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頭の良し悪しと、他人の気持ちを分かるかどうかは無関係

これは名言である。
例によって、ツィート者の名前はコピーできなかったし、覚えておく気もない。誰が言ったかとは無関係に、名言は名言だ。
むしろ、頭が本当にいいなら、他人の気持ちも分かるという気もする。高学歴(頭がいいかどうかは別として)の人間(官僚など)が傲慢なのは、他人の気持ちが分からないのではなく、分かろうとも思わないのではないか。受験勉強などを通じ、人生で常に「不要な物事」を切り捨ててきた結果の性格形成だと思う。
これは欧米的合理主義でもある。他人の内面など知りようが無いのだから、言葉で表現されたものがすべてである。口に出さない限り「不満は無い」ことにされる。
まあ、他人の感情への忖度というのは、頭の良し悪しというより、だいたい、子供のころからの家庭環境というか、生育環境と自己修練によって身に付くものだろう。


(以下引用)


「頭のいい人にはできない子の気持ちがわからない」と言う人に「馬鹿にはできる子の気持ちがわからない」と言うと大抵ものすごく怒る。





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「バリツ」の謎の解明

昼飯を食いながら、娘が録画してあった、宮崎駿が監督・演出などをした「名探偵ホームズ」を見ていたのだが、十九世紀末から二十世紀初頭の「電気以前の機械文明」への偏愛は変わらないなあ、と思ったのだが、脚本が(私が見た限りの四編では)片淵須直であるのが驚きだった。宮崎の好みに合わせたと言うより、片淵須直も、このあたりが「人類の科学文明がまだ人間味を残していて」好きなのではないか。
と言うのは前置きで、このアニメではホームズの推理や事件の謎などは適当であり、要は、犯人(主にモリアーティか)と、それを追跡するホームズとワトソンの追いかけっこである。つまり、「ラピュタ」の冒頭部分みたいな感じだ。
で、それも前置きで、私が考えたのは、実はホームズ物というのは「推理小説」と言うより「冒険小説」なのではないか、ということだ。事件の謎やその解決など適当でいいのであり、超人的ヒーローが強力な敵を倒す快感があれば、読者は満足するのではないだろうか。つまり、宮崎・片淵の「名探偵ホームズ」は、ホームズ物の本質を捉えている、ということだ。
で、それも前置きで、私が食後にホームズ物のことを考えている時に、あの問題の「バリツ」の解答が思い浮かんだのである。日本の武術とされている「バリツ」が何なのか、シャーロキアンの間でも定説は無いと思うが、私の推理はこうであ。
ドイルはある時、知人から日本の武術のことを聞いた。ところが、その人(あるいはその人に教えた別の人)は、武術と馬術を混同して、しかも、「バジュツ」を「バジツ」と発音し、さらにドイルに教えた人は「バリツ」と発音した、ということだ。
「バジュツ」→「バジツ」→「バリツ」という伝言ゲームなら、音の変化も実に自然に生じるのではないか。
まあ、同じ説を私以前に出している人もいるかもしれないが、これは案外、日本人でないと(あるいは「馬術」という言葉を知らない外人だと)思いつかない音便変化なのではないだろうか。


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「之(これ)」と「え」

私は昔の書体はまったく読めないが、「猶之もいはぬ物かな」の「之」は「え」の読み間違いだろう。「えもいはぬ」「えもいはれぬ」は「言葉にできない」の意味。
なお、元の文章が写真で載っていたがコピーできなかった。

(以下引用)書き手の名誉のために出所は書かない。


→30日。明月記は漢文ですが、雪を食べた俊成の詞はかなで書かれる。「めでたき物かな。猶之もいはぬ物かな」。「おもしろいものかな」。俊成の喉がごろごろ鳴る。これは喘息なのか、雪の食べ過ぎかと心配し、雪を隠す。それでも「雪、雪」と所望す。さすが定家のお父さん(笑)。→
画像







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「古畑任三郎」の再放送を望む

「古畑任三郎」は私も大好きなドラマで、本家の「刑事コロンボ」(作品はだいたい見た。)よりはるかに優れていると思う。舞台が日本なので世界性には欠けるだろうが、海外でも知られていいドラマである。
ちなみに、私が一番好きなのは、昔のアイドル歌手(私は芸能界、特に音楽界に疎いので名前は失念。)が売れっ子少女漫画家の犯人をやった回で、その元アイドル歌手の個性(恋愛への一途さと無邪気さ)が見事に生かされた、切ない哀感とユーモアに溢れた作品である。あれほど(性格の)可愛い殺人犯は空前絶後ではないか。任三郎の彼女への対応も、素晴らしかった。三谷幸喜の「当て書き」(俳優の個性に合わせて脚本を書く)能力が最高に発揮されたものだ。
なお、田村正和は体調不良で芸能界引退を表明しているらしく、新作への期待はかなえられそうにないようだ。
私はあまり好きではない俳優(タレント)の木村拓哉だが、任三郎の物真似が抜群に上手いので、彼を主役(代役)にして撮るという手もある。あるいは、堺雅人あたりでもできるかもしれない。嫌味で意地悪な性格だのに、愛嬌があって、観ていて楽しいというキャラをできる俳優はほかにはなかなかいないだろう。


(以下引用)


高まる『古畑任三郎』復活待望論、小説登場に再放送も反響


5/17(日) 11:32配信


女性自身


5月16日、ドラマ『古畑任三郎』3rd season「最も危険なゲーム 前編・後編」(フジテレビ系)が関東地区で再放送された。警部補・古畑任三郎の久々の登場に、喜びの声が上がっている。

同番組は、1994年から2006年にかけて放送された三谷幸喜氏脚本の刑事ドラマ。田村正和(76)演じる警部補・古畑任三郎がゲスト俳優演じる犯人の完璧なアリバイやトリックを巧みな話術と卓越した推理力で崩し、真相を解明していく人気シリーズだ。

ツイッターなどでは再放送を喜ぶ声が多数あがったことはもちろん、関東地区のみの再放送であったことを残念がるツイートも。またネット上では自身の「古畑最強回」を紹介するコメントなども相次いた。

《古畑任三郎トレンド入りしてたのでめっちゃテンション上がった。名シーンは数えきれないから全話再放送してほしい、、》

《東京で古畑任三郎再放送されてたの!?ズルいズルいズルい!!!関西でもやってw》

《私が一番好きなのは“古畑任三郎vs SMAP”あれは半端なく面白かった!!皆がリアタイで古畑最強回を紹介してる笑!やっぱり皆の心に残る作品なんだなぁ…》

また三谷氏が朝日新聞に連載している「三谷幸喜のありふれた生活」の特別版で、全4回の小説「一瞬の過ち」内でも、古畑任三郎が刑事役そのままで登場している。

これは“新型コロナウイルスの影響で家でじっとしている人達に楽しい話題を提供しよう“という三谷氏の強い想いから発案された企画で、三谷氏自身も犯人役として登場。小説内で古畑警部補と対決する構造となっている。この企画にも、読者を中心に大きな反響が上がっている。

そんななかで再放送されたことで、三谷氏に続編の脚本を期待する声が高まっているのだ。

《今日古畑任三郎やってたね!ちなみにいま三谷幸喜さんが新聞のエッセイで(普段は直近の舞台について書いてるんだけど)コロナのタイミングもあって、三谷さん本人が犯人役で古畑任三郎書いてて面白い!これそのままテレビで放送して欲しいんだけどww》

《お昼にフジテレビで古畑任三郎の再放送2時間分もやってくれて、大事に録画して今見た。やっぱり古畑任三郎大好きだわー。ほんと色あせない。基本的に田村正和も三谷幸喜も好きだけど、その中でも古畑任三郎は秀逸。永遠に放送し続けてほしいなー》

不朽の名作『古畑任三郎』は果たして、復活となるのだろうか。













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アベノマスクの経済学(アベノミクス)

いや、今さらながらだが、「一世帯(一住所?)当たり二枚」ということは、当然こうなるわけだ。これは私には盲点だったが、政府としては最初から承知の上で、これで費用を大きく節約でき、その分、安倍友の懐にカネがたくさん入る予定だったのだろうwww


(以下引用)

のざわ
@yokienu080
私は80人ほどが住んでいる寮で生活しています!

ついに、アベノマスクが届きました!

枚数は………2枚です!!

寮生80人に対し、2枚です!!!

洗って使い回そうと思います。

現場からは以上です。

#アベノマスク

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借金をして返せなくなるとはこういうもの

他人のブログの無断引用だし、出来事自体も記事が書かれた時もかなり古い。
なぜそんな記事の引用をするかと言えば、「借金をする」とはこういうことだ、というのが実感として実によく分かる内容だからだ。まあ、私は読んだことが無いしテレビ番組化されたものも見ていないが、「闇金ウシジマくん」の世界とはこういうものだろう。それをたまたま電車の中で目撃した一市民の体験談だ。
おそらく、「コロナ後」には、こういう体験をする人が膨大に出てくるだろうから「予習」していると心の準備ができていいよ、という意味での転載だ。爺ィの老婆心ww

(以下引用)書き手の名前はカットする。記事前半もカット。





さて、電車が途中の駅に着いて人々が乗り降りしたとき、前方の5,6メートル先の席が空いたのに気づいた。横長の座席の端に若い男が座っていて、その隣が空いた。数人がまだその周辺に立っていたが、だれもそこに座ろうとしなかったから、チャンスだと思って、私は歩み寄って、男たちの間に挟まれるように腰を入れた。私としては、男たちが並んだところに座るのは、本当は気が進まない。男たちは肩幅があり、足を広げて座ったりしているものだから、私はほとんど標準サイズの体型ながら、窮屈な思いをしなければならないのだ。日本人の体格が昔よりよくなっているから、鉄道会社には座席の幅の標準をもう少し広く取ってほしいと望みたい。定員7人の座席だったが、男ばかり座るなら、6人を定員とするとちょうどよい……。



すこし窮屈なのは仕方ないとして、その席は、座るのをためらうほどの狭さではなかった。私が座ってまもなく、その左隣に座っていた若い男が早口で一気にしゃべった。



テメー、何こら、ふざんけんじゃねぇ、やるなら、かかってこいゃ



そう言い放つと、ケータイを股間に下ろし、通話をいきなり切ってしまった。わが耳を疑うような、乱暴な言葉だった。私の方からよく見えなかったが、彼は左手でケータイを耳にあて、電車の中で通話をしていたのだ。ケータイの接続先の、見えない相手に言い放ったことはすぐにわかり、私に暴言を吐いたのではなかったことでひとまず気を落ち着けた。それほど大声ではなかったけれど、そのセリフは私にだけでなく、周りの乗客にもよく聞こえたはずだ。私はあまりの傍若無人ぶりに驚き、その若者の横顔をちらりと見た。



よく車内放送で、「ケータイ電話はマナーモードにし、他の乗客に迷惑にならないようにしましょう」というアナウンスが流れることがある。そもそも彼がケータイで話をしていたことがマナー違反だろう。日ごろ私は、車内でおしゃべりをしている人たちも同様の迷惑行為になってしまうから、ケータイで話すぐらいは大目に見ていいと思っている方だ。しかし、そんな暴言はとんでもないことだ。通話をいきなり一方的に切るのも相当に無礼だ。彼は、私が座る前からケータイで、そんな「乱暴な話」をしていたようだった。周囲にいた乗客たちは、彼に近づきたくないから、隣の座席を空けたに違いない。彼は横長座席の一番端に座っていたから、私がそこに座る前は、周囲の乗客から距離を置かれていた格好だった。



そう言い放った後、彼は何事もなかったかのように平然と前方を見すえていた。私はその非常識ぶりに憮然としながら、第一感として、〈この男は、ひょっとしてヤクザか?〉と思った。でも、外観は少しもヤクザに見えなかった。彼は上下そろいの赤っぽいトレーニングウエアを着てスニーカーをはいていた。頭はスポーツ刈りで、どう見ても、大学の運動部の選手といったところだった。顔だちは、どちらかというと美男に属する方だったし、その顔には怒りの表情が少しも見えていなかった。ほとんど無表情だった。



私は、なぜこんな若者が暴言を吐くのか、わからなかった。理由はなんであれ、相手がどんなことを言ったとしても、そんな無礼な口のきき方は、世の中、許されるわけはない。電話だからいいようなももの、面と向かっていたら、すぐさま相手に殴りかかられるような危険な言葉だ。私は基本的に見て見ぬふりはしたくない性格だから、一言、注意めいたことを言ってやりたかったが、この若者を一言や二言で説き伏せる自信はなかったし、体力的にかなわないと思った。「テメーは関係ねぇ、ひっこんでろ」と、突き飛ばされたりして……。他の多くの乗客も私の味方になりそうもなかった。そんな暴言を吐いた報いは、遅かれ早かれ、必ず彼は受けるに違いない、そのとき、じっくりと反省してもらおうと、ずるく考え、だんまりを決め込んだ。



しばらくして彼は、持っていた小型のバッグから別なケータイをあわてて取り出した。彼は、複数のケータイを使いこなしている?! なぜだろう?



今度は、彼は通話をしなかった。それはメールの着信だったようだ。まもなく次の駅で彼は電車を降りた。走り始めた電車の窓から、彼がホームの階段を上りながらケータイで通話している姿がちらりと見えた。



 



私は電車に乗っていた間、彼が何者かを考えていた。



――そのとき彼は、激昂して思わず暴言を吐いたようには見えない。そんなセリフは言い慣れていたようにみえる。おそらく彼がゴーマンな口調で高圧的に言ったことに、通話の相手がつい反発し、何かを言い返した。すると反射的に、彼の口からあのセリフが飛び出したのだろう。彼の通話の相手は、常に下手に出なければいけない事情があったようだ。彼は、もし相手が反発するようなら、即座に罵倒してよい立場にあった。あの小型の黒いバッグは、スポーツ選手には似つかわしくない高級そうな一品だった。似つかわしいのは、金融関係の業者だ――という考えに進み、どうやら、彼は借金の「取り立て屋」かもしれないという推測結果に至った。



消費者金融のように個人的な返済が滞ったケースだけでなく、銀行でも、返済が滞るような企業の債権があると、それを不良債権として処理し、債権を専門に扱う業者に渡してしまうことが知られている。彼はそんな債権回収の専門業者に雇われた「社員」であり、取り立てるためには、同情無用で悪態をつきまくることを常とする。債権を持つ側が、債務者になめられては商売にならないわけだ。そのへんのやり方は、業者の社内教育でみっちり仕込まれているのだろう。借りた金を返そうとしない相手に対して、いわば、心を鬼にして罵倒することを職業としているのだ。複数のケータイを使い分けるのも、この業界ではそれなりに必要なんだろう。



負債を抱えた経営者の屈辱が思いやられる。〈あんな若造に罵倒されるぐらいなら、耳をそろえてすぐ返してやる!〉と憤慨する気持ちと、それができないことことによる悲哀の感情がこみ上げるとともに、社会的責任の重圧を背中に感じつつ、



「さっきは私が悪かった。言い方も悪かった。すまん。許してくれ……」



通話を再開し、見えない相手に頭を何度も下げながら話す債務者の姿が、私の目に浮かぶ。



 




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音調の良さは韻文の生命

写真はコピーできなかったが、西成の看板(住民に何かの警告をしている看板)に書かれていた落書きが、俳句というか無季俳句になっていて面白い。

「やかましい 山に埋めるぞ 六甲の」

音調が非常にいい理由は、「やかましい」と「山に埋めるぞ」の「や」音の頭韻のためだろう。
「山に埋めるぞ」の最後の「O」音と「六甲の」の「Rokkono」の「O」音の連続も気持ちがいい。

「目には青葉 山ほととぎす 初がつを」

という有名な俳句にくらべて、音調では互角以上である。
こちらは初句「目には青葉」が字余りだが、逆に「目に青葉 山ほととぎす 初がつを」だと何かの標語か商業コピーみたいである。作者は意図的に字余りにしたはずだ。
この有名俳句は三つの語が季重なりであるが、これだけ有名な句になると問題視されないようだ。

なお、「山に埋めるぞ」の埋める対象は、この看板を出した警察だか町内会だかだろう。


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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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