忍者ブログ

勇気ある挑戦

想像や理屈と実際は違う可能性がある、ということで、理屈を無視してとりあえず「モノ」を作ってみる、という姿勢は好きである。遊びや偶然から大発見が生まれるのはよくあることだ。
しかし、この形態の自動車を作ろうとした勇気には感心する。
前面を流線形ではなく平面にしたら向かい風の抵抗が最大になること。三輪車にしたら横風の力に抵抗しにくいこと。以上の二つは作る前から予想できただろう。犬に吠えられるかどうかまでは予想はできなかったと思うww




  1. さんがリツイート
  1. 今日、走って分かったこと。 •向かい風だと全然加速しない。 •少しの横風でハンドルを持っていかれる。 •オイルが少ないと白煙がヤバイ。 •得体のしれなものすぎて、後続車がビビって抜いてくれない。 •犬に吠えられる。 •雨が降ってきたからワイパーを動かすとゴムが取れる。
  2. 16件の返信 1,678件のリツイート 3,281 いいね

拍手

PR

謝罪・弁解・アリバイ

金田一春彦の「日本語の特質」という本の中に出てくる話だが、日本の旧軍隊(陸軍だろう)では、謝罪が許されなかったらしい。謝罪すると「弁解するか」とかえってひどく怒られたという話である。これは、謝罪と弁解との類似性を教える面白いエピソードである。
言うまでもなく、何かの不祥事が起こった場合にお偉い連中がやる謝罪会見というのは、本当は弁解であり、自分たちには責任は無い、という主張を隠し持っている。だから聞いている方も本気で聞きはしない。単なる儀式である。政治家だと、次の選挙で当選したら「みそぎは終わった」ということにされてしまうわけである。

英語の「アリバイ(alibi)」というのは犯行時の不在証明、つまり自分はその犯行現場にいなかった、ということの証明の意味で使われることがほとんどだが、「言い訳」の意味もある。
昔の大リーグには「no alibi」という教訓というか、教育的な言葉があったらしい。つまり、「言い訳はダメ」「言い訳するな」ということである。おそらく、新人選手が何かのミスをした時に注意するといろいろと言い訳をすることが多かったのだろう(今でも多いはずだ)。だからこういう教訓が生まれたと思うのだが、それを逆手に取った「アリバイ・アイク」という野球小説がリング・ラードナーにある。やたらと言い訳をする野球選手の話で、自分が何かをするたびに、別にしなくてもいい言い訳をくどくどするという不思議な癖を持っているわけだ。たとえば、昼飯にホットドッグを食うとすると、なぜホットドッグなのか、くどくど言う。(これは小説の中には出てこない、今適当に作った例だ。とにかく、弁明や弁解の必要のないところで弁解するのが面白いわけである。)この話など、「no alibi」が大リーグの常識だ、というのが読者の知識にないと、何が面白いのか、さっぱりわからないことになる。

軍隊とプロ野球という異なる世界に、どちらも「弁解するな」が鉄則としてあったのは面白い。つまり、「行動を重んずる世界」において、弁解(口舌)は害しかない、ということだろう。過ちは、隠したり誤魔化したりするのではなく、即座に善後策を取るべきだ、ということだ。

今の安倍政権はどうだろうか? あえて言う必要はまったく無いだろう。あるいは、「言い訳すらしない」、権力の開き直りのほうが政治と社会の末期症状か。






拍手

科学(化学)の敗北

こういうのは議論そのものが冗談のようなもので、くだらない議論であることがわかっているからこそ面白いのである。日本もこういう冗談議論が悠然となされるような社会になってほしいものだ。
なお、英王立化学協会の「ミルクを入れるのが先だ。リッチで魅力的な色を楽しめる」は、これほど説得力の無い根拠も珍しい。飲食物の評価の重点が視覚であるというのは無いだろう。特に、ミルクティーの色など、何が美しいのか。色を楽しむならミルクなど入れないほうが美しいに決まっている。










ロンドンのホテルで紅茶を入れる従業員=2016年8月(AFP時事) © 時事通信社 ロンドンのホテルで紅茶を入れる従業員=2016年8月(AFP時事)


 【ロンドン時事】ティーカップに牛乳を注ぐのは紅茶よりも先か後か-。英国の伝統的な習慣「アフタヌーン・ティー」に欠かせないミルクティーをめぐり、英国を長年二分してきた論争に決着がついたようだ。最新の世論調査で「牛乳は後に入れる」派が大勢を占めた。


 調査会社ユーガブの世論調査によると、79%が「牛乳は後に入れる」と回答。先に牛乳を注ぐ人の割合は20%にとどまった。


 年代別に見ると、65歳以上では「牛乳は後」が68%だったが、若くなるほど高くなり、18~24歳では96%に達した。


 英文学を代表する作家ジョージ・オーウェルは1946年に発表したエッセーで、どちらが先かを「最も議論を呼ぶ論点の一つ」と指摘し、「紅茶を先に入れた方が、牛乳の量を調節できる」と主張。これに対し、英王立化学協会はオーウェル生誕100周年の2003年に声明で「牛乳が先だ。リッチで魅力的な色を楽しめる」と反論していた。


 調査では英国人の紅茶好きも鮮明になった。58%が毎日飲み、1割超は1日に5杯以上飲むと回答した。調査は7月24~25日、英国の18歳以上の男女1595人を対象に実施した。 





拍手

「おしっこが出たい」という奇妙な表現






昔、誰かの随筆か漫画の中で大の大人が「おしっこが出たくなった」というような表現をしているのを見て、奇妙な思いがしたのだが、特定の地域では大人も普通に使う表現、つまり方言なのか、それともその人がたまたま幼児語を使っているのか気になったままだった。
で、調べてみると、幼児の表現から来たものではあるようだが、心理的必然性も無くもなさそうである。下の回答の「を」や「が」の持つ心理的印象の説明には少し感心した。
しかし、やはり大人が使うと幼稚な印象(わざとそういう印象を与えようという場合もあるかもしれない。)が否めないのは私だけだろうか。



言葉の中で「を」格を用いると、1)理屈っぽくてしかも冗漫な、2)意味が強めで露骨な、そんなニュアンスが生じやすいので、次のような表現方法を取ります。


1.名詞だけ
「ママ、おしっこ」
2.名詞のサ変動詞化
「ママ、おしっこする」
3.名詞のサ変動詞に願望の助動詞「たい」を加える
「ママ、おしっこしたい」
4.更に「が」格を加え文法を安定させて大人表現にする。
「おしっこがしたい」
4.サ変動詞を避け自動詞「出る」で露骨さは抑えたまま、より曖昧さや冗漫さを減らす
「ママ、おしっこ出す」
5.自動詞「出る」に願望の助動詞「たい」を加える
「ママ、おしっこ出たい」
6.更に「が」格を加え文法を安定させて大人表現にする。
「おしっこが出たい」

以上のように、一般には4のサ変動詞で「おしっこがしたい」、6の自動詞で「おしっこが出たい」が会話語として多いでしょう。

参考例として、
「彼はあの車にぶつけられて大けがした」→「彼はあの車にぶつかって大けがした」
「お隣の失火のため彼は家を焼かれてしまったらしい」→「お隣の失火で彼は家を焼いたらしい」
この回答へのお礼

詳細な分析を有難うございます。
つまり、大人でも使うということですよね。
他の皆さんが「子供の表現」と強調されているのですが、私の経験では、確かに子供向けの表現ではあるけども、くだけた会話では大人も使うように思います。

「うんちが出たいのを我慢して、どうにか目的の駅まで行ったよ。」

家族や友人の会話ならあり得ると思います。


お礼日時:2011/10/13 20:32


拍手

麦茶が56袋入りの理由

lifちゃんね



この前、コンビニで麦茶を買ったのだが、それが「56袋入り」という中途半端な数なので、気になったのだが、先ほど、「ああ、56というのは7の倍数だ。つまり、7×8=56だから、これは8週間分という意味なんだ」と気が付いた。なかなか考えられて作っている。夏のピークはおよそ8週間、2か月くらいという計算なのだろう。7月第2週から9月第1週くらいという感じだろうか。
もっとも、我が家では麦茶を飲むのは私くらいで、1袋(約1.5リットル作れる)で1週間は持つから、56袋あれば56週、つまり14か月は持つし、もちろん、そんな長期間、麦茶は飲まない。まあ、寒い時に麦茶の熱いのを飲んでもべつにいいのだが。

他の人にはまさに、死ぬほどどうでもいい、という話だろうが、私はこういう日常の、些細な謎が大好きなのである。

「それでも街は廻っている」という漫画があって、つい少し前に星雲賞というSFの賞を取ったが、この作品がまさに日常の小さな謎が主テーマのような漫画で、細部にも読者プレゼント的な小さな謎がちりばめられている。たとえば、本屋の名前が「本田書店」というのは簡単だが、不動産屋の名前が「明王不動産」というのは気づきにくい。これは「不動明王」の洒落だろう。公園の名前が「飯山公園」というのは、映画好きの人でないと分からない。「イーサン・コーエン」という映画監督がいるのである。(注:記憶で書いているので、「飯山公園」の表記は不確かである。)

拍手

レオパレス伝説

「ネットゲリラ」コメント欄のレオパレス伝説が面白いので転記しておく。
マンションの作り方が百均商品以下であるようだ。
「壁に画鋲を刺したら隣の部屋から悲鳴が聞こえた」というのは落語の長屋噺にそれに似たエピソードがあったが、そういう薄い壁で屋根を載せていること自体、凄い技術だと言えないこともない。

(以下引用)



【レオパレス伝説】
・エアコンが勝手に切れる
・チャイムならされたと思って玄関を開けたら、四軒隣の部屋だった
・チャイムが聞こえ今度こそはと思ったけど、やっぱり隣の部屋だった
・チャイムを鳴らしたら住人全員が出てきた
・ティッシュを取る音が聞こえてくるのは当たり前、携帯のポチポチが聞こえることも
・爪切りの音も聞こえる
・納豆をかき混ぜる音も
・壁ドンしたら壁に穴が開いた
・というか、穴が開いたあとも開くまえと聞こえてくる音は変わらなかった
・壁に画鋲をさしたら隣の部屋から悲鳴が聞こえた
・隣二部屋を借り、「これで防音ばっちりだ」と思ったが、さらにその向こうの部屋の音が聞こえてきた
・右の隣の部屋の住人が屁をこいたら、左の部屋の住人が壁ドンしてきた
・すかしっ屁の音が聞こえる、というか臭いもする
・だけど家賃6万
・業績悪化でさらに壁が薄くなる
・将来的には壁がなくなる可能性も
-----------------------
↑これそういう意味か!知らないと設備古いのかなーとか思うわ
-----------------------
↑この一行目の意味を今日知った


拍手

無常ということ

「ネットゲリラ」読者コメントの一部だが、私は異常気象の原因は地球温暖化ではなく地軸の傾きが変わったのではないかと見ている。このことは前にも書いたが、地軸の傾きが変われば地球各部に照射する太陽の光の効果も変わるわけで、これまで温帯地方だったところは熱帯に近くなることもあるだろう。
まあ、超長期的に見れば地球がいつまでもまったく同じ姿勢で太陽の周りを回っていることはありえないのであり、短い間(数世代)だとそれが分からないだけだろう。数億年単位だと氷河時代が数回繰り返されているわけで、異常気象というのは短期的な気候(間氷期の気候)を永続的だと思い込むから異常に思えるだけの話である。常であるのは無常だけ。


(追記)「逝きし世の面影」に次のような宗純氏の言葉がある。その通りだろう。

英仏など原子力産業を温存する勢力が仕組んだ温暖化説ですが、これは現在の不完全な第二次世界大戦レジームを温存したい軍産複合体とかエスタブリッシュメント、リベラルマスコミなどの『既得権益』と関係していると思われる



(以下引用)



梅雨がないと言われてきた北海道でも,20年くらい前から南北海道では7月〜8月に雨ばっかりだとか,この数年北海道中部(十勝地方)でも7月〜8月に大雨とか…これってどう考えても梅雨です。
だから,確実に本州は熱帯化してると思います。蒸し暑いって言うより夏の日向は肌がジリジリする感じですから,昔と違います。



温暖化しているのではなく、異常気象の非常事態です。
昨冬は大雪に見舞われた地域も多かったではありませんか。


世界的に見ても単純な気候変動ではなく
異常気象に対応する心構えが日本でも求められています。


原因としては、個人的には地球に到達する宇宙線の異常という説に納得しておるものです。






拍手

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析