感じていることが多い。「夢は五臓の疲れ」と、昔の人はうまいことを言ったものだ。最近は「唯脳論」とやらで、やたらと脳の優位が説かれてきたが、脳とは身体全体の記憶、あるいは身体全体の情報を可視化(意識化)する情報端末程度のものではないか。もちろん、そこには情報加工のシステムが存在しているのだが、フロイトの言う「無意識」の領域は、脳にではなく、「オーラ」の中にあり、しかもそれは日夜、他のオーラ(そこには動物や植物のオーラも混じる、というのも可能性として考えてよい。)の影響を受けている、という考えは、「電磁域」としての記憶という考えとともに、今後、新たな人間論の一つの土台にもなりうる考えだと思う。
我々が他のオーラの影響を常に受けている、というのは、嫌いな人間が傍にいると我々の心がひどく憂鬱になる、という一事でも理解できそうだ。もちろん、それを嫌う自分自身の心に原因がある、とも言えるのだが、実際に他者の持つオーラの影響を受けている、という考えもなかなか面白い、と思うのである。もちろん、オーラという言葉を使うまでもなく、我々は自分の好きなものに取り囲まれていれば愉快な気分になるし、嫌いなものが身近にあれば不愉快になる、というだけの話としてもいいのだが。





(以下引用)





心臓だけでなく肝臓もまたこの時期には、何かと問題が起きてくることが多いのです。優しくしてあげることです。疲労感で頭がボンヤリして、何にも集中できないこともあるでしょう。何か宙に浮いているようで変になりそうだと感じたり、何を考えていたのか思い出せなかったりするので年齢のせいかと思ったりするでしょう。でもそれは年齢とはまったく関係ないのです。

   そのわけとはこうです。
   あなた方は記憶とはすべて頭の中に保存されていると思っていますが、実際には記憶というマインドはあなたの電磁域、つまり呼び方はどうであれあなた方の言うオーラ域内にあります。ですから頭の中にあるのは脳であり、脳は行為や本能、生存と呼ばれる一時的な記憶を抱えているだけなのです。ですから思考や概念が出てくるところはマインドであり、そのオーラがあなたの肉体周辺を取り巻いています。

   あなた方はいまマインド、つまりオーラ域のもっといろいろな部分にアクセスすることを学んでいますが、それまでのずっと窮屈な方法に慣れている結果、脳がデータを容易に拾ってくることに慣れています。それで頭の中にあってほしいデータは、実はずっと外側のオーラ域の中にあるのです。脳はそこから思考を拾って戻そうとするのですが、その道を覚えていないので途中でそれを落っことしてしまいます。つまりすぐそこにあるのに、今何を話していたのか思い出せず、それは話の途中で消えてしまうのです。

   そうしたことは誰もが経験することであり、年齢とは無関係なのです。
   高齢ならそれを歳のせいにするでしょうが、20代であっても同じ経験をするのです。脳は、あなた自身のマインドにもっと遠くまでアクセスすることを学んでいるところなので、ときにはうまく出来ないこともあるわけです。

   遺伝的シフトのためには、肉体のDNA構造にある古い記憶を落としていかなければなりません。古い記憶とは、感情的な情緒のことです。あなたが受け継いでいるあなたの祖先が感情的情緒的に抱えてきたものは、すでにクリアしたものを除いて一つ残らずすべて、あなたがいま肉体のなかで向き合っているものです。

   人生を振り返ってみれば、ほとんどの人は何らかの強烈な体験を持っています。
   そうした感情的に取り込まれたものがトラウマになります。そうした多くのものは辛く、実に惨めで、かなり情緒的なものです。でもいま、少し愛が入ってきています。あなた自らの感情的情緒的パターンを見て、あなたの祖先たちはおそらく、もっと多くのドラマやトラウマを抱えていたことを察してください。

   遺伝子の再構築の際、あなたはそうした細胞レベルでの記憶をすべて捨て、自らが望むものだけを取り込みます。そうすると、あなたがいま入っているこの肉体がマインドの望み通りに適合していくのです。

   あなた方の肉体はいま、他のいろいろな人たちによって動かされています。
   それがあなたの祖先たちであり、近所の人たち、飼っているペット、スーパーマーケットのレジの人、見るものなど、そうしたすべての存在から受け取っている影響力のことです。つまりあなたの肉体は、この空間を埋め尽くす思考や感情などのあらゆるものと回路をつなげており、そうした影響力によって他のさまざまな人々から利用され、動かされているのです。

   そうした回路を捨てることが、まず一つです。
   自分に対するイメージを捨てることでそれをする人もいますが、何であれ、効果があるならやってみてください。深い安らぎのうちに自分自身と向き合い、自分で自分の心と意識を動かし、自分から肉体に(その逆ではなく)指示をするようにしてください。





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真面目さと小心さ

「大摩邇」から転載。
我々日本人は根が真面目すぎるから、問題や悩みを自分一人で抱え込み、鬱になったり病気になったり、しまいには自殺したりする。福島の畜産農家の人が原発事故で畜産が続けられなくなり、自殺したことなど(今日の「徽宗皇帝のブログ」参照)は、その例だ。本当なら、政府と東電に対し、巨額の損害賠償を要求して裁判で戦うべきところだのに、そういうことはしないのである。まさしく日本人的反応というものだろう。問題は、巨大組織相手の戦いに立ち上がると、今度は社会のすべてが彼に悪口雑言を浴びせ掛け、彼を冷笑し、彼を叩き潰そうとすることだ。
今、山本太郎がその渦中にいる。
では、巨大権力相手の戦いに立ち上がった人間を、家族や親戚や友人だけでも支援してくれるだろうか? 私にはそうは思えない。彼を愚かなドン・キホーテ、思い上った英雄主義の阿呆と見做し、そういう無理な戦いはやめろと忠告するか、あるいは彼から離れ、あるいはむしろ彼の敵に回るだろう。
それが日本社会なのである。徹頭徹尾、卑怯なのである。それが、日本人の小心な真面目さの反面だ。(もちろん、私自身もそういう人間の一人だ。)
下記記事のイタリア人のいい加減さにはあきれもするが、何か爽快感もある。日本人も少しは見習ったほうがいいだろう。



(以下引用)*空白部は写真があったところ。写真はコピーできていないようだ。



2013年08月07日21:42
カテゴリ
イタリア美的生活

危機的状況、イタリア人の場合

アルさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/artevita/archives/2013-08-07.html


<転載開始>

ネットでこっちの国営放送テレビを見ることが出来ます。
で、昨日久しぶりにニュースを点けてみたんですが、点けた途端に出てきた
ニュースが、しみじみと、イタリアでした。。

2012年の1月にイタリアのジリオ島で、豪華客船コスタコンコルディア座礁事故
がありましたね。30人以上の死者を出した大事故なのに、あの船長のとんでもない
行動により、不謹慎にも世界を笑いの渦に巻き込んでしまったあの事故です。
「これぞイタリア」と世界中にたらしめてしまったあの事故です。
当時日本でイタリア人の真面目な部分を一所懸命アピールしてイタリアの印象を
くつがえそうとしていたザッケローニの苦労が、水の泡と化したあの事故。
ザッケローニ的な真面目な人も実はイタリアに沢山いるんです。
ただ、ベルルスコーニやこの船長みたいな人が伝統的方法でイタリアたるやを
世界に見せつけてくると、もう太刀打ち出来ないものがあります。
あの事故の後で、「船に戻れバカ野郎!」Tシャツが世界中で大売れしたという
事実がそれを物語ります。
ザッケローニが真面目に頑張れば頑張るほど、イタリア人の中の彼の特殊性
だけが浮き彫りにされて行くという。。。 きっと彼はイタリアに戻ってきたくない
はず。 だから、不調の時もどうか温かい目で見守ってあげてください。。。

さて話を戻して昨日のニュースなんですが、あの豪華客船が今も尚、あの場所に
横倒しになったまま放置されているそうです。
ジリオ島というのはバカンス地で、この時期は海水浴客で賑わっているんですが、
その人達のインタビューで、
「こうやって気持ちよく海で泳いでる最中にさ、目の端にあの横倒しの船が飛び込ん
でくると一気にテンション下がりまくりなんだよ」
みたいなことを言ってました。一般イタリア人にとっても、あの一件は「恥」であり、
早い所忘れてしまいたいと思っているのです。
イタリアという国は、千年も前の遺跡とかがそこら辺に置き去りになっているのが
魅力的な国なんですが、この豪華客船もそれ狙いなんでしょうか。。。

世界に名だたる「放置国家」イタリア。
もうこの国に津波とか来ちゃったら、一体どういうことになってしまうのか。。。

放置と言って思い出したんですが、夏のイタリアは空気が乾燥しているので、
火事が起こりやすくなります。
チボリに住んでた時、車で高速道路に向かう途中、その近くの広々とした所に
建っている家具のショールームが燃えているのを見かけました。
近所の人達が大勢集まって見物してたので、すでに消防車は呼んでいるものと
解釈しました。でも、大きな建物のたった一部しか、まだ火の手が上がってない
ので、こんだけの人がいたら日本だったら絶対バケツリレーで消火してるものを、
キャンプファイアーのノリだよまったく、と思いながら通り過ぎました。
で、ローマ市内で用事を済ましてから夕方帰る時に、またそこを車で通りかかった
んですが、なんとまだ燃えてました。。しかも建物全部まるっ焦げ。 放置しすぎ!
意味が解らずびっくりしたんですが、横で運転しているHは涼しい顔をしています。
彼の言い分だと、こういうのはよくあることで、破産寸前の店が保険金目当てで
火事を起こし、多分消防署もぐるなんだろう、ということです。

事実、イタリアではオリーブ林などの所有者が経営難から山火事を起こして
保険金をせしめる、というのが頻繁に起こるんだそうです。

さて、詐欺の山火事を別としても、オリーブ林は燃えやすいので、タバコのポイ捨て
程度で簡単に火事になってしまいます。
チボリは小高い丘の上にあり、オリーブの林が方々に広がっています。
なのでチボリに住んでいた時は、夏場しょっちゅう山火事を見かけました。
では、私達が住んでいたアパートの真下にあったルイジおじさんのオリーブ畑の
一部から煙が上がっているのを私が発見した時の話を。
それは、イタリアにおける危機的状況を一部始終、実況中継的に目撃した時の話。



← 発見直後。











すぐさまルイジに電話をし、消防署の手配をしました。その間、煙の中に炎が
見え始め、家の中にいて煙で目が痛くなるほどで、「消防車早く、早く」とハラハラ
しながらベランダから様子を伺っていましたが、やはりお約束のように、なっかなか
サイレンが聴こえてきません。。。
そして、一足先に到着していたルイジが、ランボーのごとくたった一人で消火活動に
火事場に下りて行こうとするので、
「ルイジ!危なーい!行っちゃダメー!」
と上から叫んでいると、突然、足元からバババババ!と凄い騒音が立ち登ってきて、
目の前に突如、大きな消防ヘリコプターが現れました。




それはそれは
胸がキュンとなるくらいの
カッコイイ登場。 
ちょっとハリウッド映画みたいな。






で、このヘリが、オリーブの木と木の間の凄く狭い場所に、007並みの運転技術で
着陸し、おおーと思いながら胸を躍らせたんですが、あれ? 運転手が降りてきて、
何やら巨大な袋のようなものをヘリに取り付けているんです。。。
もうあんた、それをなんでわざわざこんな場所で。。。

「水袋は最初から取り付けて、水を入れてから持ってこいやー!!!」

と、そんな私の突っ込みをよそに、ヘリがまた、素晴らしい運転技術で飛び上がり、
水を汲むために湖の方に遠ざかって行くのを見ながら、赤いヘリがあと2機こっちに
向かってきてるのを見付けました。 
「3機いるから大丈夫!3機いるから大丈夫だよー!ルイジ!」
でも、その2機がなかなかこっちに近付いて来ないんです。。。
で、望遠鏡で見てみるとそれは、この地域で今流行りの趣味のグライダーだった
という。。。もうこんな時に紛らわしいったら!!
なので結局、やはりルイジがランボーに。 オリーブを助けるべく、ポパイになって
火元へ向かって行きました。

その後しばらくして消防ヘリも戻ってきて、空中から水を散布して応戦するんですが、
これが、第2次大戦時のイタリア空軍のやり方と全く同じで、危険を避けて上の方
から落とすから、的が外れまくり。。。もう泣ける。。











そもそも、一般道路に隣接した畑が火事なのに、消防車じゃなくてヘリが来てる
意味が全く解らないのです。。。 カッコイイから? そうか、カッコイイからなのか。。
そうこうする間、ルイジが開けっぱなしにしといた鉄門から、近所のおじさんが
畑に入って来ました。 おおっ勇敢なおじさんがルイジを助けるべく来たか!と
思いきや、なんと、ここぞとばかりに畑の野生ルッコラを摘んでいるという図が。。
なんか、もうアハハハ、アハハハ。 煙の中で笑うしかない状況が。。。

最後は結局、ルイジが軽く火傷しながら殆ど一人で火を消し止めました。
風が無かったのが幸いだったんですが、こんな決死の消火活動を成し遂げた
直後に、ベランダにいる私に手を振りながら、「今晩うちに夕飯食べにきなよー☆」
って。。。さっきまでのランボーの面影全然無し。超余裕。
なんでも、このように一人で消火活動にあたったのはこれが3回目で、もう慣れて
いるんだそうです。

このようにイタリアは、危機的状況をも、嬉々的状況に変えてしまうという、
何だかよく解らない特殊な才能を持った国です。
なんだかんだ言って、やっぱイタリアは、憎めない。。。



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渡部昇一論(笑)

産経新聞デジタル版から転載。この新聞らしく、例によって右翼を喜ばせる記事だが、マッカーサーのこうした発言があったというのは事実だろうから(どういう文脈かは分からないが)備忘のために保存しておく。
まあ、あの戦争が日本の自衛のための戦争だったか、侵略戦争だったかというのは水かけ論にしかならない話で、その両方の側面があったとしか言えないだろう。ABCD包囲網によって経済封鎖された日本が「座して死するを待つよりは」と対米戦争に踏み切った、という点では(米国、あるいは連合国に対しては)自衛のための戦争である。だが、それ以前に中国大陸への侵略があったのだから、時間的順序としては明らかに侵略戦争と言うのが正しいだろう。
とりあえず、資料の一つと言う程度の価値しか無い情報であり、これを「超重大」な証拠と言うのは渡部昇一くらいだろう。
ところで、この英語学者(か?)は、シナ(中国を彼はいつもそう言う)に対してはキチガイみたいに非難するが、バブル崩壊以降、日本を搾取し続けてきた欧米に対してはまったく批判しないという(批判しても、大昔の事件のことで、ほんの形だけ)のは、よく考えるとおかしいのではないか? そもそも日中戦争で迷惑を被ったのは明らかにシナ(当時は中国、つまり中華人民共和国ではなかったので、仕方がないから私もそう言っておく)の方だのに、なぜ加害者側の日本が威丈高に相手を非難できるのだろう。
だいたいが、この男は「歴史認識」のワンパターンの話しかできず、現在の話(欧米による日本侵略、日本収奪)にはいつも頬かむりなのである。
要するに、渡部昇一という男は欧米(=ユダヤ)の飼い犬にすぎず、(ご主人が日本政府ではない、というだけで)一種の御用学者であるわけだ。そういう役割があるのでなければ上智大学(欧米の出先機関の一つ。ここには神学部がある。つまり、ユダヤ・キリスト教の大学)が渡部昇一を飼っておく理由は無い。
この男は極右の論者としてしか活動しておらず、学者としての実績はおそらくゼロだろう。無知な若者の頃、彼の訳したハマトンの「知的生活」を、書物の装丁と題名に惹かれて買ったが、内容は乏しく(というか、ほとんど記憶にも残っていない)高い買い物であった。彼の印税を少しでも増やしたのは、私の生涯の失策の一つである。



(以下引用)

「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石
2012.3.30 08:11更新

 日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。
 昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。
 証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。
 都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、《この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある》としている。
 教材は、江戸時代以降の日本の歴史を、東京の歩みとともに紹介する『江戸から東京へ』。都教委が都立高校の全生徒に平成23年度から配布している。都民の意見をもとに改訂した24年度版は、全新入生約4万3千人に配布する予定。
 『江戸から東京へ』に掲載されたマッカーサー証言については、月刊「正論」5月号(3月31日発売)が詳しく紹介している。
 渡部昇一・上智大学名誉教授の話「連合国から東京裁判の全権を委任されたマッカーサー自身が米議会で『日本の自衛戦だった』という趣旨の証言をしたことは、村山談話に象徴されるように東京裁判を背負ったままの日本にとって“超重大”であり、すべての日本人が知るべきことだ」
 ■村山談話 戦後50年の平成7年8月15日、当時の村山富市首相が発表。わが国が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとし、「痛切な反省の意」「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明。以後の内閣もこの見解を踏襲してきた。


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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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